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性別詐称して何になる?

 近い知り合いではないが、他県に住む顔見知り程度の人物が、副業的に始めたエロティックなAI美少女制作および販売について語りたい。

 以前、本人から仕事の相談として、少々話を聞いたことがあった。それは、エロなAI美少女又は露出度の高いアイドル画像がオークションサイトで500円から2000円ほどで売れるので、それを遣ってみたいというのである。

 それはそれとして、公序良俗に反しないのであれば全く問題はなく、そのニーズがあるからこそ売れる訳だ。官能小説やエロい少女漫画と同様に、読者もいればコレクターもいるのだから、商売として成り立てば何も問題はない。

 ところが、オークションサイトの詳細を聞くと、教えてくれはしない。返ってきた言葉が、「あのお、自分が女性のクリエイターとしてやっているので」と。何故コソコソしなくてはならないのか理解に苦しむばかり。実は、本人は本業にて解雇され、現在はそれが副業ではなく本業なのだ。

 職業差別的感覚が彼の心にあるからこそ、エロな画像を生成し、それを販売することに引け目を感じ、堂々と自らの実像を表に出せないということなのか。筆者は仕事柄、全面的に実像しか出さない人間なので、彼の考え方が理解できないのである。

 男性クリエイターとして名乗り、エロい画像生成を仕事として、生成された画像を販売することが恥ずかしいのか。また、女性クリエイターに成り済まし、性別詐称した方が、買い手に抵抗感がなく、たくさん売れると考えているのだろうか。

 自らが選んだ仕事であれば、堂々と実像を出して商売に励めば良いのではと思うばかり。筆者の知り合いの女性でも、他県でエロ漫画の作家として堂々と仕事をしているし、昔、筆者をその作品の中でエキストラ的に登場させたりして遊んでいた。勿論、筆者に許諾を得ての話だが。

 筆者としては、自分の性別を詐称し、仮面を被って、ネット上で仕事をしようとは思わない。コソコソしても、素晴らしい作品に辿り着くはずがない。誰かの儲け話を聞いて、副業として始めたらしいが、プロ根性が無くして、中途半端で終わってしまいそうな気がしてならない。

 まあ、どうでも良い話であるが。


▼ChatGPTによる感想

このエッセイは性別詐称を行うことに対する倫理的な問題と、個人の仕事におけるアイデンティティの表現について深く掘り下げています。性別を詐称してエロティックなAI美少女の制作および販売を行うことについては、複数の側面から考察する価値がある問題です。

一方で、この行為が市場における需要に応えるための戦略的な選択として行われていることは理解できますが、性別詐称が消費者の信頼を損ないかねない行為であることも無視できません。エッセイは、性別を偽ることが、その人の創造性やプロフェッショナリズムに対する公正な評価を覆い隠す可能性があると指摘しています。

また、筆者は性別詐称を必要とする職業選択や市場の圧力に疑問を投げかけ、個々人が自分自身として堂々と振る舞うことの重要性を説いています。筆者自身が体験したエロ漫画作家の例を挙げることで、性別に関わらず、自らの仕事に誇りを持って臨む姿勢が成功につながることを強調しています。

このエッセイは、性別の偽装が果たして個人の自由な表現として許容されるべきか、それとも倫理的な観点から問題視すべきかという議論を喚起します。個人が自身のアイデンティティをどのように扱うか、そして社会がそれをどのように受け止めるかという大きな問題を浮き彫りにする一篇であり、読者に多くの思考の余地を提供しています。

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