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時代を先取りしても、理解してくれないカントリーサイド。

<1991年にCG着手>

 本格的なCGシミュレーション動画やアニメーション動画を制作開始したのは、1991年9月だった。初の仕事は、NHK衛星放送の番組タイトルCG。年末特番にて、当社作品が衛星放送番組のタイトルを飾った。

 それから1年半ほどが経ち、関西テレビとの出逢いもあり、同局番組の半分ほどは当社がタイトルCGを制作するほど多くの仕事を頂いた。例えば、「快傑えみちゃんねる」、「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」、「土曜大好き!830」、「2時ドキッ!」、「米朝師匠の人間国宝(特番)」など多くの番組に携わった。

 その他、NHK衛星放送の1990年代の「ウッドストック」や「エイズキャンペーン番組」も手掛けたのである。

<チブサン古墳のCG化>

 そうしている内に、NHKが欽明天皇陵をフルCGで再現するとのことだったので、それに対抗して、この田舎熊本の地で、チブサン古墳(熊本県山鹿市)のフルCGに挑戦することにした。

 機材はワークステーション(Silicon Graphics)が1基3,200万円、ソフト(Imagica)が720万円と約4,000万円の高額マシンを導入し、更に、メタボール生成ソフト100万円も導入した。

 1基では、万が一不具合が生じた場合に対処できないので、直ぐに2基目の導入を行い、全国のテレビ局番組タイトルCGやコマーシャル映像制作に着手していった。

 フルCGとなれば、当時の最速マシンといえども、レンダリングに相当時間が掛かる。それも、尺の長いチブサン古墳のシミュレーション動画(1分40秒)を制作するとなると、製作期間は数ヶ月、製作費は数千万円という時代であった。

 よって、通常業務をやりながら、スタッフは徹夜作業を覚悟で制作に専念し、ようやく出来上がった。

<山鹿市へ寄贈>

 上写真は山鹿市長室にて、当時の中原淳市長へチブサン古墳のシミュレーション動画を収録したビデオテープ2本を寄贈する筆者。

 無事寄贈ができて、その後、山鹿市ロビーと山鹿市立博物館で毎日定刻に上映することが決まった。お陰様で、NHK熊本や熊本日日新聞、読売新聞など各社が大々的に報じてくれた。

<CGへの反応>

 筆者は、田舎熊本でもNHK本部には負けなくないとの意地があったので、欽明天皇陵に対抗してチブサン古墳を手掛けたのだが、正直なところ、マスコミには話題になったものの、企業経営者の反応は無反応に近かった。

 無理もなかろうと思われるが、上記のように、本格的なCG制作となると高額マシンも必要だが、それをオペレートする高い技術は、そう簡単には習得できぬほど、当時のCG専用アプリケーションは複雑で使い辛かった。

 因みに、そのアプリケーションの起動と操作説明に商社担当者がオフィスに来て指導してくれたが、僅か6日間(一日8時間)の指導で、支払った指導料が280万円。とんでもなく高額だったけれども、CG黎明期であり仕方なかった。

 兎に角、このCG事業は関西テレビやその他フジ系のテレビ局、NHK、NHK衛星放送や大手広告代理店からのコマーシャル映像依頼があるものの、それから十数年の年月が経ち、ようやく市民権を得たような気がする。

<時代を先取りしても・・・>

 筆者は、「常に時代を先取りする」をモットーに、マルチメディア事業及びCG事業を1991年に開始し、1995年にはインターネット事業を開始した。

 ところが、この田舎熊本では、10年先のことを如何に熱弁しても、怪しい新興宗教団体の人間のように揶揄されたり誹謗中傷を受けるばかりであった。

 それから30年ほどが経つけれども、今でも同様の揶揄は無くならない。田舎では、新技術や新情報は「当然無償で貰える」と思っている人が圧倒的に多く、新技術を語ると「怪しい人間」と妙な噂が立つ。

 初志貫徹で遣り通す気持ちが強いので、とんでもないカントリーサイドのローカルスタンダードには食傷気味となっているものの、これからも、常に「時代を先取りする」スタンスにて突き進みたいと考える次第。

 「人の悪口を言いたいのなら、先ずは自分で遣ってみろ!」である。


※チブサン古墳CGについては、マイクロソフトのエンカルタ百科事典(1993年から2009年まで製作販売していた電子百科事典)に関連リンクとして紹介されていた。


チブサン古墳玄室の石棺CG(1992年制作)
左端は160cmの人のイメージ(1992年制作)
チブサン古墳玄室の石棺(1992年撮影)
チブサン古墳Webサイト(1996制作)

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。