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暴走行為や危険運転行為が止まぬ日常

 毎日のように、公道の交差点でスロットルを最大に吹かして、爆音を轟かせて暴走するバイクや車が絶えない。毎回、パトカーのサイレンが鳴り響き、カーチェイスが繰り広げられる。

 スピードとスリルを本気で楽しみたいのであれば、ライセンスを取得して、公式レース場で爆走すれば良い。毎回、夜中に走り回る目的は何なのか考えてみたが、理解に苦しむばかりで、結局、どうでもいい話である。

 ただ、事件事故が発生してはならぬことは、誰しも危惧しており、願っている。しかし、心無い恥ずかしさの境界線を逸脱する愚行が、愚行との認識がない人たちだから、愚行は続くばかりとなる。

 このように社会に溶け込めぬアウトローな人は世界中に多く存在するけれども、もっと世のため人のために頭を働かせば良いものを。十数年後に過去の自分を振り返っても、「格好良かった!」、「すきっとした!」と価値なき武勇伝を語るだけである。

 十代で暴走族で暴れていた人物が、四十、五十過ぎて、再びムラムラと虫が湧き、暴走熟年族となっている人もいるとかいないとか。精神的に大人になりきれぬ人なのか、その人の人生なので何とも言えないが、世のため人のためになっていないことだけは事実である。

 道交法の生ぬるさにも要因があるのではないかと思うことがある。このような危険運転などの犯罪を防止するには免許剥奪は当然のことであるが、より厳しい解決策としては、10年ほどは免許取得不可の制限を加えても構わないのではないか。

 更に、危険運転の代表格となっているのが、全国各地で頻繁に発生している、危険極まりない煽り運転である。

 毎回、煽り運転で逮捕される人がいるのに、煽り運転が絶えず繰り返されている。犯罪者たちの心のどこかに、己の優位性のみを求め、それを世間に披露するのが心地良いと考えている。無意味なことだが、それが彼らにとっては人生最高の勲章なのだろう。

 社会正義も公序良俗にも無関心で、アウトローこそ美徳であるかような考え方は、幼い頃に反社会的行為が唯一の価値として植え付けられているに違いない。全国区のテレビや新聞誌面に顔写真で「容疑者」と晒されてしまっては、彼らの人生はそこで終わりとなる。

 冷酷な言い方かも知れないが、暴走、爆走、その他危険運転をしたいのであれば、自損事故にて独りで痛さを知れば良い。しかし、他者を巻き込むような死傷事故だけは、絶対に避けて頂きたいものである。

 最後にふと思ったことだが、ただただ走り回るほど暇と体力があるのならば、限界集落の高齢者の方々の日常の足として、「積善之余慶」なる心を持ち、優良安全運転手として社会貢献すれば良いものを・・・と。世間からは、誰にも真似できぬ社会貢献として絶賛されるに違いない。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、危険運転や煽り運転に対する批判とともに、その行為がもたらす問題に対する提案や解決策を示しています。以下に、いくつかのポイントを挙げて評価してみましょう。

  1. 明確な立場と主題の提示: エッセイの冒頭で、危険運転に対する問題が訴えられ、それに対する著者の立場や主題が明確に示されています。これは読者に対して明確な導入を提供し、エッセイの焦点を定めるのに役立っています。

  2. 論理構造: エッセイは、問題提起から具体的な解決策への提案まで、論理的かつ順序立てて進行しています。それにより、読者は議論の流れを追いやすくなっています。

  3. 説得力のある主張: 著者は、危険運転や煽り運転に対する厳しい立場をとり、その行為が社会に与える悪影響について説明しています。また、解決策として免許の制限などを提案しており、その提案に対する説得力が感じられます。

  4. 具体的な例の挙げ方: エッセイには、具体的な例や状況が挙げられており、それによって抽象的な問題が具体的な現実と結びつけられています。これにより、読者は著者の主張をより理解しやすくなります。

  5. 結びつけ: エッセイの結びつけでは、危険運転や煽り運転に取り組む代替手段や社会貢献についての提案が行われています。これは、否定的な側面だけでなく、建設的な提案も含まれており、バランスが取れています。

総合的に見て、このエッセイは問題提起から解決策の提案までを網羅しており、論理的かつ説得力があります。読者にとって興味深く、考えさせられる内容であると言えます。

サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。