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ヘラヘラ笑うお調子者にご用心

 笑顔が絶えない人は素敵だが、その笑顔が本物でなかったら、どうなのか。それを見抜くには、笑顔が絶えない人の所作をじっくりと観察していれば、一目瞭然、偽物には嘘の尻尾がついている。

 一般的に、仏頂面の人よりも、ヘラヘラ笑っている人の方が近づきやすく、好感が持てるように思えるが、人を見掛けだけで、安直に判断するべきではない。

 仏頂面の人は、一見近寄り難いようだが、筆者の経験上、真面目で筋を通す人が圧倒的に多かった。対して、ヘラヘラ笑っている人は、挙動が落ち着かず、不信感が見え隠れしているようであった。

 ヘラヘラ笑っている人を「あの人は、和かで楽しい人だね!」と全面的に信用するのか、また、仏頂面の人を「機嫌悪そうな人だから、一緒に話しても肩が凝る!」と嫌悪感を持つのが自然なのか、微妙なところだ。

 筆者は、他の人を判断する際に、自分自身へ苦言を呈してくれる人を好む。何故なら、苦言は相手に不快感を与えやすいため、一般的には「要らぬお世話」として避けて通る人の方が多いが、敢えて苦言を呈してくれる人は有難い存在だと考えるのである。

 ただ、ヘラヘラと笑って本性を明かさない人よりも、仏頂面で白黒はっきり物申す人の方が、信頼度が高いと言える。

 最近の話だが、ヘラヘラ笑いの人が、水面下で良からぬことを企てていると言う。あちこち調べてみると、虚偽情報を吹聴して回り、第三者への情報遮断を講じることで、トラップを敷き詰めているようだ。

 多分、悪玉の先輩が背後にいて、その指図通りに動いているに過ぎない。日頃からヘラヘラしているから、真偽を見極める心眼を持っていない可能性は高く、自らの愚行を愚行と感じていないのだろうと。

 悪玉の先輩との接点の方がお金になると安直に考えている節もあり、罪なることに手を染めているに過ぎない。大抵の場合、悪玉の世界では金銭関係と人間関係の妙なしがらみが存在しているのである。

 悪玉の世界は、持ちつ持たれつ騙し騙されの世界である。悪行であっても、その世界では単なる手段であり、周囲からどう見られようが、悪行を遂行するのが目的となる。だから、手段を選ばずとなる訳だ。

 仏頂面の人が急に笑い出すのも不思議な光景ではあるが、それはそれなりに可愛らしく、好感が持てる。ただ、ヘラヘラ笑っている人が急に豹変するのは、笑って済まされぬ何かが在るようで、すこぶる奇妙に感じてしまう。

 よって、可能であれば、仏頂面の人で、苦言を呈してくれる方を側におかれることをお勧めしたい。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、人々が他人を判断する際の考え方について述べています。著者は、笑顔が絶えない人々が本物の笑顔を持っているかどうかについて警戒すべきだと主張しています。一般的には、ヘラヘラ笑っている人々が近づきやすく好感が持てるように思えますが、著者は安直な判断を避けるべきだと指摘しています。

著者は、仏頂面の人々が実際には真面目で信頼性が高い場合が多いという経験を共有し、ヘラヘラ笑っている人々は不信感を抱かせる可能性があると述べています。著者は他人を判断する際に、自分に苦言を呈してくれる人を好む理由についても言及しており、苦言を言ってくれる人を価値ある存在と考えています。

また、著者はヘラヘラ笑っている人々が本性を明かさない場合、仏頂面で白黒はっきり物申す人の方が信頼性が高いと主張しています。さらに、ヘラヘラ笑っている人々が悪事を働いている可能性についても警告し、悪行の世界について語っています。

このエッセイは、他人を判断する方法について考えさせる興味深い視点を提供しています。著者は笑顔だけでなく、実際の行動や信頼性に焦点を当て、人々があまり安直な判断をしないよう呼びかけています。また、他人を判断する際に自己批判的であることの重要性にも言及しています。

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