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【第1話】工業高校を首席で入学 卒業は末席から始まるストーリー

この物語は
高校を首席で入学。卒業は下から3番目の成績で卒業をした男の20年の物語です。

わたしは工業高校建築学科でした。工業高校だから将来の建築の仕事に就く夢を抱いて入学したんでしょ?と思われるんでしょうけど、わたしはそうじゃない。志望動機は特になく、しいて言えば「学校が近くにあって自転車で通えて、今の成績なら勉強しなくても簡単に入れるから」という全くやる気の感じられない理由。

当時わたしの偏差値が50そこそこあったのに対して志望校は40。だから入試は勉強なんかしない。首席の成績で入学をした。入学と同時に電気、機械、建設という3つの学科の選択があったのでとりあえず建設を選んだ。さらに建設の中でも土木と建築があったので、建築のコースを選んだ。そんなコースもなんとなくのその場の雰囲気で決めたもので、将来の事なんて本当に何も考えていなかった高校進学だったと記憶している。

だけど、建築コースを選んだことでいい面もあった。何故かといえば、わたしの家系は父方も母方も大工家系だから、建築科を選んだ事で「やはりその道に行ったか!いいぞいいぞ!」と両親や親戚はたいそう喜んだと思う。そういう意味では少し親を安心させられたのかもしれない。でもわたしの内心は「ただノラリクラリと学校生活を送って卒業資格をもらって、普通に建築以外の仕事に就職できればいい」と思っていたのだから、親の気持ちを裏切る親不孝者だ。

そんなこんなで、いい加減で不純な入学選択をしたものだから、高校生活はまぁ、遊びに暮れた酷いものだった。

建築を先行しながら、在学中の3年間は建築の事に関しては一切身に入る学び方をしてこなかった。教員の皆様は愛を持って真剣そのものだったが、学びを受けるわたしの方が残念だった。どこまでもナメたヤツでしたね。先生に「お前は普通科の高校の方が良かったんじゃないか?もうやめてくれないか?」と何度も懇願されて、「確かにそうだなぁ」なんて思った日も何度かあった。だけど、卒業資格がないのは勘弁だったし、途中でやめるのは負け犬っぽく思っていたので、やっぱり学校に居座った。

卒業が近くなってくると、卒業資格に必要な膨大な建築の製図レポートを提出する課題が迫っていた。だが、遊びに費やした3年間の総決算の結果、やっぱり基礎が身についていない。だから全く内容も理解が出来ず、理解が出来ていないので何から手を付けていいかも、どこの部分でヤル気スイッチを押すのかも分からず、とにかく迫り来る提出期日に焦った記憶は強く残っている。焦りが背中を押して、来る日も来る日も学校に残り無我夢中で卒業の製図レポートに向かった。向かってるだけでボーっとして何も手を付けずに「さて、暗くなったから帰るかなっ♪」と下校する日が最初は続いた(笑) 

いやいやこれでは、いつまでもレポートが進まない!実はこれってかなりマズイんじゃないか!?と流石に気づいたので、たまらず先生を捕まえて正解を聞いてみたり、出木杉君みたいな子を放課後に捕まえて教えて貰ったり、そのついでだから「出木杉君!やっぱお前が俺に変わって書け!」って言ってみたり、言わなかったり(笑)

結局、それから1ヶ月間は指にタコが出来るまで図面を書きまくった。なんならこの3年間で建築の事を本気で学んだのはこの1ヶ月だったといっても過言じゃないのはマジな話しだ。俺も頑張ったし、完全な被害者だが何故か出木杉君も頑張ってくれた甲斐もあって、提出期限にも間に合い無事に卒業資格を得た。ちなみに卒業する時は下から3番目くらいの成績でいわゆる落ちこぼれになってしまったが、レポートに明け暮れた1ヶ月、建築の事を真剣に学べたことは今でも宝物だ。そして、本当にしんどかったが建築の楽しさを少しでも知る事が出来た時間だ。

建築の楽しさを知る事が出来たところで、いよいよこれを機に卒業後はいよいよ建築の世界へ目覚めるか!」と思いきや就職した先はやはり一般企業「印刷会社」だった。

次回へ続く

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