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理想と現実の狭間で、

あなたは現実的な人ですか、それとも理想を追い求める人ですか。

私がぱっと思い浮かべる、現実的な人というのはこう、白馬の王子様なんて現れないとはなからわかっていて、25歳になったとたんに結構相談所に登録するような人で。

逆に、理想を追い求める人というのは、白馬の王子様なんてそんなのもうこのご時世恥ずかしいとか思いつつ、それでも自然に出会って恋におちて、お付き合いしたいなとずっと待っているような、そんな人が浮かぶ(あくまでもたとえだけれど)。

だいたいの人はこの中間にいると思う、というかその両極端を行ったり来たりするんじゃないのかな。もちろん私も、そのひとりで。

「中庸」であることについて、最近あまり聞かないように思う。もとは儒教から来ている、歴史の長い概念である。なのにあんまり語られないのは「すべてにおいてまあ、ほどほどがいいよね」なんて言うと、「それを言っちゃあおしまいだよ~」となるからだろうか。のび太くんの懐かしき台詞とともに。

理想がないと生きられない。少なくとも私はそうだ。こんな社会になってほしい、こんな自分になりたい、こんな人生を送りたい...もう欲のかたまりである。個人と多様性がもっと尊重される社会になってほしいし、ぱっと行動できる自分になりたいし、人文学やアートにずっとかかわっていたいって思う。

大学生のころ、「社会」に対して暗い気持ちになっていた。なんでこんなに多様性が尊重されないんだろう、どうして人文学やアートは周辺に追いやられているんだろう。自分のいる世界が"はじっこに”あることを知ったとき、人は社会に対して憤慨する。「どうしてそうなの?」と。そして自分の理想とする社会になればいいのに、と思う。

でもまあそれでも、このろくでもないとされる社会で、私たちは生きていかないといけないし、そもそもそんな社会をつくっている人のなかに自分もいる。ひとりで嘆いているだけじゃ社会は変わらない。そして実際は、ほとんどの人が、そんな社会を嘆いているひまもないくらい、日々を生きないといけない。

社会は自分の都合のいいようには変わらないし、一気に変えようと思ったら、それは独裁者と何ら変わらない。

でも、かといってしょうがないよねと諦めてたら、社会は変わらないままだ。社会だけじゃない。自分だって、好きな人だって、人生だってそう。いつだって、理想と現実の間を行ったり来たり。

「こうなればいいな」

そんな理想は朝思い出して、日中は忘れているくらいが、ちょうどいい。

結局のところ、人は理想と現実の"狭間”でしか生きられない。その狭間で激しく行ったり来たりを繰り返していると、メンタル的にきつかったりする。身体も疲れる。

でも同時に、上手く落としどころを見つければ、最も楽な生き方でもあると思う。

自分の中で、理想と現実の"落としどころ”を見つけること。これさえできればいいはずなのに、その落とし所がどこにあるのかは、どこにも書いていない。世の中にあるのは、理想か現実どちらかに寄れという、極端な物言いである。そんな言説は、どっちか片方に寄りすぎているときはキキメを発するけれど、理想と現実の狭間で揺れているときに触れると、逆に毒になる。

中庸。落としどころを見つけること。理想と現実、どちらも意識すること。言葉にするとあっけないことほど、実際に行動に移すのは難しいのは、誰かを愛するということにそっくりだ。

それでは、また。


(goatにあげていたものに加筆・修正を加えました)

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