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ノンシュガーはティーじゃない!?マラウイの「ティータイム」と日本の「お茶」

子どもの頃、町工場兼農家の祖父母の家に行くと、「お茶」の時間が必ずあった。農作業などが一段落する午前10時頃と、午後3時頃だ。お茶をはさむと、そこからもうひと頑張りしようという元気が戻って来る。家まで戻って居間でお茶にすることもあれば、仕事場の近くで木陰を探し、ござなどを敷いて缶ジュースと茶菓子で一服することもあった。

私は、外でする「お茶」が好きだった。午後ならば、小さめのゴミ(当時はゴミを燃すのは普通だった)と落葉で焚き火をし、焼きいも係を任されることもある。そんな風に担当の仕事を与えられることが、子ども心になんだか誇らしかったのを今でも覚えている。

日本の「お茶」は、お茶に限らず缶ジュースのこともあったが、マラウイでは「ティー」と言えば紅茶だ。マラウイは1964年までイギリスの植民地だったこともあり、1900年代初頭から茶の栽培が始まり、マラウイ南部のムランジェ山塊の麓やチョロ県には広大な茶畑が広がっている。茶摘みの季節に行くと、一面鮮やかな新緑で覆われ、息をのむほどの美しさだ。

マラウイ最高峰ムランジェ山と茶畑 ↓

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チョロ県の茶畑 ↓

201809ちょろの茶畑


マラウイでは、農家はもちろんのこと、ホワイトカラーの職場でもティータイムの文化が残っている。日本ではありがちだが、マラウイではティータイムをしながら仕事や勉強をすることは少ない。ティーを片手に同僚やクラスメートと他愛もないおしゃべりをしっかり楽しむのがティータイムだ。リロングウェTTC(教員養成大学)でも毎日9時半から30分間、(学生たちは午後の授業終了後夕方5時ころにもう一度)必ずティータイムがあった。

大学生たちも教職員たちもみんなティータイムは待ち遠しい。まるで昼休みが待ち遠しい日本の小学生みたいだ。だから、普段自分たちは時間を守らないのにティータイム前の授業は1分でも延長すると、「先生、ティータイムです」と学生からプレッシャーがかかるし、ティータイムが中止になると、ブーイング混じりのため息があちこちから聞こえてくる。

いくら授業が途中だとしても、そこはすっぱりティータイムに譲らないと教師としての信頼をなくす。授業終了と同時に、余韻など何もなく、学生たちは中国製のプラスティックのカップを持って学生食堂へまっしぐらだ。先生たちもゆったりとした足取りだが、ティーがある職員会議室へ寄り道せずに直接向かう。反対に、先生も学生もティータイムが長引いて、その後の授業に多少遅れてもおとがめなし、というのは暗黙の了解である。

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このティータイムが、日本と違って一筋縄ではいかないところが面白い。

職員会議室では、用務員がお湯を沸かして、ポットに入れて用意することになっているのだが、まず、大前提の「水」がない断水の時は中止になる。水があり、さらに電気もある時は、電気コンロが使えるので、時間通り運ばれてくるが、停電の時は大幅に遅れてくるか、「停電でできなかった(あきらめた)」ということも多々ある。ペパーニ(「残念」の意)だ。

ちなみに停電の時は、火起こしから始めるので当然時間には間に合わない。毎日のように長時間の停電があるマラウイでは、時間通りティータイムがあるだけでも、「すごい!」のだ。

無事にお湯が運ばれてきていても、油断はできない。肝心のお茶っ葉がないことがあるのだ。お茶っ葉自体がない時の言い訳は、「全部使い切ってしまった」か「新しい茶葉を買うお金がない」のどちらかだった。そんなこと前もって分かりそうなことだが、用意してみてから気づくのがマラウイ流。でもお茶っ葉がないことに文句を言う人はさほど多くない。マラウイ流に考えると、お茶っ葉がなくても、「ティー」となり得るからだ。

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お茶っ葉は、日本人のようにティーバッグを1人1つ使うようなぜいたくなことは絶対しない。20人ほどに対して、茶こしが1つか2つ用意され、そこにちょこんとティーバッグが1つずつ入っている。カップの上でその茶こしの上からお湯を注ぎ、次の人にそのまま渡す。みんなで同じティーバッグを使いまわすのだ。だから、ティータイムに20人くらい集まると、後半の人はほとんど色が出ない。出なくても構わずお湯を注ぐ。どんなに薄くても、むしろお茶っ葉がなくても、そこに文句を言う人をあまり見たことがない。「お茶っ葉どこ?」「ないよ」「あ、そうなの」みたいな感じだ。

問題は、その後の砂糖だ。マラウイ人は甘い紅茶が大好きで、紅茶(お茶がないときはお湯)に大量の砂糖を入れる。ティースプーンでいったら10杯分くらいは余裕で入れる。お茶っ葉がなくても文句を言わなかったマラウイ人も、この砂糖がないと不満が噴出する。「これじゃあティーじゃないじゃないか!」

マラウイ人の目線では、ティーかティーではないかの基準が「砂糖が入っているかどうか」なのだ。お茶っ葉があってもノンシュガーだとティーとは認められない。

マラウイ産のサトウキビから作られた黄色がかった砂糖にお湯を注げば、お茶っ葉がなくても薄黄色の「砂糖湯」になる。砂糖の色で黄色になっているのだが、その黄色のおかげで味覚がプラスの錯覚を起こす。一滴たりともお茶は入っていないはずなのだが、ほんのりお茶の味がする気がするのだ。マラウイ人からすると、それはもう立派な「ティー」となる。


それほど砂糖が大切なマラウイのティータイムだから、「日本人は砂糖なしでもお茶を飲むよ」なんて、ノンシュガーの紅茶を飲みだせば、奇異の目で見られるのは間違いない。

健康には良くなさそうだったが、マラウイの文化になじもうと、お茶っ葉がない時には、大量の砂糖を入れた「砂糖湯」を「うん、ナイスティー!」と言いながら飲んでいたのも、今ではいい思い出だ。


お茶にまつわる話をもう一つ。
学生向けには、午後の授業が終了してすぐの夕方5時ころに2度目のティータイムが用意されている。食堂前では、落花生やマンダシと呼ばれる小麦粉の揚げパンなどを、商売っ気のある学生が自主販売しているので、お金に余裕があればそれらを配給されるティーに付け足すこともできる。

この夕方のティータイムには、学生たちが連呼して、よく聞こえてくる言葉があった。
「ティー アクディキラーニ!」


意味を聞いてみると、

Tea is waiting for you.

「お茶があなたを待っているよ=手を休めてまずはお茶にしようよ」だそうだ。

まずは、一休み。文化から生まれた、なんとも心地よい言葉だ。


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健康の大切さを歌った『生活習慣病予防ソング』→ https://youtu.be/KNtUUl9MavU

マラウイの学生たちと一緒に作りました♪

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