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「日本人はみんな車の作り方を知っているんでしょ?」アフリカマラウイで言われてモノづくりについて考えてみた

日本人は車の作り方を知っている?

「日本人は自動車を作れるのがすごい。もちろんタナカ先生も車の作り方知っているんですよね?」

いやいや、ちょっと待て。確かに日本車はマラウイでたくさん走っているし、丈夫で故障しにくい。日本車のクオリティが高いのは間違いない。でも、だからと言って、一般の日本人が車を作れるとはいくらなんでも飛躍し過ぎだ。少なくとも私の知り合いに「自動車を作れる人」は1人もいない。

このように、「多くの日本人は自動車の作り方を知っている」と考えているマラウイ人は一定数存在する。初めて聞かれたとき、何でそういう発想になるのか理解できなかった。でも、何人ものマラウイ人から同じように聞かれるということは、そう考えてしまう理由が何かしらあるはずだ。

そこで、少し考えてみた。

マラウイで作られるものは、自分や家族の誰かが作れるか、そうでなければ知り合いの誰かが作れるものが多い。

例えば、たいていのマラウイのローカルフードは、原料を栽培するところから加工して口に入るところまで、農家なら自己完結できる。かごや縄などの道具は、庭先で作っているのをよく見かけた。マーケットでは、ソファやテーブルやいすなどの家具を、家具屋さんが材木からけずり出している様子が見られた。

かご職人
ロープの作り方を教えてくれたおじさん

そこから連想して、「日本人が車の製造過程を普段から目にして、その作り方を知っている」と考えるのは自然なことなのかもしれない。

食べ物の作り方

明治から昭和初め頃までの日本では、醸造品を含め、食べ物のほとんどが自家製だったという。

味噌、醤油、ドブロク酒。食用油は菜種からしぼり、豆腐は天秤をかついだ豆腐屋が街から売りに来るようになってからも、かなりの家で作られてきたようだ。

割と手軽に長期保存できる漬物は昭和末頃まで、たいていの家で漬けていたというが、それも今となっては浅漬けこそすれ、自家製ぬか漬け文化は失われつつある。伝統食と呼ばれる食べ物を、イチから作れる日本人は稀有な存在となってしまった。

※参考『房総の庶民生活―木更津地方の村と民俗―』岡倉捷郎著(うらべ書房,1984年)

一方、マラウイの主食のンシマはトウモロコシを粉に挽いたものを熱湯で練って作る。共用の製粉所がある地区もあり、自分で収穫したトウモロコシを持ち込んで粉にするのがンシマ作りのスタートなのだ。

地区にある共用の製粉所

製粉所が近くになければ、木の臼の中に乾燥させたトウモロコシの実を入れ、木の棒でガシガシついて、手作業で粉にする。マラウイに住んでいれば、トウモロコシを粉にする現場にどこかで出くわす。

トウモロコシ粉に挽いているところ

日本に置き換えたら、うどんやそばを、小麦やそばの実を粉に挽くところから始めるようなものだ。日本の身近な場所でその製造過程全てを目にすることは、ほぼない。

家の建て方

マラウイではレンガを自分たちで作る。レンガで何を作るかと言えば、家だ。家を自分たちで作る術を知っているのだ。もちろん職人はいるが、一般の人たちも、手伝ったり身近に見ていたりして、作り方を知っている。

レンガを作るための木の枠

日本の田舎を取材するテレビ番組で、70~80歳近いお年寄りが、「この家は、裏山から自分たちで木を伐ってきて建てたんだ」というようなエピソードを語るのをよく聞く。日本の田舎でも、昭和初期頃までは、地域の人たちと協力して家を作っていたのだろう。

服の仕立て

カラフルなアフリカ布から作る伝統服は既製品の方が少なく、街角でテーラーと呼ばれる仕立て屋が足踏みミシンで器用に縫い上げてくれる。

アフリカ布チテンジ売り場のそばで仕事をするテーラー

自分の母は20代の頃、服屋で洋裁の仕事をしていたという。当時の日本では、女性が就ける数少ない職の1つだったのだとか。今では、洋服はほぼ既製品。服を仕立ててもらうことは、「普通」から「ぜいたく」になった。

作り方が分からない大量のモノ

小学校高学年の社会科見学で自動車工場見学の経験でもなければ、どのように自動車ができているのかを見る機会はない。

1次産業が社会の基盤であるマラウイで作られるものは、製造過程がシンプルなものが多いがゆえに、機械の力を借りずに、自分の力で作れてしまうものが多い。だから「車の作り方を知っているんでしょう?」なんて質問が飛び出してくるのだろう。

車をこれだけ輸出している日本からやってきたのに、車を作るどころか、車の整備さえできない自分。素朴な問いかけをしてきたマラウイ人にとっては、さぞかし不思議に映ったことだろう。

何を原料として、どこでどう作られているのかよく分からない。そんな由来不明の大量のモノに囲まれて日常を過ごしていると、知らぬ間に本当の豊かさから少しずつ離れてしまっている気がする。

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