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ドラマ「妻、小学生になる。」

(ネタバレあり)

最初はこのドラマのタイトルに驚かされました。おっさんと10歳の小学生のラブストーリーとは、倫理に悖るネタでしょうか。倫理のことを除いても、父親役新島圭介を演じる57歳の俳優堤真一と小学生役を演じる毎田暖乃の間の歳の差は、コアなドラマファンの私にとっても無理だろう、ってこのドラマを観る前に思いました。

実際ドラマを観てみたら、全然そんなことを気になりません。新島圭介と妻の新島貴恵について、男女の愛情ではなく、ほとんど家族団欒の雰囲気を描いているし、10歳の子役の毎田暖乃も生まれ変わりの新島貴恵のことを上手く演じていますから、倫理違反なんかまったく触れていないです。毎田暖乃は、亡くなった母親役の女優の石田ゆり子の話し方と身振りを真似ていて、視聴者の私にはまるで小さくなった石田ゆり子を観ているような気がします。

人類の願望のせいか、亡くなった人がこの世と繋がることをテーマにした作品は、よく生まれています。30年も前の映画「ゴースト/ニューヨークの幻」も、去年のアカデミーアニメ賞をとった「ソウルフル・ワールド」も、そういうことを描写しています。「妻、小学生になる。」とその2つの作品との共通点は、死者が自然死ではなく、事故で亡くなったことです。突然逝ってしまったら、この世界への未練を断ち切れなくなります。「妻、小学生になる。」の新島貴恵が生まれ変わり、家に戻ったら、家の献立、夫の無気力な生き方、娘の引きこもりの生活、弟の漫画家志望、いろんなことを心配したり、世話したりします。第7話で、新島貴恵は小学生の姿で、実家の認知症にかかった母親の前に現れ、「ごめんね…お母さん」と言って、母親を世話できないこと、先立つ不幸の許しを求めます。最終話の「実家にご挨拶ごっこ」はコメディの流れで始まりましたが、新島貴恵は娘の彼氏に挨拶されて、その彼氏に「娘をよろしくお願いします」と真剣に託します。親として、子供が一生のパートナーを見つけることほど嬉しいことはないと思います。私の亡くなった父親は死ぬ前に、姉と妹がどくしんであることへの心配を、私と共有しました。親だったら、子供の幸せを見届けたい気持ちは共感できます。

自分の父親のことと言ったら、もうひとつ言いたいです。父親の最期に、姉が「元気になって…うちの電球交換、父さんの力がまだ必要だよ」と言いました。私が父親だったら「電球交換くらいならお前が自分でやってほしい」と思うはずですが、姉の「父さんが必要だ」という気持ちを伝えたいことも頷けます。「妻、小学生になる。」の小学生の姿の白石万理華は、元々新島貴恵の生まれ変わりではなく、子供として母親(吉田羊)と暮らしています。ある日、母に「消えてなくなれ」と言われてから、自分の必要性を感じられなくなり、生きる意欲を失い、新島貴恵に憑依されることになります。親子喧嘩の中で、ついそんな言わずもがなのことを言ってしまったら、相手にひどい傷をつけるということです。「言葉は刃物」とは、どんな親しい人とのやり取りでも、気をつけなければならないことです。

首尾一貫のネタの一つは、新島貴恵が自分の遺影を気にすることです。第1話の「ちょっと、なにこれ、私の遺影?何でよりによってこれなのよ!」と言って、最終話でもう一度この世を去る前に自分の遺影を変えました。どうやって世間に覚えられたいかということは、必要性と同様、大切なものみたいだ、とドラマが伝えてくれます。

あの世に、「永遠の命」があるかどうかわかりませんが、もしここの文章の存在が続いて、将来のだれかが読んでくれて、私の考えを少しでもわかってくれて、文章が「遺影」としてこの世に存続できたら、それで満足です。

これからも引き続き、「自分の遺影」を作ることを頑張ります。

#ドラマ感想文
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#妻、小学生になる。

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