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「猫を棄てる 父親について語るとき」(村上春樹)

村上春樹先生の「猫を棄てる 父親について語るとき」という本が太平洋戦争について沢山書かれていることを読む前は知りませんでした。

本のタイトルが同じ村上春樹先生の「走ることについて語るときに僕の語ること」にちょっと似ているので、この「猫を棄てる 父親について語るとき」もてっきり父親との関係についての随筆だと思いました。でも、戦争で三回招集された村上春樹の父親村上千秋にとって、戦争の経験が人生の大事な一部になってしまって、この本でも戦争のことをずいぶん語っています。

戦争がどうやって一人一人の人生に影響するか、単なる死亡者数ではなく、こういう本で一人一人の物語を通して、もっと読者にしみじみと伝えることができると思います。村上千秋は、毎朝お経を唱えていて、「亡くなった仲間の兵隊」と「当時は敵であった中国の人たち」のために悼んでいました。そして、もし村上春樹先生の母親の元婚約者が戦争で亡くならなければ、「村上春樹」という人物がこの世に生まれることがなかったかもしれません。父親が語った戦争の経歴のかけらも、当時まだ子供であった村上春樹先生のこころにトラウマのようになってしまいました。

いくら日本語を勉強していても、私はまだ香港出身の中国人です。香港が1997年に中国に帰還されるまでに、毎年香港の「重光紀念日」(「回復記念日」)は1945年日本の香港への統治が終息したことを記念していました。そして、学生時代の教育を受けて、「日本の南京大虐殺で30万人の中国人が亡くなった」という残酷な歴史がすでに脳裏に刻まれています。この本を読んでいる時、「(日本の軍隊が)練習として初年兵に捕虜になった中国の兵士を殺させる」ような内容を読んだら、否応なしに不快感を覚えました。

少しだけネットで「南京事件論争」について調べました。「犠牲者数」や、「人口推移」や、「虐殺の対象」なども論争のところのようです。同じ香港出身の妻に「南京大虐殺は実際に起こったと思う?」と聞いてみたら、妻は迷わず「もちろん」と答えました。もっと調べたら、自分が歴史学者ではないんだと自覚した上でいくらググっても「絶対の事実」はわからないことに気づきましたが、幸いなことに、「犠牲者数は30万人」と「犠牲者数はゼロ」を主張している人は共通点があるみたいです。それは、「民間人への虐殺はダメ」ということです。「犠牲者数はゼロ」と主張している説は、大抵「殺したのは兵士なので虐殺と言えない」と弁解しています。つまり、「向こうの庶民を虐殺すべき」や「戦争の時に大虐殺は当たり前だ」のような極端な主張はあまり見えないです。戦争はまだ避けられないことかもしれないですが、「民間人への虐殺はダメ」のような共通の価値観をみんなが死守できているみたいです。

上記はあくまで私自身の感想です。本は「民間人への虐殺はダメ」という願いのスタイルで書いてありません。あとがきに、村上先生は、「歴史の片隅にあるひとつの名もなき物語として、できるだけそのままの形で提示したかっただけだ」と書いています。それでいいです。それがいいです。数字だけではなく、どの国、どの地方でも一つ一つの命からなる集まりだとわかったら、世界が少しずつ平和になる、と私は信じています。

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