見出し画像

西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の15]

4.近代日本における懐疑論と個人主義(続き)

4.4 愛の思想について

4.4.1 愛と意志

まえおき
584.  前回は、「絶対」という概念を取り上げました。「絶対」は、明治期に「absolute」の訳語として新しい意味で使われるようになった漢語です。新たな語義は、「absolute」そのままに、「他と関係せず、それだけで完全で、なんの条件も課されない」というありさまをいいます(番外編2の14:552)。

585.  日本語人は明治期まで絶対という概念を必要としなかった。しかし、明治日本の憧憬の的だった西洋文明は、神 God という絶対を意識することで成り立っていた。絶対への眼差しを元来もたない日本語人が、近代化と西洋化を試みると、いったい何が起こるのか。これは、本ブログ全体にかかわる主題ですが、当面は、本居宣長を手がかりにして、絶対を知らない思考が愛(物のあわれを知ること)と認識(物の心を知ること)をどのようにとらえたのかを探ることを課題としています。

586.  前回、絶対が姿を現す局面を、二つ示しました。一つは、愛にかかわる局面、もう一つは、事物の認識にかかわる局面です。

587.  絶対的な愛とは、「他なる存在の善を目的として、見返りを求めず、無条件に、外へ働きかける自由な意志のはたらき」としての愛です(番外編2の14:564)。これが、意志としての愛で、全宇宙を創造した神 God のわざを範型としています(同562)。

588.  これに対し、本居宣長が論じた物のあわれを知ることとして愛は、相手の美しさや深い思いを知り、それに動かされる気持ちを言います。この感動は、相手の特性に条件づけられている。したがって、これは、相手に関係なく、無条件に、みずからだけで成立する愛ではありません。宣長的な愛は絶対的な愛とは相反します。(番外編2の14:558-559)

589.  絶対的な愛にも宣長的な愛にも共通する要素は、〝ある対象が存在することを望む〟ということです。この考え方は、アウグスティヌスに関するハンナ・アーレントの説明に由来します。

「ものあるいは人についてこれを愛すること、すなわち、私はあなたが存在することを欲している――私は愛する、すなわち、あなたが存在するように意志する(Amo: Volo ut sis)と言うことに以上に大きな肯定は存在しない……。」(ハンナ・アーレント『精神の生活』下 佐藤和夫訳、岩波書店1994、p.127)

神の天地創造は、全宇宙の存在を意志したという意味において愛なのです。卑近な場面で考えても、たとえば、立ち去る人を引き止めたいと思うこと、その人にそこにいて欲しいと思うことは、愛の素朴で原始的な現れでしょう。逆に、もう目の前からいなくなって欲しいと思うことは、愛が無いということです。「ある人やある物が、自分の目の前に存在することを望む」というのは、愛の根本的な形と言えます。

590.  認識における絶対は、金という物質の認識を例にとって説明しました。長い歴史のなかで、人類は金についていろいろなことを知ってきた。その間、「キン」という名前は、金の属性が少ししか知られていないときも、たくさん知られるようになったときも、変わることなく、その物質そのものを指して用いられてきた。名前「キン」の指す示す先に、人間の側の認識(属性の把握)の移り変わりとは無関係に、世界の側で、それ自体で存在している〝もの〟が存在している。(番外編2の14:567-573)

591.  その〝もの〟は、探究の進展に応じてその属性を少しずつ開示するけれど、それらの属性をまとめて保持している主体それ自体(属性の主語となる存在)は、決して完全に知り尽くされることがない(番外編2の14:577-579)。そういう主体は、哲学用語としては、実体(substance)とか物自体(thing-in-itself)などと呼ばれます。これは「われわれの認識のあり方に依存せず、われわれと無関係に、それ自身で存在している」(同575)という意味で、絶対的な存在でもある。人間の認識の外に、そして認識を記述する言語の外に、絶対が立っている。認識における絶対は、〝外なる世界になにものかがある〟ことを告知しているわけです(同581)。

592.  絶対が私たちに教えるのは、第一に、世界がある、ということ。これは、認識における絶対が告げている。第二に、さらに世界の根底には一つの意志がある、ということ。これは、神 God の意志によって世界が造り出されたと認める限りで、森羅万象が告げていることです。この二つをまとめると、こうなる。世界はある、それは人それぞれに対して違うあり方をしているのではなく、根底において一つのあり方をしている。

593.  世界があることは、余程のへそ曲がり以外みなが認めるでしょう。しかし、世界の根底に一つの意志がある、という考え方には違和感を覚える日本語人が多いと思います。だが、西洋近代文明の根底には、この意志の形而上学が横たわっている。簡略に言うと、それは、物理的自然法則と道徳的自然法は神 God の意志の現れであり、それを探究するために人間だけに自由意志が与えられている*――魂は物理法則の束縛を免れている――というものです。この形而上学をどう受け止めるかは、日本語人が近代文明と向き合うとき大きな課題になる。今すぐこれに取り組むことはできませんが、私としては、ここから目をそらすと、西洋近代を理解するとき、勘どころが狂ってくると思います。

注*: 自由意志によって、人間は神 God の意志(即ち、自然法則と道徳原理)を探究する。人権(human rights)とは、この自由意志のはたらきそれ自体と、このはたらきを妨害させないための諸制度を言う。私はこう考えています。日本社会に人権が根付かないのは、この意志の形而上学が元々存在せず、理解もされていないからです。多くの日本語人は、自分たちが人権の根源を理解していないということを理解していないでしょう。

594.  まえおきはここまでにして、以下、本居宣長は、どのようにして、認識において、絶対に到る道を進まないことになったのか、を考えます。

「物の心を知る」と「物のあわれを知る」の同一視
595.  先に、物のあわれを知るとは、「事物に接して、なんらかの感情を喚起されながら、そのもののあり方をとらえること」であると説明しました(番外編2の11:425)。物のあわれを知るはたらきにおいては、事物のあり方をとらえることと、それに感動することが、一体化して実現される。宣長は次のように説明している。

「世の中にありとしある事のさまざまを、目に見るにつけ耳に聞くにつけ、身に触るるにつけて、そのよろづの事を心にあじはへて、その万の事の心をわが心にわきまへ知る、これ、事の心を知るなり、物の心を知るなり、物の哀れを知るなり。」(『紫文要領』125頁*)

注*: 日野龍夫(校注)『新潮日本古典集成 本居宣長集』(新潮社1983)所収の『紫文要領』の頁付け。以下同じ。

596.  さまざまな物事の本質(事の心、物の心)を自分の心で味わってわきまえ知ること、これが「事の心を知るなり、物の心を知るなり、物の哀れを知るなり」とある。事物の心(本質)を知ることと、物のあわれを知ることが、無雑作に並記されています。対象の本質を知る認識の要素と、そうやって知った事柄に感動するという感情の要素は、同じ一つの心理的な事象として扱われています。

597.  しかし、宣長は、ある事物の認識と、その事物に対する感動を区別して語ることもあります。まさに上の引用にすぐ続けて、そういう風に語っている。

「その中にもなほくはしく分けていはば、わきまへ知るところは物の心・事の心を知るといふものなり。わきまへ知りて、その品にしたがひて感ずるところが、物の哀れなり。」(『紫文要領』125頁)

「くはしく分けていはば」と言っているので、宣長は、知ることと感ずることを分けることができるのをよく理解している。人は、対象の本質を知り、「その品にしたがひて」感ずる。「品」とはここでは「物・事の種類」という意味です。だから、人は、まず、ある対象が何であるかその本質(心)を知り、次いで、その種類(品)に応じて物の哀れを感ずるのだ、と言っているわけです。ここでは、知ることと感動することは、物のあわれを知るというはたらきの二つの異なる成分として扱われています。

598.  対象が何であるかその本質を知る、という知的なはたらきが、絶対へ到る道を開きます。先に述べたとおり、金の本質について調べることは、その物質がどのような属性を示すのかを次々に明らかにして行くことです。この作業は、その物の存在それ自体、つまり私たちの認識と無関係に存在する絶対的なものに迫っていくことです。

599.  この探究の道を行くためには、物の心を知ることを物のあわれに感動することから分離して扱う必要がある。金を見て、なんとまあ見事な黄金色であることよと感動して、金の本質を知った(物の心を知った)とみなすわけにはいかない。

600.  では、いったいどんな時に、人は事物の本質を知ったといえるのか、というのは、哲学の大問題です。西洋近現代哲学をものさしにする場合、自然科学が知識の基準になる。自然科学は、ごく大ざっぱにいうと、数学を用いた理論化と、実験・観察による理論的予測の検証によって成り立ちます。数学の正しさ(真理性)と、実験・観察の正しさ(信頼性)が、対象の本質を知ることの条件になる。数学と実験・観察の正しさが、それぞれ何によって成り立つかというのは極めつきの難問ですが、審美的な感動とは別物と考えてよい。つまり、本人が美しいと感じることは、その認識が真であることの保証にはならない。美的な体験に関心を限定すると、近代文明が想定する真理の認識には到達しにくくなるわけです。

601.  ところが、宣長の議論は、美に関心を寄せて、知ることと感ずることを〝分けない〟方向へ進んでいく。宣長は、絶対へ到る道を歩まないのです。宣長は、続いてこういう例を挙げます。

「たとへばいみじくめでたき桜の盛りに咲きたるを見て、めでたき花と見るは、物の心を知るなり。めでたき花といふことをわきまへ知りて、さてさてめでたき花かなと思ふが、感ずるなり。これすなはち物の哀れなり。しかるにいかほどめでたき花を見てもめでたき花と思はぬは、物の心知らぬなり。さやうの人ぞ、ましてめでたき花かなと感ずることはなきなり。これ物の哀れ知らぬなり。」(『紫文要領』125頁)

602.  美しい花を見て、美しさに感動するという状況が提示されている。状況の論理的な可能性を枚挙するとしたら、まず、美しい花だとわかる(物の心を知る)か、わからない(物の心を知らない)か、という二つの可能性があります。次に、なんとまあ美しい花であることよと感動する(物のあわれを知る)か、感動しない(物のあわれを知らない)か、という二つの可能性があります。二つの可能性が二つありますから、組み合わせると2×2で、四通りの可能性が生じます。

(1)物の心を知り、物のあわれを知る。
(2)物の心を知り、物のあわれを知らない。
(3)物の心を知らず、物のあわれを知る。
(4)物の心を知らず、物のあわれを知らない。

603.  宣長は、上の引用で、まず、美しい花を見て美しい花だと知り、なんと美しい花であることよと感動する、という場合を考えている。そして次に、美しい花を見ても美しい花だと知ることがなく、感動もしない、という場合を考えている。つまり、(1)と(4)の可能性だけを考えている。(2)と(3)は、宣長の考察から落ちています。これから見ていきますが、この脱落は、なかばは意図的で、また、宣長にとって必然的なものだった。この脱落にはどういう意味があるのか。まず、扱いやすい(3)の脱落から考えてみます。

604. (3)の、「物の心を知らず、物のあわれを知る」という状況については、宣長は別の場所で論じています。これは、花の例でいうと、美しい花を見ても、それが美しいことがわからないのだが、にもかかわらず、何と美しい花であることよと感動する、という状況です。矛盾しているので、普通に考えるとありえない。でも、対象のよさがわかっていないのに、感動してみせる、ということはありうる。わかりもしないのに、わかっているふりをする場合です。

605.  宣長は、こういう場合について、「物の哀れを知り顔つくりて、それを人に見せん聞かせんとする人をば、大きに憎む」(『紫文要領』138頁)と言っています。知った風をつくってやたら感動してみせる輩は不快だ、ということ。だから(3)の例が存在することは認めていた。しかし、それは半可通の知ったかぶりなので、「まことに物の哀れ知れるにはあらず、必ず知らぬ人にさやうなるが多きもの」(同139頁)と言っています。つまり、(3)の例は、事実上(4)の「物の心を知らず、物のあわれを知らない」場合に吸収される。だから、わざわざ取り上げる必要はないわけです。

606.  では、(2)の、「物の心を知り、物のあわれを知らない」という状況を、宣長はどう考えたのか。これがなかなか厄介なのです。宣長は、物事の本質をわきまえてはいるが、それを深く感じているわけではない、という状況がありうることに、おそらく気がついている。だが、その状況を詳しく考えることを避けたように見えます。避けた証拠を宣長の言葉で裏付けるのは後回しにして、これを避けることにどういう意味があるのかを、あらかじめ述べておきます。

「物の心を知る」と「物のあわれを知る」の同一視の意味
607.  すでに、(3)は(4)に吸収されることになりました。このとき、(2)の状況を考えるのを避けることができたら、(1)から(4)までの4つの状況は、(1)と(4)の2つに集約されることになる。つまり、

(1)物の心を知り、物のあわれを知る
(4)物の心を知らず、物のあわれを知らない

という場合分けで、物の本質の認識と物のあわれの感得の組合せの全可能性が尽くされることになる。

608.  このとき、物の心を知ることと、物のあわれを知ることとは、一方が成り立つときには、もう一方も成り立ち((1)の場合)、一方が成り立たないときには、もう一方も成り立たない((4)の場合)という関係になります。物のあわれを知る人は、物の心を知る人であり、また、物の心を知る人は、物のあわれを知る人である((1)の場合)。裏を返せば、物の心を知らない人は、物のあわれを知らない人であり、物のあわれを知らない人は、物の心を知らない人である((4)の場合)。

609.  本質認識と感動体験の間にこのような等値関係(equivalence)が成り立っている場合、物の心を知ることと、物のあわれを知ることを、別々に扱う必要はなくなります。一方を扱えば、同時にもう一方も扱っていることになる。二つは事実上同じ一つのことになる。

610.  宣長的な問題意識に沿って言えば、物のあわれ(対象への感動)を体験することは、対象の本質を認識する(物の心を知る)のと同じ一つのことだ、ということです。対象が何であるかその本質を認識するということを、対象へ向かう感動と分けて扱う必要はなくなる。

611.  しかし、この二つを分けることが、絶対へ到る道でした(598-600)。宣長は、(1)から(4)の4つの状況から、(2)と(3)を落として全体を(1)と(4)に集約する。こうして本質認識と感動体験を一体化させた。言いかえれば、主観的な感動がそのまま対象の本質の客観的認識として通用する局面に、世界に対する経験の範囲を限定した。だが、そうすることを通じて、絶対へ到る道を行かないという選択を実行する結果になった。これが(2)と(3)を落とした意味であり、その帰結なのです。

本質認識と感動体験を同一視する代価
612.  あえて論理的に一般化して論じてきたので、こうして感動と認識が一体化するという話になると、宣長の言い分はやっぱりおかしいんじゃないか、と感じる人も現れるでしょう。星空を見て感動しても、満天の星の本質が認識できるわけではない。星の本質の認識には、感動ではなく天文学が必要になる。対象に感動することと、その対象の本質が認識できることは、一般的には別のことです。

613.  宣長が言っているのは、美しい星空を見て感動することと、星空が美しいと認識することは、同じことだ、というだけのことです。宣長の挙げる例は、桜の花でした。

「めでたき桜の盛りに咲きたるを見て、めでたき花と見るは、物の心を知るなり。めでたき花といふことをわきまへ知りて、さてさてめでたき花かなと思ふが、感ずるなり。これすなはち物の哀れなり」(再掲『紫文要領』125頁)

あらかじめ「美しい(めでたし)」という感性的(審美的)な性質を関心の焦点としているので、美しい桜の花を美しいと見てとって美しいなぁと感動するのは一つのことなのだ、と言えるわけです。美しさを焦点に置くときには、美しいと知ることと美しいと感動することは同時に同一の体験として生じうる。二つをあえて区別する必要はないかもしれない。

614.  しかし、美しい花が盛んに咲いているのを見て、これは(たとえば)ツツジの一種だなと知る、といった場合もある。美しさは焦点になくて、その分類が焦点になっている。対象の分類学上の本質を知って、なんとまあツツジであることよと感動するかというと、するとはかぎらないし、しなくても差支えない。この場合は、対象の本質の認識は感動とは別の事柄です。

615.  こう考えてみると、対象の本質を認識するが、とりたてて感動しないという場合は、いくらでも見つかりそうです。感動と認識が一体化する現象は、あらかじめ関心を審美的な特性(その特性の存否が感性的判断で決まるような特性)に絞り込んでおく場合に限るようです。

616.  なお、「審美的な特性」を、「その存否が感性的判断で決まるような特性」と言いかえるのは、私のこの場の思いつきです。特定の美学理論などの裏付けはない。けれど、こう言えそうな気がする。というのも、「美学 aesthetics」の語源の「アイステーシス」というギリシャ語は、「感覚、感性」という意味だからです。「美しい」「醜い」、「きれい」「きたない」といった美的特性は、対象にそれが存在するか否かが感性的(感覚的)判断で決まるだろう。ちなみに、「きれい」「きたない」という範疇を、人の行為に適用すると、倫理が美学に包摂され、善悪が感性的に判断されることになる。このあたり、きちんと考えるのは後日の課題にします。

617.  ツツジの例は、対象の非審美的な本質を認識するが、対象に感動しないという例です。これは 602 の「(2)物の心を知り、物のあわれを知らない」に該当します。すぐに述べるように、宣長は、物のあわれという考え方を、審美的ではない特性にまで拡大します。そのとき、物の心を知り、物のあわれを知らないという現象が起こりうることに、宣長は薄々気づいたと思われる。そして、それを取り上げて考えるのは避けた。そのことを、宣長の言葉で確認しましょう。

618.  なお、ついでに言っておくと、星空の例(612)は、対象の本質を認識しないが、対象に感動する例です。これは 602 の(3)に該当する。605 では(3)が(4)に吸収されるとしましたが、これは、宣長が暗黙のうちに審美的な特性に関心を限定したせいです。一般的には吸収されません。対象の審美的でない本質、たとえば、星の天文学的本質がわかっていない状態で、対象に審美的に感動することは十分あります。満天の星に感動するとき、天文学者でない人はすべてそうしているはずです。

619.  さて、宣長は「世にあらゆる事にみなそれぞれの物の哀れはあることなり」(『紫文要領』126頁)と述べ、美しさや悲しさといった感性的(審美的)な特性を越えて、感動の対象を拡張します。例になるのは、「家内の世帯せたいむきの世話」(同127頁)、つまり家計管理というまったく審美的でない領域です。宣長が、(2)の「物の心を知り、物のあわれを知らない」状態に気づく次第はなかなか興味深いので、少し長めに引用します。

「まづ世帯を持ちて、たとへば無益むやくつひえなる事などのあらんに、これは費えぞといふことをわきまへ知るは、事の心を知るなり。そのつひえなるといふことを、わが心に「ああ、これは費えなる事かな」と感ずるところは、これらの事にもあるなり。これすなはち後見うしろみかたにつきて事の心を知り、物の哀れを知るなり。無益むやくの費えあれどもそれを何とも思はず、みだりに財宝を費やすは、これ費えぞといふことを心に感ぜぬなれば、後見の方の物の哀れ知らぬなり。」

620.  「後見うしろみかた」というのは、「陰で世話する方面」というほどの意味です。ここでは家計管理のこと。ある費用が無駄な出費だとわきまえるのは、その出費の家計管理上の本質(事の心)を知ることであり、さらに、なんと無駄な出費であることよ、と深く感じるのが、家計管理において物の哀れを知るということである。審美的な事例と同じく、これが「事の心を知り、物の哀れを知る」ことであるとされます。

621.  続いて、無駄な出費があってもそれを「何とも思はず」みだりに出費を重ねるのは、それは無駄な出費だと「心に感ぜぬ」のだから、物の哀れを知らないのだ、とあります。この「何とも思はず」に注目したい。いったい何をどう思わないのか?

622.  「無益むやくの費えあれどもそれを何とも思はず」というのは、議論のなかの位置として、美しい花の例の「めでたき花を見てもめでたき花と思はぬ」(前掲『紫文要領』125頁)に対応します。ところが、ここでは、花の例とは違って、「無益むやくの費えあれどもそれを無益むやくの費えと思はず」と繰り返してはいない。「それを何とも思はず」と書いている。この一句で、宣長は、無駄な出費を無駄な出費だと認識しない、というのとは違うことを言おうとしています。

623.  「無益むやくの費えあれどもそれを何とも思はず」というのは、無駄な出費があり、それが無駄な出費だと分かっているのに、何とも思わない、ということでしょう。この状態は、美しい花を見ても美しい花だと思わない(美しい花だと分からない)というのとは違います。無駄な出費であることは分かっている。すなわち、事態の本質の認識はある。だが、「それを何とも思はず」出費を続ける。無駄な出費であることを、それと知りながら「心に感ぜぬ」状態なのであり、これが物の哀れを知らない状態なのです。

624.  したがって、家計管理の例は、「(2)物の心を知り、物のあわれを知らない」の例になっている。宣長は、事物の本質を認識しながら、事物に感動しないという(2)の状況がありうることに暗々裡に気づいているわけです。

625.  (2)の状況があることを認めると、事の心を知ることと、物のあわれを知ることは、一方があればもう一方もある、という関係ではなくなります。二つは、別個に扱わなければならない。つまり、対象の本質認識と対象へ向かう感動体験を一体化して扱う宣長の立場は立ち行かなくなる。どうするか。

626.  宣長は、審美的な特性に関心を限定するという仕方で、(2)の「物の心を知り、物のあわれを知らない」という事態を考えるのを回避します。回避の次第は、以下のように説明されます。宣長本人は、自分の選択がどういう帰結をもたらすのか、自覚していなかった可能性が大です。

「後見の方の物の哀れも物の哀れの一端にして、そのことわりは変わらねども、物語の本意とする物の哀れはさやうの事にはあらず。同じ物の哀れなれども、その事と物とによりてそのおもむき変るゆゑなり。」(『紫文要領』128頁)

627.  ここで宣長はこう言っているようだ。物のあわれを知ることの論理的な構造は変わらないが、物語の関心が向かうような物のあわれは、家計管理の例とは異なるのだ。事物の本質を認識し感動するという点では同じだが、対象となる事物に応じて、物のあわれのあり方は変わるからである。

628.  「物語の本意とする物の哀れ」とは、物語の解釈と鑑賞にかかわる感動ということですから、これは審美的な特性にかかわると解されます。審美的な特性に限定すれば、対象の本質認識と対象へむかう感情体験を一体的に扱っても、大きな問題は起らない。文学作品への深い感動のあるところには、作品の本質の認識がともなうと期待してよいからです。

629.  読み手を感動させるような物語の特性は、たとえば、登場人物の心の動きがありありとわかるような巧みな描写、筋の運び、等々でしょう。これらによって読み手は想像を刺激され、感動するわけです。だが、物語の場合、美しい花を見るという視覚体験とは違って、感動が直接的に感覚に由来するとは言えない。すると、先に、審美的特性を「その存否が感性的判断で決まるような特性」といったので(615, 616)、物語の感動は、審美的特性によらない、と反論される恐れがある。

630.  この反論に対しては、こう回答しておきます。「想像を刺激される」ことは、感覚的な印象を思い浮かべてありありと感じること抜きには成立しない。想像作用の核心には感覚経験がある。だから、巧みな描写や筋の運びを読み手が見出すかどうかは(つまり、物語にそれらが存在するか否かは)、想像するときの読み手の感覚(感性)のはたらきに決定的に依存している。それゆえ、読み手の感動を誘う物語の特性は、その存否が感性的判断で決まる審美的特性といってよい。この回答も、この場の私の思いつきですが、まあ、これで行けると思います。

631.  こうして宣長は、対象の本質の認識と、対象へむかう感情体験を一体的に扱う立場を維持しました。しかし、これを維持することは、対象そのものが何であるかを、自分の感動と独立に認識する道を歩まない、という帰結をともなった(611)。絶対へ、あるいは、存在そのものへ到る道は、閉ざされる結果になったのです。これが物の心を知ることと物のあわれを知ることを同一視するために、支払わねばならない代価だった。かなり高くついた、というべきかもしれません。

宣長的な認識論をめぐる諸問題
632.  まず、美的感動と真理性を一体的に扱う審美的な認識論が、国学という試みの中に組み込まれたことは、後世にかなりの影響を及ぼした可能性があります。私の念頭にあるのは、たとえば小林秀雄や日本浪漫派のことですが、それはまた勉強して別の機会に論じたいと思います。

633.  もう少し視野を広げると、主観的体験と客観的認識を合体させてしまう姿勢は、近代日本の自然科学者の書き物にも出現します。下に掲げるのは、たまたま見つけた橋田邦彦(1882-1945)の『自然の観方』(文部省教学局1937)*の一節です。橋田邦彦は生理学者、東大教授、一高校長。第2次近衛内閣および東条内閣の文部大臣を務め、1945年GHQから戦犯の指名を受けて服毒自殺しました**。この一節では、欧米の自然科学と日本的な自然の観方を対比し、日本人の立場を主張しています。

「吾々の外にある自然を観るといふ立場になつたのは、欧米から自然科学が入つて来た結果である。吾々日本人が日本的に自然を観て居るときは物心一如である。人と自然が一つである。人は自然と全く合体する。他の言葉で謂ふと天人一如の境地に於いてものを観て居つた。即ち自然対人として一応は二つに考へられるものが、その根本に於いては一つであるという立場に於いてものを観来つて居るのである。……〔中略〕……即ち自然と人は合体する所に人の力が現はれる、と云ふ立場を離れないで自然を把むものでなければ、吾々日本人の立場に於いて自然を観て居るのではない。」(『自然の観方』28頁)

注*: 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1245178/1/1
注**: 上田正昭ほか監修『コンサイス人名辞典 日本編』三省堂1976より。

634.  自然科学的な認識と対比して、「物心一如」「天人一如」「人は自然と全く合体する」というあり方が称揚され、それが「吾々日本人の立場に於いて自然を観て居る」ものである、とされています。そして、さらにこのような自然の観方が、あるがままの具体的な相において対象を観ることであって、それが私たちの自己認識、「即ち日本人といふこと」の把握につながると断言されます。

「斯く人と合体した自然の把握とは真実なる具体的な有るが儘の相として物を「全」として把まへることであつて、結局把まるものは吾々の自己、即ち日本人といふことである」(『自然の観方』38頁)

635.  日本人の立場は、自分の体験と対象の客観的な存在を分けて考えない立場であって、この立場においてこそ、あるがままの物そのものが、真に全体として、すなわち自己自身と不可分のものとして、把握されるのだ、と言いたいようです。関係性の中での対象との一体化(物心一如)こそが真実だ、という考え方は、橋田流の「物のあわれを知る」の説といってもよいかもしれません。

636.  昭和戦前期の生理学者に本居宣長の直接的影響が及んでいたのかどうかは調べてみないとわからない。むしろ、「物心一如」を理想とする姿勢は、日本思想に底流として存在していて、宣長にせよ、橋田にせよ、思想家一人一人はその露頭というべきなのかもしれません。いずれにせよ、橋田には宣長的な認識論と同系の発想が見て取られる。対象との合一を理想とすることを通じて、結果的に、絶対へ到る道に背を向けてしまう傾向は、近代日本においては、自然科学の訓練を受けた専門家にも見出されるのです。

637.  最後に、いったいどういう次第で、西洋思想は絶対へ到る道を突き詰めることになったのか、という疑問が残ります。私の見るところ、その淵源は古代ギリシア思想に求めることができます。

638.  典型は、プラトンの『テアイテトス』でしょう。この対話篇は、「知識とはなにか」(145E)*というソクラテスの問いかけをめぐって展開されます。対話の相手、テアイテトスは、「知識は感覚にほかなりません」(151E)と答える。

注*: 「145E」は、プラトンの著作の出典表記の慣例により、1578年に出版されたステファヌス版プラトン全集のページ数と段落付けを示す。これは訳書等の欄外に記される。また、『テアイテトス』の訳文は、『プラトン全集 第2巻 クラテュロス テアイテトス』(岩波書店1974)所収の田中美知太郎訳です。

639.  ソクラテスは、それはプロタゴラスの考えにちがいないと言い、プロタゴラスの主張を解説します。すなわち、「おのおののものが何らかの様子で僕に現れている場合、そのものは僕にとってそのようなものとしてあり、また君に何かの様子で現れておるならば、それはまた別に君にとってそのようなものとしてある」(152A)のだ。それゆえ、「感覚には常に[感覚したとおりに]あるところのもの(有)が対応するから、それは偽りなきものであって、その点それは知識そっくりなのである。」(152C)

640.  ソクラテスは、さらに、この説は、結局「何ものも他と没交渉にそれ自体でそれ自体にとどまったまま単一であるというものはない」(152D)と主張することになるのだ、と指摘します。これは「実に容易ならん言論」(152D)であるゆえに、ソクラテスはこれを論駁して行くのです。

641.  この「他と没交渉にそれ自体でそれ自体にとどまったまま単一である」とは、ほぼそのまま絶対的な存在の定義です。『テアイテトス』を貫く主題は、絶対の擁護であるといってよいでしょう。

642.  『テアイテトス』に限らずプラトン哲学の全体は、知るとは感覚されるものを超えて絶対をとらえることである、ということを論証する試みと解されます。西洋の哲学は、現在に至るまでこの試みを続けているといっても過言ではない。近代科学も近代社会の諸制度も、絶対をとらえようとする悪戦苦闘の中から生れてきました。「物心一如」を理想とする姿勢は、絶対の追求という近代科学や近代社会の基本的な前提と食い違う。現代日本の苦境や混乱は、思想史という視点から見れば、多くはこの食い違いに由来すると考えられます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?