西洋近代と日本語人 第2期[番外編2の31]
5.近代(modern)と脱近代(postmodern)
5.2 観念説(続き)
1244. 前回、本居宣長の「物のあわれを知ること」の認識論を検討して見いだしたことは、宣長は懐疑論の洗礼を受けていなかったようだ、ということでした。なお、懐疑論とは、さしあたり、自分は真理に到達できないのではないか、という疑いのことをいうものとします。懐疑論は、人間は真理に到達できないのではないか、という一般的な形式も可能ですし、お前たちは真理に見放されている、という論争的な形式で現れ