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プリズム劇場#014「笑い声が聞こえる人」

こちらはラジオドラマ番組『小島ちひりのプリズム劇場』の作品を文章に起こしたものです。
是非、音声でもお楽しみください。
【standfm】
https://stand.fm/episodes/660946a0d5ea8ea7bea258cf
【YouTube】
https://youtu.be/Xz_odBvCysQ
【その他媒体】
https://lit.link/prismgekijo


「ただいまぁ」
  マンションの玄関に入ると、リビングからテレビの音と笑い声が聞こえて来た。
「あら、帰ってたの」
「亮さん、お帰りなさい」
「テレビの音大きいよ」
「しょうがないじゃない。聞こえないんだから」
「そうよ。お婆ちゃん2人でテレビ見てるんだもの」
  2人は「ねえ」と言って顔を見合わし、ゲラゲラと笑っている。
 俺は溜息を吐きながら2人を放っておき、仏壇の前に座る。睦美は今日も変わらない笑顔で俺を見ている。俺は線香を立て、おリンを鳴らし、手を合わせる。
 「亮さん、ご飯食べるでしょ」
「ああ、ああ、いいですよ、お義母さん。自分でやりますから」
「え? 呼んだ?」
「母ちゃんは呼んでねぇよ」
「もう亜紀さんったら、わかってるくせに」
  2人はまたもゲラゲラと笑っている。まさか2人がこんなに気が合うとは思わなかった。

「じゃあね、行って来るわね」
「お仕事がんばってね」
「はいはい、気をつけて」
 2人は週に3日、デイサービスに行く。
「いっつも仲良しですね」
「あの2人五月蠅いでしょ。申し訳ないです」
「いいえ。むしろ岩崎さんはいっつもレクレーションの中心になってくれるんで、助かります」
「昔っから姉御肌で、町内会とかも大好きだったんですよ」
「ああ、何となく想像できます」
「元気でいてくれるのは助かるんですけどね」
「でもすごいですよね」
「何がです?」
「実のお母様と、義理のお母様の両方と暮らすなんて」
「俺は別にすごくないっすよ。あの2人がすごいんです。だって、子供の配偶者の親なんて完全に他人じゃないですか」
「奇跡的に気が合ったんですねぇ」
「姉妹みたいですよね」
「本当に」
 
 睦美の母親である美鈴さんが自宅で転んで骨折したのは2年前だ。幸い怪我をしたのは腕だったので、寝たきりにはならずに済んだ。睦美が亡くなってしまい、家族のいなかった美鈴さんの事を心配し、我が家に呼ぼうと言い出したのは母だった。美鈴さんは最初、申し訳ないからと言っていたが、母の根気強い説得により、1年半前からこの家にいる。

「俺はずっと牛山家に尽くしてきたんだ! 浮気の一つや二つ、男の甲斐性だろうが!」
 今朝、急に相談依頼が入ったと思ったら、とんでもない相談だった。長年の不倫がバレて離婚されそうだが、婿養子だから離婚されると財産が貰えない。だから別れたくないという。何と我が儘な男だろう。
「俺は父ちゃんに『母ちゃんに尽くすのが男の甲斐性』と教わって育ったんで、ちょっと流派が違うんですよねぇ。流派というより、宗派ですかね、はは!」
 笑って誤魔化したが、俺のはらわたは煮えくりかえっていた。何故、この男には妻と子供がいて、俺にはいないのだろう。神様は俺から睦美を奪ったのに、どうしてこの男は何も奪われないのだろう。

「ただいまぁ」
 家に帰ると、今日も母2人はゲラゲラと笑っていた。
「あら、亮さんどうしたの? 元気ない?」
「そんなことないですよ」
「どうしたの? 変な依頼でも来たの?」
 こういう時の母親の勘というのは本当にすごい。
「そんなんじゃないよ」
「お茶でも飲む?」
「美鈴さんが立ち上がると、母も立ち上がり」
「私がやるからいいわよ」
「じゃあ2人でやりましょ」
 2人はキッチンに並び、楽しそうにお茶を煎れている。むしろ2人で煎れるのは面倒くさそうだが、何故だか楽しそうだ。
「ごめんな」
「え、何が?」
「孫がいたら、もっと楽しかったろ?」
  母と美鈴さんは驚いて顔を見合わせている。
「私達、つまらなそうに見える?」
「いや、楽しそうだけど」
「そうよねぇ。亜紀さん、今の生活、つまらないと思ってる?」
「まさか、とっても楽しいわ」
「そうよねぇ。そうよねぇ」
 母は煎れたお茶をお盆に乗せて運んできた。美鈴さんは俺の腕を掴み、ソファに座らせ、2人は俺を挟むように座った。
「どうしたの? 何か嫌なことあったの?」
「お母さん、代わりに文句言いに行ってあげようか?」
「いいよ、子供じゃないんだから」
「私はね、毎日とっても幸せよ。何が幸せって、亜紀さんと楽しく過ごせることもだけど、何より、亮さん今でも、毎日睦美の事を思ってくれている事が、幸せ」
 そう行って美鈴さんは俺の手を握った。
「勿論ね、孫がいたら今とは違う幸せがあったかもしれないけど、それはもう、お天道様が決めた事だし、どうしようもない。亮さんは今でも私みたいな赤の他人のために頑張ってくれているし、亜紀さんの事も大切にしてる。これ以上亮さんに求める事なんて何もないわ」
「きっと、あんたを1人残す事になるから、それだけは心配だけど、それまではなるべく、賑やかにするようにするから」
「賑やか?」
「今が寂しくならないように。いつか1人になっても、いつでも思い出せるように」
 俺はいつか1人になる日を思い、涙がこみ上げてきた。
「嫌だよ、1人にしないでよ」
「なるべく元気でいられるようにがんばるわね」
「安心しなさい。私達はしぶといわよ」
 美鈴さんと母は両側でゲラゲラ笑っている。その日俺は一晩中、布団の中でひっそりと泣いた。

「美鈴さん、起きて起きて」
 次の日の朝、母の声が聞こえた。
「まあ素敵」
「キレイに咲いたわねぇ」
 リビングへ行くと、母と美鈴さんは花瓶に挿してある梅の枝を囲んで騒いでいた。よく見ると、どうやら一輪開花したようだ」
「ねえ、今年は梅酒を漬けてみない?」
「あら、いいわね。梅の実取り寄せなくちゃ」
「杏とかもいいわね」
「今から楽しみね」
  今日も我が家は、とんでもなく賑やかだ。

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