見出し画像

我が子に「会いたい」は「面会」ではなく「養育」がしたいの!

 ようやく共同親権の導入が具体的に見えてきましたが、子供に会えない親が「我が子に会いたい」から共同親権に賛成だ、と言うと必ずこの手のコメントが出てきます。
 「子供に会いたいなら「面会交流」を充実すればいい話であって、共同親権は関係ねーだろ」・・という類のものです。

 彼らは全く分かってません。
 私たち子供に会えない親の「我が子に会いたい」というのは「面会」がしたいのではありません。「養育」がしたいのです。養育するには今の日本では最低限、親権を持っていないとその可能性すらありません。だからまずはベースとして共同親権が必要だと言っているのです。

 そもそもこの「子供に会えりゃいいんだろ」的な発想の人、て頭の中どうなっちゃってんだろう、とよく思います。「会えりゃいい」んじゃないんだよ!親として当たり前に「子育て」がしたいんだよ!・・ってのが全く理解できない方々です。そもそも何で子供を持ったと、彼らは思っているんでしょう?ほんとにこれ、いつも疑問に思います。日本で子供を持つ、というのはどうやら子供と一緒に家族として過ごすことではなく、たまーに会って他人行儀に上部の関わりを持つことのようです。誰がそんなことのためにわざわざ大変な思いして子供を産むか、っていうの。母親という存在も思いっきり舐められたものです。

 これ、本当にすごく日本オリジナルな考え方だと思います。まるで他人のように月に数時間会えば、「我が子に会えてるんだからいいだろ」っていう考え。私には全く理解不能です。

 そもそもが共同親権中に追い出しや連れ去りによって、いきなり不当に子供を奪われた私たちは、共同親権中で子の養育義務があるのに、奪われると突如「養育」ではなく「面会」で我慢しろ、と訳の分からんことを言われます。

====================
婚姻中(共同親権中)
子供を「養育」
⬇︎
実子誘拐(不当な親子断絶)
⬇︎
婚姻中(共同親権中)
被害親は「養育」→「面会」でいいだろ
※養育が面会にすり替えられる謎
====================

という本当に摩訶不思議なことが罷り通ってます。これが本当に大問題だと思います。何で毎日「養育」をしていた親権者が月数時間の「面会」でいいだろ、って言われるわけ。とにかくこれが異常すぎる。

 弁護士を筆頭に声高々に我が子に会いたいなら「面会交流申し立てればいいじゃん」という方々がいますが、彼らの言いなりになんてなってはいけない。これ自体がどんだけ異常だと思っているんだ。これが異常だ!と被害者は訴えていかないといけない。こんなまやかしに騙されるな。
 弁護士の場合はそれを知っていて偉そうに言っている訳だけど、一般の人の場合、おそらく、このおかしさを知らずに、たいして深く考えず言っているだけだと思う。

もう一度。
何で子供を不当に誘拐されるまで「養育」していたのに、誘拐されたら「面会」でいいだろ、って言われるわけ?!親権者だよ!!ふざけんな、っていうの。親をばかにするのもいい加減にしろ。私たち、そんなおバカちゃんではないよ。何で「養育」が「面会」にすり替えられちゃうわけよ!
この説明、誰もしません。

 しかもこの「面会」も大問題で、日本の裁判所を通せば「月に1回2時間」がお決まりの判決。親子が月に1回2時間「会えば」(養育ではない)、親子として十分だ(子の年齢に関わらず例え0歳児でも)という、これ以上ないくらいにイカれた考え方なんだから。やばすぎるでしょ。こんな異常なこと言っているのは、世界中探しても日本の裁判所だけだと思います。

 こういう実態をよく知らない方々が、子供に会いたいなら「面会」を充実すればいいだろ、というお門違いの発言をしているわけで、悔しいけど私たち被害者は、地道に丁寧に現場の異常さを訴えていくしかありません。

 ほんと、自分が産んだ子供に会う(=養育する)という当たり前のことが、何でこの国ではここまで大変なのか、全く理解に苦しみます。究極に異常です。

 尚、これもよく言われますが、共同親権だから会えるようになるわけでもなく、会えることを保証するにはその他に整備しなければならないことがあります。それは、「共同親権中に」我が子と会えなくなった多くの親が十分認識していることです。

 これを読んでくださった方には「我が子に会いたい」=「面会」ではなく「養育(子育て)」がしたい、ということを知っていただけたら幸いです。

・・てかそれを普通親子って言わない?!