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「ナ」ンチャン

 南原清隆の頬骨を見て不快感を覚える人間はそう少なくない。あの逆スクリームフェイスのような彼は不気味の谷の体現者だ。中には恐怖すら抱く人がいるだろう。これから紹介する少年はそれ故に悲劇的な結末を迎えた。どこにでもいそうな少年の夭逝。それは奇妙な事故だった。
 彼は三重県四日市市の小さな産婦人科医院にて生を享けた。生まれつきの虚弱体質であり、日光アレルギーと重度の喘息が原因で小学校低学年から不登校だった。それ故彼は友達が一人もおらず、両親以外で話す人間は、自分の体調を定期的に聞いてくれる内科医の先生と看護師ぐらい、それも鈴鹿市を越えた、津市有数の総合病院の。
 不登校であり、且つ両親が共働きだったために大抵は一人で過ごすことが多かった。午前九時には二人とも家から出ていたので、母親が帰宅する午後五時半までは滅多なことが無い限り、独りで過ごすことになった。
 彼が一日でやることと言えば、不登校で授業を受けられない代わりにと、両親から渡された算数ドリルや漢字練習帳を今日のノルマ分済ませることぐらいで、それも午前中には終わらせられたため、余り無かった。今日の分を終わらせると彼は親が作り置きしていた昼飯を、居間のテレビで番組を見ながらむしゃむしゃと食べていた。
 過保護な親が与えてくれたゲームや本を読むのも良いが、やはりテレビが最大の娯楽だった。夜遅くまで番組を観せてもらえなかった武久は、代わりに昼の番組を渇望するようになった。Eテレの教育番組や、中京テレビの「スッキリ」、東海テレビの「笑っていいとも!」などを観ることになんらかの幸福を感じていた。
 そのうち彼は色々な番組の変遷や後続番組などを調べるようになった。彼はテレビや新聞の番組表を頻繁に見ては、
「この番組は面白そうだぞ」や、
「あの番組はつまんなそうだな」などと判断し、その後実際にそれを見て、自分が下した判決があっていたかどうか確認して楽しんだ。
 ある日、日テレの「DON!」が終了し、後継として「ヒルナンデス!」が始まることを知った彼は、キャストを確認し、その時南原清隆の名前を初めて知った。これまで両親と一緒に観た番組で見かけた記憶がない。二人はテレビ愛知のニュース番組を好んで視聴したというのもあるが、南原が出る番組は低俗すぎたというのもあるだろう。彼は一番上に躍り出ている「南原清隆」の名前に不可思議で不気味な雰囲気を感じた。
 「この番組、一回でもいいから見てみるか」彼はそう思って、親に買ってもらった「ピタゴラ装置」のDVDを観ることにした。
 彼は南原を知った日から、中京テレビを観ないようにして、更にできるだけNHKとテレビ愛知の番組だけで楽しむことにした。自分が一目で感知した「南原清隆」のまがまがしさの正体を「ヒルナンデス!」第一回で知ろうと思ったからだった。彼は比較的「禁欲」な生活を送った。暫くの間、テレビから遠ざかり、ゲームや小説を読んで平静を保った。それでも日が進むにつれ、気が狂いそうになるほど緊張と興奮が武久の心にやってきて苦しめるのだった。
 そしてとうとう「ヒルナンデス!」が始まる五分前、彼はこれまでにない緊張感を感じた。その日の朝、両親が出勤するとき、いってらっしゃいと言えなくなるほど吃音が烈しくなったが、この瞬間は何倍もうち震えた。武者震い。いつぞやどこかで見たフェルナンデスの残影が、風のまにまに居間に染み込んでいるように思えた。
 「昼 昼 昼なんです 昼はわたしの戦場です」始まった!武久は胸を膨らませ、画面を注視した。良く分からないボーカルに従って良く分からないMVもどきが始まり、今か今かと期待が高まっている。一体誰が南原清隆なんだ!?
 そう思っていると、カメラの中央に一人の男が現れて、話し始めた。
 この人か?
 最初は遠くから撮られているから、どんな感じの人か分からない。しかしカメラの倍率が高くなり、南原が何なのかを悟る瞬間、とんでもない衝撃を受けた。この頬骨が!?余りにも豊かな左右の顴骨をまじまじと見つめているうちに、今まで経験したことのない恐怖が押し寄せた。
 警察が家の中に入った際、居間のソファには大きなシミを見つけた。乾いていたが僅かに臭っていた。武久は南原の恐るべき顔を見て失禁したのだ。
 南原を観た武久はテレビを消さずに居間を出た。自分の周りの一切が恐怖に満ちていた。彼は濡れたスウェットパンツを洗濯機で洗うために洗面所に向かった。後ろから南原達の笑い声が聞こえてくる。武久はかぶりを振って懸命に忘れようとした。しかし目を瞑れば、瞼に南原の奇妙な破顔が現れて、直ぐに目を開けた。
 洗面所に着くと彼は即座に洗濯カゴにパンツに入れた。そしてそのまま向かいの洗面台で顔を洗った。あいつは何だったんだ!?武久はしきりに考えた。手で溜めた水を顔にかけながら。直ぐにあのテレビを消さないと……
 そう思って鏡を見ると、彼は悲鳴をあげた。恐怖の余り頬がこけたような自分の顔が南原のそれのように見えてしまったのだ。彼は卒倒した。そして洗濯機横の蛇口に後頭部をぶつけて死んだ。
 真昼の出来事だった。

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