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今日の出来事 実にどうでもいい話


こんばんは。ライターのチルコです。
今日の出来事、実にどうでもいい話をお届けしています。

夜のバスで思うこと

私の実家は横浜市のはずれにある。
駅からバスに乗り20分。さらに徒歩10分。
合理主義の私からすると、ありえない場所にある。

実家を出て、20年近く。
離れたところに住んでいるわけではないので、
時々は帰るようにしていている。
それは別に実家が好きだから、というわけではない。なんとなく、習慣化されてしまったからだ。

私が嫁に出ていれば、そんなに帰ることもないだろう。が、ひとり身であることもあり、なんとなく親の様子が気になるというのはある。

実家に帰って、何かするわけではない。
居間で大の字になって昼寝し、テレビを観ているだけだ。
たまにSNSやったりネットしたり、スマホに原稿書いてみたり。

年老いた親の手伝いは、いっさいしていない。
たまに帰ってきて、母の料理を食べ、酒を飲んでいるだけ。

ハタから見れば年老いた親をコキ使う、ひどい娘だ。

高校生になったあたりから、駅からバスに乗らないといけない実家の不便さが、うらめしかった。

今でも帰るのは、正直面倒くさい。
同じ横浜市内でありながら、実家がある街はほぼ陸の孤島で、
私が出てからもそれほど変わってはいない。

ただ、帰りに乗る、夜のバスはすきだ。
昔、イギリスの田舎をひとり旅していたときに夜乗っていたバスを思い出すからだ。

まっくらな道を走るバス。行き先は決まっているのに、どこを走っているのか、どこに連れて行かれるのか、さっぱりわからない。

言葉もよくわからずに、不安だけを抱え、揺られていたあのバス。

あれから、ずいぶん時は流れた。
あの頃の自分からは、今は思いもよらない場所にいる。

あの時の自分に言ってあげたい。
そのバスに乗って、正解だったと。

結局、あの時探していた答えは、20数年たった今も見つかってはいない。

歳を取って、わかったことはひとつだけ。
私は「何か」を探し続ける人だということ。

死ぬまで、探し続けるのだ。

それも悪くはない。
夜のバスに乗っていると、不思議とそう思える。

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