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色メガネを外すことができなくても

帰国子女にたいするイメージって、どんなものですか?

私自身、今までの人生で幾度となく仕事の話とセットで『10代の頃上海に住んでいまして…』という自己紹介をしてきました。そこで高校時代の話をすると、こんなイメージをぽっと口にされた方が居ました。

そんなにたくさんの外国人と一緒に学んでいたのなら、本当に偏見なく外国人のことを見れそうだよね!

何気ない会話の中で出てきて、すぐにすっと溶けてなくなったはずの言葉でした。でも、そうはならず、その言葉はすごく重かった。思考はそこで立ち尽くしてしまいました。

私はそのとき一瞬で【外国の人を偏見なく見れてない自分】に気づいてしまったからです。


◆ 知らないからの偏見 ◆


もう何ヶ月後には、中国に行くぞ。

父にそう告げられた瞬間、小学生の私は号泣しました。しかもその時放ったのは『他の国なら良いけど、中国なんかに行きたくない!』という言葉でした。

今考えると、差別にも繋がるとても恐い思考です。でも、当時の私は当然のようにそう思っていました。

偏見とは、【対象に関する断片的な知識や情報で、根拠のない否定的(あるいは過度に肯定的)な判断をすること】です。小学生ながら、私はテレビのワイドショーなどで見る中国のネガティブな情報を鵜呑みにし、『行きたくない場所』と判断してしまっていたのです。あれは、知らない場所に行く不安ではない、中国を変な国と思っていたからでした。そして、その思考が偏ったものだとさえ気付いていませんでした。

ですが、断片的な知識での判断は、現地に行くことですぐに覆りました。最初の偏見は、自分の経験で無くすことができたのです。

現地で言葉もたどたどしい私を真心で助けてくれた人たち。

人懐っこく、気兼ねなく話をしてくれた街の人たち。

一度仲間だと認めれば、家族のようにずっと一緒に居てくれた友人たち。

広大な大陸性の気候が作り出す気象現象のきれいさ。

汚い店ほど美味しい料理が出てくること。

いい意味で、店員と客が対等であること。

細かいことを気にするという社会的圧力から開放されていたこと。

住めば都とは、誰が最初に言ったのでしょう。懸命に生きようとすればその土地が少しずつ受け入れてくれる。事前のイメージとのギャップに気づき、先入観を一つずつ外し、本当の意味でその土地や人を見つめる楽しさ。それを実感できたのは、中国の人々のおかげでした。

でも、そんな幸せな経験をたくさんしてもなお、私の中の偏見が完璧になくなることはありませんでした。


◆ 知ってるからこその偏見 ◆


たくさんの国があって、ひとつのひとつの国の人々には、やんわりとした思考や行動の共通点があります。大雑把にものごとを捉えたり、上下関係を重視する傾向が強かったり。その共通点は国ごとの文化や古くからの教育に紐付いていて、お国柄という呼び方をすることもあります。

中国のお国柄を、関わった沢山の方々から感じ取っていました。当時の上海には韓国の人も多く住んでいましたので、彼らのお国柄にも少し触れることができていました。

ハッキリものを言うなぁ、きちんと自分を大事にできるなぁ、家族を何より大事にして愛してるもはっきり言うんだ。

知れば知るほど、日本のお国柄との違いもたくさん知ることができて、とても面白い発見ばかりでした。

でも、それを知るたびに思考は広がるどころか不自由になった側面もあります。

お国柄は血の流れのように、土地に染み込む水のように、確かにあるけれど優しくゆるい共通点みたいなものです。国の全ての人が持つものではなく、あてはまらない人もたくさんいる。日本だって同じです。地域によって文化はすごく異なるし、お国柄はあるけれど、日本人という括りだけでは表せられないものがある。

しかし頭でわかっていても、相手が外国人となるとすぐにそれを忘れてしまう。

特にネガティブなことが起きたとき、どこかで●●人だからと思ってしまう自分がいる。

中国の街なかで「日本の鬼の子!」と言い捨てられたときも。竹島問題が起きたときに学校の廊下で韓国人の子に囲まれて「独島(ドクト)はわたしたちのものなんだから!」とワーワー喚かれたときも。

日本に帰国してから中国から来た新人さんを教育する仕事をしていて、トラブったときも。歴史問題で喧嘩をしたときも。

国とは関係ない、目の前の人との問題だとわかっていても、頭の片隅で数%でも「●●人はやっぱりそう考えるんだな」と思う自分が居ました。

それは、【(中途半端に)知っているからこその偏見】でした。私が関わった人たちはその国のたった一部の人なのに、多くを知ったと驕っていた。それ故に、その人達から得た情報だけで「●●人はこうだ」と決めつけようとしてしまう。断片的な知識で偏った判断をしている事実は、中国に行く前と何も変わりませんでした。

それに気付いたとき、随分と自分に失望しました。根本は何も変わっていないんじゃないかと。●●人だからという考えをした時点でその人自身を見ることを止めてしまっているようなものです。普段関わっている多くの外国の人に自責の念が湧きました。

なんて一部のことだけで判断しようとしてたんだろう。私はまだまだ、人を見れていない。少しは色メガネを外して人や物を見れるようになったと思っていたのに、全然外せていなかった。色が変わっただけだった。

そう思いながらも、一つだけ以前とは変わったことがありました。それは、『偏見をもっている自分に気付けたこと』。そこだけは、中国に行くのが嫌だと当然のように言い放った幼い私とは違っていました。色メガネは外せなかったけど、それを自分がかけていることには気付けたのです。


◆ 行動に結び付けないこと ◆


こうやって偏見について考えていた当時、G・オルポートの「偏見の心理」という本を手に取りました。ここには、「偏見は表面化に5段階ある」という一節がありました。

偏見の表面化の5段階
1.誹謗、中傷
2.回避
3.差別(生活機会からの締め出し)
4.暴力(攻撃と排除)
5.虐殺、民族根絶

この一節を得ただけでも、多くのことを考えました。思考はまず言葉に表れ、具体的な行動に移ります。昨今、SNSなどでよく見られる誹謗、中傷は偏見の表面化の1段回目なんだ。やはり、偏見というのは知らずに知らずに人の心に現れ、囚われやすいものだとわかります。そして、1段階目でさえ、人を殺す(自殺に追い込む)可能性がある。

そこで、どの国にも一部の民族や外国人を差別し、迫害・虐殺に及んだ歴史があることを思い出しました。一部の国では今も続いています。オルポートが定義した偏見の表面化への五段階は決して稀なケースではなく、恐ろしいことに人間の世界ではかなり普遍的なケースに当たるということに気がつきました。

そのときからもう一度、真剣に人と向き合うことを考え直しました。誰かを知ろう、見ようと思ったとき、「偏見なしに関わろう」と意識するだけで全てを無くすのは難しい。「偏見を持って見てしまっている」ことを前提にし、それを一つひとつ丁寧に横に置く作業をすること。全ては自覚からでした。そして、絶対に表面化させないこと。●●人だからと、国籍で人を傷つけることが決してないよう。

それは、自分の無意識にある思考や言葉を見つめ直すと同時に、偏見とともに生きることを選択することでした。でも、以前よりもっと一人ひとりを人として見つめる楽しさを感じられるようになりました。

あの日、自分の目に色メガネがかかっていることに気付けてよかった。それを完璧に外すことができなくても、自分でそれを認められれば色を薄くすることはできます。

偏見とともに生きていく。

正しくはないのかもしれない。でもそれが私の、自分自身の中の偏見と向き合う形です。






この記事は、「#教養のエチュード賞」に参加させて頂いています。

嶋津さんのこの企画を初めて知ったのは、2回目が終了した直後でした。教養というほど大それたものは自分にはありませんが、この賞に参加するなら、ただのエッセイではなく皆さんと一緒に考えたい何かを書きたいとずっと思っていました。今回参加できて良かったです!



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