月子と小男

「カナリアは歌うもの、電話は人と話すもの、ではあんたはどんなもの?」
ふいに小男に尋ねられ、月子は目をぱちくりさせた。小男は憂鬱そうに積み木をしている。
二人は世界の片隅にいた。
「むずかしい問いね」
月子は頭をひねりながら、うぅっと唸った。自分を定義づけるという機会はなかなかない。すでに三つ目の太陽は沈もうとしていた。
「では逆に問うわ。あなたはどんなもの?」
月子は小男に言った。小男はちろりと目をむけた後、くぐもった声でこう答えた。
「どうってこたねぇ、おいらは積み木をするものさ」
彼の仕事はどうやら積み木で塔を建てることらしい。ときたま斜塔は嫌だな、とか天まで塔が届いてしまったらどうなっちまうんだ、などと誰にいうでもなくつぶやいていた。月子は小さくため息をついた。一体いつになったらここから出られるのだろう。

ことの発端は一通の手紙である。手紙は匿名で、ただ一言「世界の片隅へ」とのみ書かれている不可解なものだった。月子はなんとなくそれをシュレッダーにかけてみた。シュレッダーは心地がよい。すぐに手紙は細い線のつらなりへと変わっていった。
「なんだったのかしら、この手紙」
月子はオレンジジュースをがぶがぶ飲みながら、鼻歌を歌った。酒が飲めないことが月子の唯一の悩みであった。
 月子は歯も磨かずに寝たい気分になった。もともとずぼらなである。これが災いして何度男に振られたかわからない。顔も洗わず、髪もとかさず、デートに行った日に「どなたですか」と彼に他人の振りをされてしまったことは忘れられない。目蓋が妙に重い。
月子は自らの意思で意識を手放した。そういうところは器用な女であった。
 
 そんなこんなで今に至るわけだが、世界の片隅には先客がいた。例の小男だ。小男の背は月子の膝までしかなく、さらに猫背であった。彼の名は、彼曰く小男であった。
「あなたはだぁれ?」
「おいらは積み木がだぁいすき!」
「どこから来たの?」
「おいらは積み木がだぁいすき!!」
「どうして積み木が好きなのかしら?」
「積み木なんてだいきらいさ!へっ」
話しにならない。月子は小男が積み上げている積み木を蹴飛ばしてやろうという気になったが、やめておいた。積み木は彼の全てであるように思えたのだ。決してまともとはいえない話し相手に落胆させられたが、しかたがない。なすすべはないのであった。

「夢は紡ぐもの、本は知恵を与えてくれるもの、ではあんたはどんなもの?」
小男は再び月子に問いかけた。月子はあくびをしながら
「知らないわ」
とだけ言い、物憂そうに空を見上げた。もうすでに五つ目の太陽が沈んでいた。今更ながら不思議な気分である。残る七つの太陽を仰ぎながら、なぜこれらの太陽なまぶしくないのだろうかと考えた。結局、「十二個もあるすべての太陽がまぶしかったらたまったものじゃないわ」という結論に落ち着いた。以前、月子が飼っていた三匹のコーギーたちは皆、大喰らいであった。彼らの可愛さといったらなかったが、同時に食費もばかにならなかった。そういえば今は亡きコーギーたちの大きさは丁度、小男と同じくらいであった。だからといってどうなることでもないのだが、ぼんやりとそんなことを思いながら月子は小男を眺めていた。さして面白くもないが、良い暇つぶしになる。小男は不思議と作業が早く、塔はすでに半分以上も出来上がっていた。気が付けば八つ目の太陽が沈んでいた。

「あなたは自分のことを積み木をするもの、って言ったわよね」
十個目の太陽が沈んだあたりで月子はそう小男に尋ねた。一人、思いをめぐらすのも飽きてきた頃である。小男はひどくしゃくれたあごを上下に動かし
「あぁ、そうだとも!おいらは積み木をするものさ、おいらは積み木がだぁいすき!」
とまるで進展のない答えを返してきた。月子は心底嫌になってしまった。もう少しマシな答えを返してくれないものか。月子は手当たりしだい、問いを小男にぶつけてみた。
「あなたは何の食べ物がお好き?」
「おいらはロールキャベツが好きに決まってる!」
「何時に寝るの?」
「そりゃ寝たいときに寝るさ」
「奥さんはいる?」
「おいらは積み木がだぁいすき!」
「本は読むの?」
「おおいに読むさ、本は知恵を与えてくれる」
「お年はいくつ?」
「おいらは積み木がだぁいすき!」
小男はどうやら自分に不都合なことは取り合わないらしい。ぽんぽんと質問に答えてくれた小男に、気をよくした月子だが一つの疑問が頭をかすめた。小男は何者なのか、どこから来たのか、積み木が好きな理由にてんで取り合ってくれなかったのはなぜだろう。月子はますます小男がわからなくなってしまった。小男は未だ休むことなく積み木で塔を建てている。小男はコーギーと同サイズであるにも関わらず、頑張りはたいしたものであった。
 
十二個目の太陽が沈もうとしていた時、塔は完成まぢかになっていた。辺りはすでに真っ暗だ。小男は積み木の手をとめて月子に尋ねた。
「像はのっしり歩くもの、雲は空を覆うもの、ではあんたはどんなもの?」
「懲りないわね、さっさと塔を作ったら?」
正直、小男にかかわるのは面倒だ。月子はあしらうように言った。すると
「なんだとなんだと小娘め!」
突如、小男の形相が激しくなり
「おいらは積み木をするものさ!お前の上にも積んでやる!お前も塔にしてやるよ!」
手足をバタバタばたつかせ、しゃがれた声でわめきはじめた。月子は豹変した小男にあ然とするばかりであった。
「さぁさぁ塔にしてやるよ!」
小男は餓鬼のような手で、月子の足をがっしと掴んだ。月子は思わず悲鳴をあげた。積み木にされてしまう気がしたのだ。事実そうであった。小男は狂ったようにリズムを踏んで歌い始めた。


お前に届けた手紙はな、あれは罠だよ、呼ぶための!
世界の片隅、おいらの居場所
みぃんな積み木にしてやるよ!

積み木の材料
ほんとは人間
おいらは積み木をするものさ!

おいらの問いを
わからぬ人間
みぃんな積み木にしてやるよ!
お前も積み木にしてやるよ!

月子は自分の存在が積み木になっていくのがわかった。問いに答えられない人間が積み木にされるとは不覚である。月子は人生がはかないものであると悟った。同時にせめて酒の飲めるようになってから死ねればよかったのに、とも考えた。月子はふいにしようもないことをぼやきはじめた。小男はひっと顔を引きつらせた。
「規則はしっかり破るもの、コーギーは餌を喰らうもの、月子はずぼらに生きるもの」
呪文のように唱えた言葉は、ひどく小男を動揺させた。気がつけば月子はしっかりと人間に戻っている。どうやらタイムリミットは十二個目の太陽、最後の太陽が沈むまでだったらしい。ずぼらな月子はそう確信した。塔はぼろぼろと崩れ落ちるばかりである。容赦ない積み木の雨は小男のみに降りかかっていた。とても重い積み木であった。
「おいらは積み木をするものさ!おいらは積み木をする…」
運悪くも積み木の塊が小男の頭に落ちてきた。今までひいひいと逃げ回っていた彼はばったりと気を失い、それと同時に月子の目の前も真っ白になった。

「あら嫌だ」
ベッドからのそりと起き上がり、月子は開けっ放しの窓を閉じた。無用心である。テーブルのぬるいオレンジジュースをちびちびと飲みながら月を眺めた。小男につかまれた足は青くあざになっている。世界の片隅で月子は積み木になりかけた。月子は自分を定義づけ、なんとか小男から逃れることができた。妙に体がだるく感じられたが、甘いオレンジジュースはなぜか至福の味がした。
<END>

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