チマシカ

40歳/デザイナー/九州北部在住 12年くらいずっと痩せたいと思ってる

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最近の記事

頑張れお父さん 4

2022年10月7日金曜日。午後3時から主治医の先生からの説明を家族4人で受けることになった。 不安気な母と緊張した面持ちの弟と一緒に外来の待合室へ入ると、車椅子に乗った父が看護師さんと待っていた。血小板の点滴をしながら座る痩せた父は、家で見る数倍弱々しく見えて「ああ本当に病気なんだなあ」と改めて思わされてしまう。 色々ぶつけたい気持ちと悲しい気持ちと父の前で取り乱したりしたくない気持ちでオーバーヒートしそうだった。 時間になり診察室に入ると軽い挨拶の後現状の説明があり、以

    • 頑張れお父さん 3

      2022年8月5日。カップラーメンでも美味しいと思うくらい病院食が不味くて「このまま病院におったらどうにかなりそうだけんなんさま退院させてくれ」と先生に懇願して、一週間ほど早めに一時退院した父。 コロナ感染真っ只中で自宅から動けない私たちを避け、母と二人きりの数日間をゆっくり過ごしていた。 実家はエレベーター無しの3階。途中途中やすみながらやっと上がれたらしい。前回退院の時はゆっくりではあるけどそこまできつそうではなかったので、だいぶ体力が落ちているんだろう。 この8月の治療

      • 頑張れお父さん 2

        2022年5月18日、両親は42回目の結婚記念日を迎えました。 たまたま退院していたタイミングだったので、両親&と私と弟だけで天草方面へ近場旅行しよう!の計画をたてていたものの、父の「気持ちは嬉しかばってん行っても刺身は食べれんし、なんさま今は病院を遠く離れたくない」という一言で結局叶わず。 じゃあまた機会を見て絶対に行こうね、と約束したものの表情が堅い父。 心の中で「多分もう行けんかもしれん」と思っていたんでしょう。 結婚記念日当日に送られてきた写真には、ケーキをもって満

        • 頑張れお父さん 1

          4月5日に入院、その後抗がん剤治療が始まった父。 急性骨髄性白血病の中でも、予後が非常に悪いとされる骨髄異形成症候群を経ての発症だったため、年齢も考慮すると完全治癒は難しいでしょうと医師は言っていた。 初めは白血病細胞を叩く強い抗がん剤を1クール、その後地固めの抗がん剤治療を4クールという治療計画が立てられた。1クール目に使う抗がん剤は非常に強いけど、倒れる直前まで立ち仕事をしていたという父の体力を見込んでの挑戦。 治療が始まってから1週間で副作用による症状が強くなり、腸が

        頑張れお父さん 4

          床屋、閉店③

          4月終盤にはテナントの退去作業が始まった。 普通は何事もなく終わるはずの退去が、大家の敷金返還渋りや、近所の混ぜくりくそババアのせいで揉めに揉めた。 当初大家との交渉を母一人でやっているうちに何故か話がこじれはじめ「旦那さんは良いひとなのに奥さんはパチンコばっかり行って飯も作らんクソ嫁ごだんね」と言う事実無根の誹謗中傷をくそババアが大家に伝えたり、父の仕事道具を搬出した時に元々あったものまで持って出たという事実無根の出来事まで本当のことのようにでっち上げられていた。 最終的

          床屋、閉店③

          床屋、閉店②

          病院の無菌室で抗がん剤治療を開始し、副作用と戦っている父を心の中で応援するしかない日々が続いた。 店を閉めるにあたって、母一人ではこなせないタスクが大量にあり、弟と私も遠距離ながら少しずつ手伝うことにした。 私は突然閉めることになってしまった店のお客様達に出すご挨拶状と張り紙をまず作成。 「ご愛顧いただきました皆様に支えられ 開店より40年という長い間変わらず営業できましたことを心より感謝申し上げます」 という父の言葉を代弁する文字を入力すると涙がポロポロ落ちてきて止まらな

          床屋、閉店②

          「床屋、閉店」 ①

          4月の上旬、いつまでも当たり前に店にいると思っていた父が倒れた。あまりにも急で突然で唐突で青天の霹靂すぎて、これは本当だろうかと考える暇もないくらい心に余裕のない毎日。なぜこんなことに?と考えると涙がでてくるので深く考えるのも精神的に辛い。 3月5日に私が実家へ帰省。父はコロナワクチン3回目の摂取して2日目で、副反応によって寝込んでいた。ちょっと立ち上がるとふらついて倒れそうになり、38.5度以上の発熱あり。 布団の中で真っ青な顔して寝ている父の姿をみて「すっかり爺さんにな

          「床屋、閉店」 ①

          2016熊本地震後 避難生活対策

          熊本地震後、私達は車中泊での避難生活を選択しました。 悲しいことに、車中泊中にエコノミー症候群になって亡くなってしまった方もいらっしゃいましたが、それでも車中泊を止める人は極少数だった。 その時政治家が「エコノミー症候群にならないように家に帰って」的な発言をしていたけど、蒲島知事が「それができないから車中泊してるんだ」と県民の心情を代弁してくれました。 あのときの「帰宅できない」というのは、家が崩れてしまったという物理的な問題がある人はもちろん、また揺れるかもしれないという

          2016熊本地震後 避難生活対策

          離婚への道程 九

          新婚結婚式も無事終わり、元旦那実家へ引っ越しも完了して2週間ほど経つと、だいぶ落ち着いて生活できるようになった。 私もまだ働いていたため、家事は朝の弁当と夕食作り&皿洗いと掃除を担当。洗濯は元姑担当で、仕事が休みの日には掃除して夕食も作ってくれるという役割分担だったと思う。元旦那は風呂掃除・ゴミ捨て・たまに洗濯。相談して決めたわけではなくなんとなくそういう風に納まった、という感じ。 夕食後は元姑と二人で果物やお菓子を食べて昔話をしたりして、楽しく過ごしていたおかげで肉割れする

          離婚への道程 九

          セロリの葉っぱと父の飯

          昭和20年代生まれの男にしては、結構台所に立つうちの父。まだ店が忙しかった頃は母がメインで夜ご飯を作っていたけれど、小さな頃から朝ごはんは父が焼いてくれたトーストとティーパックで入れた紅茶が食卓にならんでいた。 小学校高学年になるまでせまい2DKのアパートの2階で生活していた我が家。テレビ台にくっつけて置いたちゃぶ台の上にトースターを置き、それぞれが好きなパンを投入。「ジーーーーーィコ」とダイヤルを回し、新聞を読みながらコーヒーと紅茶を淹れる父の後ろを、母が弟の登園準備や洗濯

          セロリの葉っぱと父の飯

          離婚への道程 八

          七を書いた後に思い出した事。 結婚式の三次会で、J君という中学時代の同級生が隣の席になった。J君の家は同級生のたまり場みたいになっていて、よく元旦那も入り浸っていた。 「おめでとうね。まさか結婚するとは思わんかった〜」と酔っぱらいの顔で話しかけてくれ、「ありがとう。私もまさかなんだけどね〜」と返事。すると「いやぁ〜俺が女だったら…うん。あいつとは結婚せんかな笑。だって、やびゃーたい色々と。ねぇ?」  いや、ねぇ?て言われても…。めちゃくちゃ解るけどw 「俺の家に来たときも、シ

          離婚への道程 八

          離婚への道程 七

          義母との顔合わせ付き合ってる期間中、挨拶した程度でまともに会わせてもらったことの無かった義母。この曲者息子を育てた人。どんな人なんだろうとドキドキしていたけど、お上品ぶった明るいおばちゃんだった。 後で聞いたら、人様の子を妊娠させたんだからその日は確実に罵られるだろうと覚悟を決めて来ていたらしい。箸を持つ手は震え、お料理も口に進んでなかった笑。 途中で父が「結納は無しで構いません。その分はこれからかかる費用に回さないといけないだろうし」と言ったら、義母が「あら!よかった〜!

          離婚への道程 七

          離婚への道程 六

          転機付き合いだして早2年。福岡まで追いかけてきた後くらいから急に束縛が緩くなり、誰かと遊びに行くときも「はいはいいってらっしゃ〜い」と送り出すようになってきていた。 これってもしかして別れられるんじゃないか?と淡い期待をしちゃうくらい疎遠になれそうな雰囲気。あいつもいよいよ反抗的な私に飽きてきたのかもしれない。 そう思っていたある日、会社の検診で要再検査の封筒を渡された。引っかかった項目は子宮がん。中身を見てびっくりしている私以上に手が震えて青ざめた副社長から「今日早退して

          離婚への道程 六

          離婚までの道程 五

          どこまでも追いかけてくるあいつ小中学校・高校・専門学校と、それぞれに仲のいい友人たちが居て、たまに会って近況報告などしつつご飯を食べるというのは、別に特別なことでは無いよね。それを元旦那は『異常だ』『無駄だ』と言う。そんなに会って話すことある?何のために会う必要がある?と、毎度グダグダグダグダ言っておりました。 そう言っているご本人様は、毎週日曜日に中学校時代の同級生とフットサルを楽しんだ後友人宅に集まってゲームをする。そのことははきれ〜〜〜に棚の上に置いてグダグダグダグダ…

          離婚までの道程 五

          離婚への道程 四

          楽しくない連休会社勤めをしていると、大型連休の前はワクワクしていろんな計画を立てたりして浮足立つでしょう。私もそうでした。元旦那と付き合う前までは。 付き合い初めて1回目のGWは、何をしたのか全く記憶に残らない程鬱屈とした毎日だったと思います。ただ覚えているのは、行くあてのないドライブ中の息苦しい時間。何か会話するわけでもなく、渋滞にはまるとものすごく不機嫌になって「みんなこの世から消えればいいのに」とつぶやきだす元旦那に「お前が消えたら即解決」と心のなかで思っていた。 2

          離婚への道程 四

          離婚までの道程 参

          数日前に娘からの伝達で知りましたが、元旦那が再婚されたそうです。おめでとうございます。 すごい束縛、一方的な喧嘩付き合い始めて半年がすぎる頃、二人きりのときには完全に元旦那の支配下に置かれていた。無駄なことを言わない・聞かない・考えない。どこかへ行くときは1歩どころか3歩下がってついていく。しかし面倒な手続きなどは私が5歩くらい前に出て率先してやる。何があっても毎日会う。友達と遊ぶときには元旦那の許可必須。 しかし根がおてんばな自由人なもんで、そんな大和撫子に完全に染まる

          離婚までの道程 参