見出し画像

【フィリピンFW2023】マニラ編~貧富の差を肌で感じた1週間~

 みなさんフィリピンと言ったらどんなイメージをお持ちですか?
海がきれいなセブ島のようなリゾート地? 美味しいハロハロ(フィリピン版かき氷)?それとも、年中暖かい常夏の国?
 私たちが今回参加したフィールドワークでは、上記のような「きれいな」フィリピンを体験しに行っただけではなく、その陰に隠れて存在している問題を学ぶことが目的でした。
 滞在した地域としては、フィリピンの首都マニラ、そしてミンダナオ島の南東部に位置するダバオです。

 マニラに1週間、ダバオに1週間合計合計14泊、15日、フィリピンに滞在し、毎日朝から夜までたくさんのことを吸収しながら、常夏の国フィリピンで参加の1~4年の学生11人はそれぞれ真剣に問題と向き合いました。
 学生たちが調査にあたった問題は、貧困・OFW(フィリピン人海外労働者)・ジェンダー・日系人・経済です。これらの中でも、著者であるフィリピンFWリーダーの海老原が特に印象に残っている「貧困」・「日系人」の2つのテーマについて記していきますので読んで頂けますと幸いです!
 まずは、マニラで学んだ「貧困問題」についてお話させて頂きます!フィリピンではストリートチルドレンが街のあちこちにいることはご存知の方もいらっしゃるでしょう。私たちもマニラ滞在先のホテル前で夜になると「Can you give me money? I’m hungry」と大きな目で訴えてくる子供たちに何度も遭遇しました。
 滞在していたホテルは、マニラ首都圏の中でも高層ビルの密集度が最も高く、比較的治安のよいマカティ市の繁華街でしたが、夜になると、ストリートチルドレンを見かけました。
 経済発展をし、東京とさほど風景が変わらない街でストリートチルドレンを見ることになるとは思わず、かなり衝撃を受けましたが、これがフィリピンの貧富の差の現実なのです。
 貧困問題では、実際に地元のNGO団体のスタッフの案内でsquatterと呼ばれる不法滞在者のもとに行き、子供たちと交流をしたりしました。訪れた地域は、マニラ首都圏北部のナボタス市のあるバランガイ(行政の最小単位)です。彼らは貧困の状況に負けず、みな夢を持ち学校に通っています。不法滞在者といとなんだか暗い、危ないイメージですが、みんな日本の子供と変わりません。お菓子を持っていくと喜び駆け寄ってきて、カメラを向けると笑顔でもっと撮ってとせがんできます。

ナボタス市内のスクォーターで出会った無邪気な子供たち
彼女たちはそれぞれ看護師や警察官、教師になる夢を持 っている
ナボタス市内のスクォーターにはびこる盗電用の電線
ナボタス市内のスクォーターの敷地に積み上げられたごみの山

 彼らは地元の自治体から開発のために、立ち退きを要求されています。ここで作ったコミュニティを壊されることが嫌だと住民は教えてくれました行政が解決できていない貧困下であえぎながらも懸命に仲間と共に生きている彼らは住民間の絆がとても強いことが伺えました。
 次に貧困問題を学ぶために訪れたのは、マニラ市内に施設がある「カンルンガン・サ・エルマ」です。「カンルンガン」とは、タガログ語で「避難所」や「駆け込み場所」という意味です。名前の通り、カンルンガン・サ・エルマでは子供たちを避難させ、保護しています。

カンルンガン・サ・エルマの施設の入口

 カンルンガン・サ・エルマでは、男の子は6歳から12歳、女の子は6歳から14歳までを受け入れています。ここに来る子供たちは自分の家庭やストリート生活時に経験した虐待などのトラウマを持っているため、心理面の対応としてアートやダンス、音楽をボランティアのアーティストから学び、セラピーを行っている子どももいます。私たちが訪問した際、得意の歌やダンスを披露してくれ、とても人懐っこく、この子たちが虐待を受けていたとは考えたくありませんでした。 

保護されている子供たちが歌と踊りで私たちを歓迎してくれた

 カンルンガン・サ・エルマでは10カ月間施設に保護されたあとは、別のシェルターに移ります。中には家族の元に戻る子もいて、家庭に戻った後も子供のケアプログラムが用意されています。
 カンルンガン・サ・エルマで出会った女の子で印象に残っている子が1人います。彼女の母親は日本に出稼ぎに来ていて、女の子を親戚に預けて日本に働きに来ています。
 しかし、その親戚に虐待をされてしまい、カンルンガン・サ・エルマで保護されていたのです。この話から、OFW(フィリピン人海外労働者)の問題は虐待等彼らの子どもの問題にも繋がっているのだと強く感じました。彼女は母親のいる日本に行くために、日本語をオンラインで勉強していていると施設の方が説明してくれました。
 OFWはフィリピンの経済を支えている一方で、このように幼い子どもを残して働きに行く親が多くいて、その子どもたちが虐待を受け、シェルターで保護されています。出稼ぎに行くことで、その一家は裕福になるかもしれません、しかし、彼女のように親戚から虐待を受ける経験をしてしまう子どももいます。机の上で学んでいた時には見えなかった問題が見え、やるせない気持ちになりながらカンルンガンを去りました。
 懸命に前を向いて生きる彼らの未来が明るいものであるため、私は何ができるだろうかとフィリピンを去った後もナボタスやカンルンガンで出会った子供たちのことを思い出します。
 ひとつ簡単にできることとすれば、このような形でみなさんにお伝えしていくことでしょう。多くの人に知って頂けることで彼らの存在が広く知られるようになります。
 明るく楽しそうなフィリピンで、その陰に隠れる問題を少しでも知るきっかけになれば幸いです。
 改めて、ダバオで学んだ「日系人」の問題について記しますのでぜひご覧ください。(地球市民学科 4年 海老原里美.)