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写真のこと

私は写真が好きだ。
写真を学べる学校に通い、写真を始めてからちょうど3年が経つ。
どんな事でもやってみれば案外できるものなのかもしれないけれど、音楽が作れるわけではないし、絵が描けるわけでもなかった。
その点、写真はカメラさえあれば誰でもできるという気軽さから私でもできそうだと思った。
今でも自分にもできそうな表現は写真ぐらいじゃないかと思っているし、やってみた結果、自分に合っていた。当時はそんな事は考えずただ興味があってやってみたいと思ったのと直感だった。やはりその直感は合っていたのだ。
写真や写真を撮ることは好きだが、それ以外には興味が持てなくて学校にはあまり行けなくなってしまったのだけれど写真と出会えて、色んな人や機会と出会えて自分の世界が広がった。見える景色が変わると、それを写真に残すことができた。



写真を始めてからすぐにポートレートを撮り始めた。性別や年齢関係なく、同年代のポートレートから、40代男性のヌード撮影までしたことがある。
相手との信頼関係はもちろん、コミュニケーションを大事にしていて、コミュニケーションとは言っても、信頼がある上でなので撮影が始まるとお互い集中して必要最低限のことしか話さなかったりする。
それでも伝わるし、ファインダーを通して会話をしている。

初対面の人に写真やってますと言うと、花とか撮ってそう。と言われる私ですが、一般受けするような明るくふわふわとしたイメージの写真とは正反対の写真を撮っている。(今の気分的に撮るなら何気ない風景や植物も撮ってみたい。)
自分の内面の暗さが出ているのか、それとも、相手の内面を引き出したいと思っていて、常にそれを心がけているが、人間の影の部分を強く引き出してしまうのかもしれないとも思っている。
それは、マイナスなことではなくきちんと自分自身や相手、また被写体が自身と向き合った結果それが表にも出ている。



小さな印刷屋さんや、有名なメーカーさんの展示場で写真展をやらせてもらったこともある。
しかし、最近は写真が撮れなくなってしまった。
だからこそ、noteを始めてみたり。元から好きだった本や映画をみたり。
写真から距離を置いていても素敵な写真を見かけると心が動いたりする。
写真が嫌いになってしまったかというと多分、そうではなく、意識しないところで繋がっていて、離しても離しきれないのだと思うし、逃げるに逃げれない、辞めるに辞めれないものだと思う。

自分にとって写真とは生活の一部であり、自分の一部でもある。これからもじっくりゆっくり向き合いたい。


そして、いつか気の合う被写体さんを見つけて対等な一人の人と人として向き合いたい。
動けなくなってしまって、撮れなくなっているけれど、それも関係なくなるくらい心が動いて身体を動かすことができるならば、
私が撮りたいと思う人、どうしても私に撮ってもらいたいと思う人がいれば、日本全国、世界のどこまででも行きたいと思っている。

撮影依頼いつでもお待ちしてます。