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閉鎖的な中国の内陸都市で外国人が暮らすということ

そろそろ潮時かな。
今の大学に来てこの9月で5年目に入る。

外国人ならほぼ名前も知らない内陸の辺鄙な町の3流大学。
マックもスタバもない4、5線都市。

だからこそ4年前3歳の子供をつれて行こうとする私を受け入れて幼稚園の手続きまでやってくれた。離婚して途方にくれていた私を救ってくれたこの場所。

来た当初は天国だと思った。毎日感謝でワクワクの中で仕事をし、生活をしていた。一緒に働く同僚の中国人も外国人教師の仲間もみんないい人で、よく一緒に集まってパーティーをしたり食事会をしたり、ただただ楽しくて楽な毎日だった。

ここで定年まで働くのもありかな、などと思っていた。
ただ娘の学校のことだけが、気がかりだった。

大学生はおバカな子が多いけれど、可愛くもある。みんな礼儀はわきまえてているし、特別に仲良くなった子たちもいる。

来てたったの半年であのコロナ騒動が勃発し、それから3年間は異常体制の中での中国生活だった。厳しいゼロコロナ政策という名の管理は、支配者側に都合のいいシステムを完全整備するための期間だった。

コロナ騒動を経て、色々と変わってしまった。

この閉ざされた砂漠の町の閉鎖的な人民の性格は1年目にすでにわかったけれど、この大学のおかしさに気づき始めたのは3年目くらいか。

レベルの高くない大学なので教師は青年教師が大半で、博士号を持つ教授は外国語学院には2人しかいない。20代から30代の独身青年教師が多く、海外経験も人生経験もない。

外国語教師なのに外国に行ったことさえない人が多いのはちょっと驚きだった。中国式思想教育をどっぷり受けて外の広い海をみないまま本と画面の中だけで知った外国を真実だと思い込み、それを学生に教える。

外国語教師なのに生外国人を初めてみて緊張したり警戒したりする。コロナ封鎖によってその傾向はより強くなったように感じる。

沿岸の国際都市の中国人とは全く別の人種だと思った。

まあ教師が未熟なのは我慢できるとして、(彼らも一応努力しているし)腹が立つのは学校のやり方。

コロナ禍に「特殊な状況だから」と休みをなくしたり早めたりしたのをいいことに、ゼロコロナ政策が終了した前学期もゴールデンウィークを勝手に短縮して夏休みの開始を早め、次の学期の開始も早くした。

この学校は他の教育機関と休みを合わせることを考えない。子どもがいる教師のことを一切考えない。独自に国家指定の休日も無視する。

子どもたちはまだ休みなのに大学だけ授業があるので仕方なく子連れで出勤する。さらに教師は学生が戻る1週間前から出勤を要求されている。外国人教師は除外されていたが、今年から少し雲行きが怪しくなってきた。

外国人教師より仕事量は遥に多いが給与は安い中国人教師の中にはその待遇の差に不満を持つ者もいる。何より今の若い日本語科主任もその1人だ。
そんな不満をうまくなだめていてた外国人にフレンドリーだった校長は、1年前に定年退職してしまった。

外国で異邦人として生活している外教と地元で働いている自分を単純に比べるものじゃないが、外国に行ったこともない人にはそれすら想像ができないようだ。

そんな校長もいなくなった今学期は、外国人教師も学生が戻る前の週にミーティングや資料の提出で呼び出されている。外国人は免除されていた1学期分の教案提出や新しい授業を担当する際の15分模擬授業も今学期から要求するみたいだ。

大学の先生が毎学期教案提出や模擬授業って、は?何それ。本当驚き。

外事部の教師は言う。
うちの大学はレベルが低いから教師に求める教学の質も高くない。優秀な大学に行けばレベルの高い授業を求めれられるから、その点は楽じゃないですか。

確かにそうかもしれないけれど、今シングルマザーの私が職場環境に求めるものは、何より育児と両立できる環境だ。
それがよくて中国の大学教師を選んだ。それこそが最大の理由。

私自身一流大学を卒業しているし、別に頭が悪くて質の高い授業ができないわけじゃない。それは求められてもいいし、むしろ質の高い授業をする優秀な他の教師から学びたいし、熱意のある若い教師に経験をシェアしたいとも思っている。

3流大学では教師にやたら雑用ばかり押し付ける。
眠たい講義や長ったらしい会議、誰がちゃんとみているのか分からないのにやたら長く細かく書かされる資料の山。

中国人の先生たちは授業がない時間も朝から晩まで職員室にいることを要求されている。中国でもレベルの高い大学では基本的に教師は授業の時だけ来ればよくて用もないのにデスクに座っていることは求められないと聞いた。

それはそうでしょう。
大学の先生というのは授業以外に自分の研究をするはずだ。その時間があってこそ教学の質も上がるものである。

教員が教員の出勤管理や提出資料の作成に追われていたら肝心の授業準備をする時間がない。

この大学は教師を全く信用していない。学生と同じように監視管理する。
だから、海外留学経験のあって視野が開けている先生や、学生に愛されている熱意ある先生、優秀な先生たちはみんな辞めていってしまう。

私が来た当初と今ではずいぶん同僚の顔ぶれが変わってしまった。外国人教師も。新しく来た人や残っている人はちょっと性格が閉鎖的で付き合いにくい人が多くなった。

私が環境に慣れて悪いところが見えるようになっただけかもしれない。
職場も町も、3年過ぎれば真相が見えてくる。

町の魅力は確かに少ない。若い優秀な教師がいなくなる理由の1つは場所にもある。

こんな田舎にいたら、大学以外の友達もできないし恋人もできない。30すぎてずっと寮暮らし。月に1、2度実家に帰る生活を35になってもしていると流石に焦りも出てくるだろう。親に見合いを急かされている教師もいる。

まあ、他の人はさておき。

私もこのままここにいてもこれ以上友人も増えず恋人候補も現れない気がしてきた。趣味のサークルなども見当たらないし大人の習い事もほとんどない。外国人が参加できるようなイベントもない。

日本人もいないのでたまに日本語でコーヒーを飲みながら中国の愚痴を言い合うという息抜きもできない。これは海外生活において精神安定にかなり大きい要素。(来て半年間だけ日本人の同僚がいた。かなり助かっていた)

日本料理もマックもない。5年目になるともはや周囲に食べたいものがない。なんせ外食の選択肢は牛肉麺か羊肉か火鍋しかないのだから。

娘も中国のあちこち旅行したおかげで?住んでるこの町が一番何もない!からっぽ!と文句を言っている。

山の麓で、広大な道路が広がり、人も車も少なくて気持ちが良いところが気に入っている部分ではあるけれど、人との交流が少ないのが寂しくはある。

公立の学校しかないし、娘の教育の選択肢も少ない。
最近インスタでマレーチャイニーズの方と知り合った。私は子どもが生まれる前マレーシアに住んでいたこともある。

海外にいる華僑と本土の中国人は全く違う。
視野が違う。思想が違う。内陸に来て見て、それがよくわかった。

娘のためにももう少し国際的視野を持った人たちの中で育つ方がいいかもしれない。今後本格的に学校で戦争時代の教育が始まる前に、やはりもっと外国人がいる町へ移ろうか。国際学校や日本語補習校などがある都市の方がいいだろうな。別にこの地に夫がいて離れられないわけでもないんだし。

子どものことを考えて場所を変わるなら小学3年生に上がるタイミングまでと小さい時から考えていたので、あと1年。
とりあえず契約期間を2年3年にもできると言ってきた外事部の先生には1年でちょっと考えたいと言った。


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