「大丈夫?」依存症

どうも~千夏です。
今回は大丈夫という言葉について書きます。


友達に「千夏、大丈夫?」と聞かれて
「大丈夫」と答えると「大丈夫じゃなさそう」と言われた。
「大丈夫ってスムーズに言えるときは大丈夫」(かどうかは知らないけど大丈夫の意味を自分のコンディションに限定するならなんとなくそんな気がするのだ)と言ってみても「えー?そうなのー?」なんて返ってくる。

どうやら友達には自分が疲れて見えたらしい。


その時の自分は大丈夫だったのだけれど大丈夫だと証明する術がない。
最終的に「本当は大丈夫だったとしてもさー、相手が本当に大丈夫なのか確認する方法ってないよね。」と友達には答えておいた。
「確かにそうだよね、大丈夫かどうかって結局確認できないよね」と友達は答えた。


大丈夫じゃない人は「大丈夫」と答える。
もちろん大丈夫な人も「大丈夫」と答える。
だからその答えに心配して、本当に大丈夫なのか知りたくなって、「(本当は)大丈夫じゃないでしょう」と問う人がいる。

それでも本当に大丈夫なのかは本人にしかわからないし時には本人にも分からない。


また、ある時の話。
自分は親戚の子どもたちと遊んでいた。
彼らが転びそうになるたびに自分はつい「大丈夫?」と聞こうとしてしまう。
なぜ聞くではなく聞こうとするなのかというと聞けないからだ。
それは聞きたくないからとか聞こうか迷うとかではない。
スムーズに「大丈夫?」が出てこなくて
実際には「だっだっだ…!」になってしまうのだ。

最近は特にだ行が言えないので必然的にそうなる。
ちなみに「平気?」というセリフでも同じことになる。
ついこの前までは言えることのほうが多かったのだが最近は駄目だ。
「大丈夫?」が聞けない体質を手に入れてしまったらしい。
ちなみに「ダメ」という台詞も言えないのではっきり大丈夫じゃないことを伝えることもできない。
不思議な制約をかけられた気分だ。
(じゃあどう答えるのかというとすぐに答えを伝えたいときにはマルバツのジェスチャーを使う。zoomなどのオンラインの場ではおなじみのジェスチャーなのであまり不思議そうな反応はされない。また、冒頭では「大丈夫」と答えたとあるがこの日は吃音の調子がとてもよくてたまたま言えたのてある。ほとんど「大丈夫」がスムーズに言えることはない。)

話を戻す。
「だっだっだ…!」が「だいじょうぶ?」にならないうちに
彼らはまたどこかに行くし、実際にけがをしていることはない。

こちらのシチュエーションではこの言葉で傷つけることはなさそうだけれど、
聞けなくても意外と問題がなかった。



いかに今まで「大丈夫?」という台詞を言っていたかがよく分かる体験である。

「大丈夫?」が言えないのは不便だけれど、
安易に言えなくなるのは時として便利かもしれない。


簡単に言えない分、この言葉で傷つけるリスクは減るし、この言葉の意味を考えるようになったからだ。


「大丈夫?」は時として人を傷つけるし、本当の答えは言えなかったりする。

だけど、言えないなら残る問題がある。

自分はこれに代わる言葉が分からないのだ。

「大丈夫?と言うな」とはよく言われるけれど代わりの行為や言葉がない。


それとも「大丈夫?」という言葉は心配症の自分が使いすぎているだけなのだろうか。

これを読んで考えすぎでしょと思う人にはぜひ
丸一日「大丈夫?」を言わないというルールで過ごすというのをやってみてもらいたい。
もちろん答える方(「大丈夫!」)も禁止で。





ついつい使ってしまう言葉がたまたま使えなくなってふと思ったことでした。それではまた~。