知らないことは悪いことじゃない!いけないのは決めつけることなんだ

どうも~千夏です。今回はNHKの教育番組「u&i」最新回について書きますね。感想と自分語り両方を書くのでどちらか飛ばしたい人は飛ばせるようにしておきます。
「u&i」の「どうしてあんな話し方するの?~きつ音」については以前も記事を書きましたが自分語りを書きすぎたので今回は読みやすく分けます。吃音当事者としての感想ではあるもののかなり考え方や症状には個人差があるのでそういう人もいるよ、程度にみてくださいね。長いので観たいところだけ見るという見方でよろしくお願いします。

↑ここから再生リストにとぶと本編を見ることができます。

番組本編についての感想・内容紹介


ココロの電話


伝えたい相手を思い浮かべれば話せるココロの電話がすごくうまく機能してる回だと思いました。
このココロの電話は心の中と繋がっているという設定のため言語が違う人や耳が聞こえない人ともつながることができます。

この設定によって普段はうまく話せないユウ君でも話ができるのです。

「もしわざとやってるなら・・・」「わざとじゃない!」


「わざとやってるの?」という質問は本人にとって辛いかもしれないけれど他の子にとってはそう思うのは相手を傷つけるものではなく素朴な疑問なのだろうな~。

ジロウはかせのメッセージ

「もっと知ったら広がるよ もっと知ったら変われるよ」という番組の中で説明や補足を担っているジロウ博士の言葉にそうなんだよな~と強く共感。

知れば変われるはず。「知ることは変わること」だとある人が自分に教えてくださったことがありますが本当にその通りなんですよね。

この歌詞は「知らないアイちゃんは悪くない。今まで知らなかったアイちゃんも悪くない。でも知れば今の状況がより良くなるよね」というメッセージなのかもしれません。
ジロウはかせの台詞でこんな言葉もありました
「話そうとしているってことは伝えたいことがあるってこと」

この言葉に強く心を打たれました。すごく良い。「話そうとしているってことは」とあるけれど話そうとしていなくても伝えるために別手段で努力している人もいるということも知ってほしいです。手話、筆談やメールなどの文字媒体での方法、身振り手振りを使う人もいますし、随伴運動を伴う会話(話す際に体が無意識に動く症状あるいは言葉を出しやすくするために体を叩いたり動かしたりする症状)になる場合もあります。部分的に使う人、場面で使い分ける人、声を出さない方法メインで生活する人などどのようにするかは人それぞれです。

見守ってほしい


番組の中で吃音のあるユウ君はクラスメートのアイちゃんに次のことをお願いしていました。


言葉の先取りをしないでほしい。(「言葉の先取り」とはユウ君の言葉が出てこない時に先に予測して言葉を言うこと)
喋り方より内容を聞いてほしい。
(吃音が出ている時に)「ゆっくりね」、「落ち着いて」を言わないでほしい。
見守ってほしい。

お願いすることは人それぞれだとは思いますが、こういうふうに何をしてほしいかをあらかじめ伝えるのはすごく大事なことですよね。伝え方って難しくてどうするのが良いのか迷っていたんですが自分もユウ君のように何をしてほしいのかを明確に伝えようと思いました。

言えないことの苦しさはアイちゃんにもあった


吃音でなくてもうまく言えなくて苦しい思いをしたことがある人は多くいると思います。自分も吃音以外の理由でアイちゃんのように苦しい思いをしたことがあります。だからその苦しみはみんな共通なのだと思います。ただし、「吃音以外の人にもそういうことはあるからあなたの苦しみも私と同じだよ。」というふうにいってしまうとそれは違うと思う人もいるので注意が必要かもしれませんが、、。

番組全体の感想

メディアにありがちな、症状の説明して終わり!みたいな感じではなくて良かったです。それだけだと周りの人がどうしたらいいのかは伝わらないし「そういう(症状を持つ)人がいるらしいね」で終わってしまうので症状よりユウ君の苦しみに焦点が当たっていたのが良かったです。

実際には吃音の症状を知られないように言い換えや言えない言葉を諦めて隠している人もいるのでみんながみんなユウ君やこの記事を書いている自分のように知ってほしいとは思ってはいないかもしれません。
吃音のヒロインが音楽を通して心を開く「ラヴソング」というドラマが放送されたとき、ドラマのせいで(自分の症状を)知られたらどうしようという内容のツイートをした人がいたそうです。吃音に関する情報は曖昧なものが多いし、捉え方のスタンスも、親や友達からどのように吃音について言われてきたかも一人ひとり違います。だからこの記事だけで全部を知ったとは思わないでほしいです。吃音の症状や苦しみに関しての情報はこの番組だけでは足りないと思いました。でもそれは仕方のないことです。症状の説明は二次的な物を含めたらかなり長くてそれだけで終わるし、ユウ君の苦しみは一例でしかないからあくまでも「ユウ君の場合」でしかありません。


自分の体験

自分の体験を一部書きます。番組に絡めて書きたいので小中学校時代の経験メインにします。

吃音に気づいた人と自覚のきっかけ


吃音があることに気付いたのはおそらく親です。「おそらく」なのは吃音があることに自分が気づいたのが遅すぎてどのくらいからそう思っていたのか正確な時間が分からないからです。親が気づいたと書いているのは吃音があることを理由にことばの教室(通級)に通っていたからです。担任の先生が気づいて親に言ったのか、親が気づいて担任の先生に連絡したのかはわかりません。
自分が自覚したのは小学1年の頃ですがそれも一度どうしてこんなはなしかたなんだろうと友達に問われて良く分かんないと答えた数分です。おそらく彼女は番組のアイちゃんのように素朴な疑問でそう聞いたのでしょう。アイちゃんと違うのはその疑問以外に不満を持ったり、わざとやってるのかななどと言った疑問がなかったことです。もちろん心の中では「わざとなのかな?」と思っていた可能性はありますが、問われなかったので分かりません。その会話が終わった頃には忘れていたくらい気に留めていませんでした。

ことばの教室に通う前の話


通う前は何故通うのか分からずなんとなく通うという感じでした。親からの説明もあまりありませんでした。妹経由でその教室に通う理由が「吃音」であることを知りました。「千夏ちゃんは言葉が上手く出てこない、吃音があるから通うらしいよ」と妹が言ったことで理由を知りましたがその時も会話の中でたまたまそういう発言を聞いたというだけで妹が自分に吃音についてを伝えたわけではありません。

ユウ君のように吃音を伝えたか


小学校時代クラスメートには小6の終わりまで伝えていませんでした。理由は特に授業で困っていなかったし、クラスメートが自分の吃音を気にしたり、からかったりという経験がなかったからです。伝える必要を感じなかったから伝える発想がなかったという理由で伝えませんでした。だったらどうして卒業する直前に伝えたのかというと卒業式の際吃音で支障が出て伝える必要が生じたからです。

どのように伝えたか

小学校時代は吃音を自分で直接伝えることはあまりありませんでした。
「なぜそういう話し方なの?」と聞かれれば「千夏(当時使っていた一人称)って元々こういう話し方だから」と答えていました。やがてそれが「良く理由は分からないけど生まれつき吃音っていうのがあってそういう話し方になるの」と具体的な説明に変わりました。

一対一で聞かれたときだけという限定的なものではありますが聞かれることに抵抗はあまりなかったと思います。ただ素朴な疑問として上のような聞かれ方をされた場合以外は隠したり、戸惑ったりしていた気もします。

医師である親戚に伝えた時のこと


親戚の集まりで医師をするおばの前でどもったことがありました。
その時は話している途中でかなり激しくどもってしまい息が切れたのでおばが「千夏、どうしたの?」と自分の母に聞きました。おばは自分(千夏)が吐くのかと勘違いをしたそうです。吃音があって時々つっかえるんだと母が説明したことで納得していました。医師であっても自分の話し方が吃音だとすぐには分からない場合があると知りました。おばが吃音を知らなかったのか、吃音は知っていたけれど姪である自分にあることは知らなかったのかはわかりません。この経験から吃音を知らない人や自分に吃音があることを知らない人って意外といるなと思うようになりました。

卒業式で台詞が言えなくて

卒業式の練習で一人ひとりが言葉(台詞)を言うというのがありました。
在校生は代表者のみですが、卒業生は全員言う機会があります。
在校生だった時は代表者に選ばれなかったので(やりたい人がかなり多かったから)卒業式の言葉を言うのが楽しみで仕方なかったです。ちなみに選ばれなかったことを吃音のせいだとは思っていません。言うのが上手い人はたくさんいるし、自分は学年やクラス内のオーディションなどでどもったことがなかったからです。練習中も楽しくて楽しくて早く卒業したいな~卒業式したいな~と思っていました。ところが、ある日一度2、3秒ですが誰が聞いても分かるレベルでどもってしまいました。次の日の練習では言えたし、その「ある日」もその時にどもったこと以外には変わりない1日でした。しかし一度言えないことがあると卒業式で言えるのか不安になりました。発表をしたり、意見を言う時にはどもってもいいとおもっていたものの卒業式という一度しかない大きなイベントでどもるのは嫌でした。言えないことについては誰も何も言ってきませんでした。それでも悔しくて悲しくて吃音って良くないのかなと思うようになりました。

卒業式での配慮

言語教室でその話を自分の担当の先生(一対一形式で一人自分を担当する先生がいる)にしたところ、一緒に配慮を考えてくださいました。順番を入れ替える?それとも削る?と提案してくださったのですが卒業の言葉が書かれた紙があったので「台詞自体を変えてしまうと(吃音を同じクラスの子に伝えたとしても)他のクラスの子になんで?と思われるから嫌」と答えました。
そこでクラスメートに自分には吃音があることを担任の先生経由で伝え、台詞を変えてくれる人をその流れで募集しました。吃音という言葉でクラスメートに伝えられるか不安だったため自分は吃音という言葉は使わないでほしいと先生にお願いしました。先生はそれに配慮してくださったので「時々言葉が出にくいことがある」という説明でした。先生の説明は良かったのにその説明を先生がすると自分が他の子とは違うんだということを知ったのが怖くてその説明の間は顔を下に向けていました。吃音の説明が終わった時涙がこぼれました。良かったのはここからです。卒業式の台詞についてを先生が話すと、何人かの子が手を挙げて台詞変えて良いよと言いました。ただその子が信頼できる良い子であっても台詞によっては苦手な文字があるため何人かの子にはその言葉はむずかしいかもと断りました。

卒業式の配慮を受けてみて

クラスメートの反応が優しくて安心しました。担任の先生も言葉の教室の先生も親も理解して配慮してくれましたしそうしてもらえたことは幸運でした。クラスの違う妹も「千夏は吃音があるから卒業式で台詞を変えるらしいね」とは言ったけれど良い意味で何も気にしないでいてくれました。
どんなに良い人たちがいて良い対応をしてくれても苦しみがなくなるわけではありません。今でも元の台詞を言いたかった気持ちはあるし、そこに関しては変わりません。変えてもらった台詞は卒業式が終わった日に忘れたのに、言えなかった台詞は今でも覚えています。
代表委員会に入り、応援団に立候補し、学級会では必ず意見を言い、音読は強弱と句読点に意識をすればスラスラできたので吃音を気にすることがなかったのです。どもってもクラスメートが何か言ってくることはなくそれまでどもることを恐れることはありませんでした。
このように初めて吃音がマイナスであると感じた出来事でもありました。

吃音の症状の有無や範囲を知るのは当事者でも難しい


吃音があることを知っていてもどこまでが吃音の症状でどこまでが単に考えながら話していたり、吃音とは関係なく言いよどんでいるのかを知ることは難しいです。吃音を持っている自分でもこの人は吃音なのかなと思うことがあっても断言できません。それには決めつけてはいけないという思いや、言ってはいけないというためらいの気持ちに加えて判断が難しいという理由があります。だから気づけなくても、自分の吃音を知らなくても謝らないでほしいと思っています。良くいる割には気づけないし、知られていないのです。

中学入学前

小学校を卒業するころ言語教室の先生からある提案をされました。
それは中学校で吃音を伝えることです。
クラスメートに伝えないと隠し事になる。一度言うのを見送るとどんどん言えないことになるのだと先生はそうおっしゃっていました。どういうふうに言うのかさんざん考えたけれどできれば言いたくないな~と思っているうちに卒業を迎えました。


中学の壁

入学式の日となりになった子に初めてかけられた言葉は「不思議な話し方だね」でした。どうしてなのかと聞かれれば説明できるのに、面白いとか変とか言われると言いたくないという気持ちが大きくなっていきました。
小学校ではたまにしか吃音を気づかれることも気にすることもなかったのだから入学式ぐらい「普通」でいたかったのに。少しモヤモヤしました。

「傷つけてごめんね、私いじめっ子だよね」

となりになった子からは面白いとは言われたものの悪い子ではなかったので話をすることが多くありました。その流れでなぜか交換日記をすることになりそこで彼女に吃音を打ち明けました。
すると彼女は謝りました。口頭でも、交換ノートの中でもです。「傷つけてごめんね」という内容が長い文でつづられていました。「私完全にいじめっ子だよね」ともありました。そんなふうには思っていなかったのに、、・罪悪感を強く持っていることが分かり自分も反省しました。
「吃音を知らない子を無意識のうちにいじめっ子にしてしまう」
吃音について言わない事にはそういうリスクが伴うと学んだのに2年になってからまた吃音に関する人間関係のトラブルがありました。他にも何人か吃音を「面白い話し方」だと言った子がいましたが1年の頃は交換日記をした子といつもつるんでいた数人の子にしか吃音については話していませんでした。

吃音をからかった子を悪者にする先生

2年になってから吃音をはじめとしてありとあらゆることをからかう子がいました。声も存在も顔も否定してくる彼女が怖くて話すことが減りました。吃音だけは否定しないでほしいと思い担任の先生に頼んで伝えてもらいました。ところが先生は吃音のことをからかう子が何でも悪いと言うようになって本当は何もしていなかったり悪くないと思う時まで彼女を責めるようになりました。

自分から吃音のことを言う

この経験の後は特にトラブルはないのですが、他人を介さずに吃音のことを言うようになりました。自分を通して吃音について知ってもらえれば吃音を知った誰かが他の人を傷つけずに済むかもしれないと思い、ここに書いたり、友達に話したりしています。

すごく長くなりましたがまとめも書きますね



まとめ

ユウ君の話はひとつの例にすぎない。
知らなかったことは悪くないけど知らない人はこれから知ってほしい。
思いもスタンスも人それぞれ。
伝えないだけで傷つけているという可能性がある。
伝えることにも伝えないことにもリスクはある。
伝えてもらった人も決めつけは良くない。


大体言いたかったことはこんな感じです。

長くなったけれど終わります。ここまで読んでくださりありがとうございました。