他人を批判して地球から出ていきたいと思ったとき相手の事は視界から追いやっている【読書記事】

どうも~千夏です。久しぶりに読書記事を出します。
内容は再読本、朝井リョウ著の「正欲」についてです。

「本を書くことは線を引くことだと僕は思っていて、、。」キノベス大賞受賞のスピーチで朝井リョウさんが発したこの言葉と小説がぴったりと重なった。

この本を読んでSDGsや多様性の裏側を知り幻滅してしまう人は多いと思う。
分かり合えなさを知って落胆してしまうし、町で見るものの多くを疑って生きることになるかもしれない。
世界がぐるんとひっくり返されるみたいな小説なので覚悟を持って読まないとエネルギーを使い果たしてしまう。

でも二回読んでみると、そうだろうかと思った。多様性やSDGsのうたい文句を見ながら、世界をよくしようと思いながらもそこに穴があることを疑う人は多いはずだ。私もその一人だ。しかしその穴が何であるか言語化することはできずモヤモヤしてしまった。
どんなに良いことを書こうと、世界を広げようと努力をしても私たちは一人も残さずにすべての価値観を知ることはできない。理解しようとする前に知ることが大事だが、知ることだって結局は自分の理解できる世界の中でしかできない。
この本は自分の中の正義を信じる人、人と違いすぎる欲に悩み違和感を覚え続ける人、多様性を考えることに熱心な人の三人の目線で構成されている。

前回読んだ時には「地球に留学」している感覚を持つ夏月の目線で読んでいた。

叫びたくなるような「私は誰にもわかってもらえない」という感覚。
そしてその思いから自分を憎み、世界をも憎んでいく。
そんな思いを持つ夏月と、私は同じ種類の人間だと思っていた。
でもなぜか今回はあまり共感しきれなかった。
共感するところもあるにはある。
生きづらさに対しては私がもつものと似ている。
でも私はここまで世界を疑う気持ちも、他人を突き放す気もないと思ってしまった。

私は生きづらくったって相手に毎度心の中で批判をするほど、他人を疑い続ける気持ちにはならない。

彼女が他人に対して後ろめたい気持ちを持ちながらも冷めた目で物事を見ているのは、人を突き放しているようで他人に期待をしているからなのではないだろうか。

他の目線人物もそうだが欲望が見え隠れしている。

自分がいくらわかってもらえないと思っていてもそれは他の人を傷つけて良い理由になどならない。他人に自分をさらけ出すことを恐れて自分の世界に閉じこもった時、自然と他人のことも批判的な目で見たり、「あんたはいいよね、羨ましい」という気持ちが暴走して無自覚に相手を傷つけたりしている。

この本にはもちろんモヤモヤが残るのだけれど、それは現実の私だって無自覚に相手を傷つけているし、傷つけられているからなのだろう。

まあもちろん多様性がこの本だけで語れるほど世界にある価値観は狭くはないし、この本を読めば多様性が分かるはずもない。
むしろ分からないことが増える。

それでも読むことでこういう考え方も苦しみもあるんだと知ること、それは無駄ではないと私は思います。

ただし書くことが線を引くのと同じで解釈をすることもまた線を引くことなのかもしれません。だからこの本を読むことでひっくり返った世界に幻滅するんじゃなく、本の解釈の外に世界を広げていけたらいいなと願いながら行動するほかないのかなってそう思いました。

こんなところで今回は終わります。
それではまた~

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