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ちなつがちなつになれたのは

立志編

プロローグ

わたし、ちなつが
どうしてこの界隈に入ったのか?
どうしてこのように結果が出たのか?
どうすればこのような結果が出るのか?

このような、お問い合わせをたくさんの方からいただきました。

そこで、わたしがお話しすることで少しでもみなさんのお役に立つのなら。
わたしがお話しすることでみなさんのやる気がすこしでも出るのなら。
ということを考えて、このnoteを書いてみようと思いました。

とにかく、ちょっと前までのちなつは、本当にポンコツでめちゃくちゃ弱い男でした。

そんなわたしでも、がんばれば、女の子と話せるようになって、女の子と出会えるようになって、女の子とホテルまでいけるようになったんです。
一筋縄ではいきませんでしたけど、でもがんばれどうにかなる!あきらめなければどうにかなるというところをお仕えしたかったんです。

わたしの人生の歴史、個人史を書いた「遺書(YUGON)」とは、少し角度を変えてお伝えしているのが、この「ちなつがちなつになれたのは」です。

恋愛修行を始めるきっかけや、それまでの失敗の過程、そして成功するまでどうして来たのかといったことを人物名以外はノンフィクションで描いています。
多少、身バレの恐れや恥ずかしさも会ったことは事実ですが、みなさんの少しでもお力になれればと思い、ここに記しています。

もし、このnoteをお読みになり、もう少しちなつのことが知りたいと思われれば、「遺書(YUGON)」もお読みいただければ幸いです。

前置きが長くなりましたので、そろそろ本編へ移りたいと思います。

お楽しみください!

第1回 始まりの始まり

なんかドキドキしてきた! 正確に言えば久しぶりだ! てか忘れてる? 大丈夫かな?

55歳を前に僕はふとあることに気づいた。
「あれっ? セッ◯スってどんな感じだったっけ?」
ずっと考えずにいただけだった・・・
「しょうがないよな!えっちは無理!だって・・・」
そうだ!いいわけばかり考えては無理だよって諦めていた。

「確かにハンディキャップはあるかもしれないけど、元気ではあるんだよな。」

そんなことを考えていたこの15年間。
ずっといろんなことを諦めていた来た。
「仕方ない」って自分に言い聞かせていた。

僕は空白の40代を過ごした。ぶっちゃけ40代は過ごしていない!
だって、社会に僕は存在していないから。病院のベッドだけが自分の範囲。そのベッドの上にだけ”自分”という存在する。そして、その限られた範囲の中だけで呼吸しているだけの物質でしかない。

今思い返しても恐怖でしかない。

この物質から物体へ、物体から人間へ
「戻りたい!」

この一心だけ!この一心だけが唯一の生存するためのモチベーション。
そしてリハビリの日々!

やがて、10年歳月が過ぎた。

50歳になって社会復帰することができた。
そして、こう思った。
「あの諦めていたことをもう一度挑戦しよう」と。

そして、いつしかそのマインドになった。

ふと、ある考えが考えが頭をよぎった!
「 このままセカンド童◯で過ごすのか?」「このまま朽ち果てていいのか?」

10年間も社会と隔絶していたから YouTube だってあまり見たことがなかったけど世間的には「出会い系サイト」の話題はあった。
ニュースなんかでも、新宿などで出会い系サイトの広告をしたトラックが走ったりしていた。

その「出会い系」をやってみようと思ったんだ。

今自分がモテないかということと女の子に上手いこと言われて搾取されることを知らずに先に「ちなつ」になる前の春のことだった


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