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エッセイやコラムの書き方

エッセイの書き方について、moonさんのnoteが話題でした。そういえば、自分が過去に書いてきたものはエッセイなのか、コラムなのか、あまり意識せずに雑文を書き連ねてきたので。エッセイとコラムの書き方について、これを機にアレコレ考えてみます。エッセイとかを書きたい方の、参考になれば良いのですが。

エッセイとコラムと

エッセイ───随筆とも書かれますね。手元の辞書(大辞林)では〝エッセー〟で項目があり、こんなふうに説明が書かれております。

①形式にとらわれず、個人的観点から物事を論じた散文。また、意の趣くままに感想・見聞などをまとめた文章。随筆。エッセイ
②ある特定の問題について論じた文。小論。論説。

大辞林より

ざっくり言ってしまえば、「私はこう思う」を書いたものがエッセイですね。
コラムとの違いが分かりづらいですが、コラムはこんな説明があります。

①新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄。また、そこに載せる文章。囲み記事。

大辞林より

コラムは短い評論。例えば小説などを読んだ・映画を見た感想だとエッセイに、評論ならコラムになりますね。では評論とは何かといえば、コチラの定義はこんな感じです。

物事の善悪・価値などについて批評し、論じること。またそれを記した文。

大辞林より

どうも、境界線が曖昧になってきましたね。こうなると、論拠が有るか無いかという感じになりそうな。「他の人は嫌い(好き)だと言っても、私は好き(嫌い)だ」と書くのがエッセイ。この作品は〇〇の影響を受けているとか、「この作品の歴史的な価値は…」とか「この作品が作られた背景にはこんな事件があった」…とか、そういう話を書くのがコラム。映画の撮影こぼれ話なども、コラムの範疇になるのでしょうね。そういう意味では、歴史ウンチクなどを書いてきた当方の雑文は、全部コラムということになりますね。実際は、両方が入り乱れていますが。

では、具体的にエッセイを書くときに、どのような点に気をつけているかといえば。読者の立場にたったとき、エッセイを読む理由を考えてみると、

①今まで知らなかった視点や知識を得る
②読んで自分の考え方に変化が生まれる
③なにか思索したり行動するきっかけになる

などでしょうか? 他にもあると思いますが、自分が思いつくのはそんなところ。

①視点の面白さ

例えば、ドイツの文豪ゲーテの詩に、イチョウについて語ったものがございます。イチョウは太古に出現し、多くの地域で絶滅した種なのですが、それがわずかに中国で生き残っており、世界各地に伝わったものです。日本では、室町時代ぐらいに伝わったのではとされます。ヨーロッパにも伝わったのですが、ゲーテはこの東洋的な植物に対して、第二連(スタンザ)で「これは一枚の葉がふたつに分かれたのか? それとも二枚の葉が相手をみつけてひとつになったのか?」という意味のことを書いています。

Gingo Biloba

Dieses Baums Blatt, der von Osten
Meinem Garten anvertraut,
Giebt geheimen Sinn zu kosten,
Wie’s den Wissenden erbaut,

Ist es Ein lebendig Wesen,
Das sich in sich selbst getrennt?
Sind es zwei, die sich erlesen,
Daß man sie als Eines kennt?

Solche Frage zu erwidern,
Fand ich wohl den rechten Sinn,
Fühlst du nicht an meinen Liedern,
Daß ich Eins und doppelt bin?

科学的には、そこはいろんな解釈があるのでしょう。でも、そこを科学的に論じると、コラムになってしまいます。そうではなく、ひとつの葉がふたつに別れたのか、ふたつの葉がひとつにくっついたのか、そういう視点を投げかけることで、第三連に男女の結びつきを想起する。そうすると、今まで何気なくイチョウを見ていた人は、視点が変わりますよね? 誰かに話したくなったり、あるいは恋人やパートナーに会いたくなったり、しませんか?

ゲーテの詩は、そういう意味ではエッセイ的な要素を多分に含んでいますね。
①東洋から来たイチョウという植物の存在や形状を知る
 ②その葉に男女の出会いや別れを重ねる視点のおもしろさ
 ③それによって思索や行動をしたくなる部分

要するに、詩とかエッセイとかコラムとか、様式に関係なく、本質を掴むことが大事に思えます。

イチョウの葉

②組み合わせの意外性

イチョウの葉に、恋人同士の出会いと別れを見つける。この視点は、やはりセンスというもので、なかなかパッと出てくる人はいないでしょうね。でも、訓練方法はあります。それは、意外なものの組み合わせで、文章を書いてみるという手法。それこそ、辞書を適当に開いてみて、そこで目にした文字を組み合わせてみる。キウイフルーツとネコ、みたいな組み合わせですね。とは言っても、キウイフルーツネコキウイフルーツネコキウイフルーツネコ……とブツブツいってみても、ちっとも繋がりません。

そこで、キウイフルーツとネコの間に、橋渡し(ブリッジ)になる言葉を置いてみます。それが、マタタビです。「猫にマタタビ」という言葉があるように、ネコにマタタビの実を与えると、ゴロニャンとなるのは有名ですが。実はキウイフルーツって、マタタビ科マタタビ属の雌雄異株の落葉蔓性植物なんですね。キウイとネコという、関係なさそうなものをつなぐブリッジが、ここで生まれました。でもこれ、キウイフルーツの原種がサルナシという、日本の山にも自生する木の実だと知ってると、わりとあっさり繋がります。

サルナシの実

③知識は武器になる

サルナシは漢字で書くと、猿梨。山のサルが食べる梨のような果物、という意味。言われてみれば、キウイフルーツの甘酸っぱさと、種のツブツブとした感じが、梨の実に似ていますね。これ、パイナップルがパイン(松毬)とアップル(林檎)の組み合わせで、見た目が松ぼっくりみたいで林檎のような甘酸っぱい味がする、という部分の投影です。こういう知識があると、キウイフルーツとネコから離れて、「キウイフルーツとサルナシとパイナップルとリンゴ」で、果物の命名のおもしろさを、ネタに一本コラムでもエッセイでも書けそうですね。

例えば、キウイとパイナップルを前ふりに使用しておいて、ライチーやスターフルーツ、ドラゴンフルーツなどの味を、何に例えるか? 古谷三敏先生の『BARレモンハート』では、ドラゴンフルーツを三角形に切った姿が、ごま塩を振った三角おむすびに似てる、なんてお話もありました。個人的には、ドラゴンフルーツのあのツブツブ感、キウイフルーツに似ているなと思います。そんなこともまた、一周回ってキウイフルーツとドラゴンフルーツという組み合わせで、エッセイが書けるかも知れませんね。

ドラゴンフルーツの実

④どれを捨てるか?

さて、こうやって材料をアレコレと揃え、どの視点でエッセイなりコラムを各材料が広がったところで、この中から、何を捨てるか、という段階に入ります。植物図鑑とか読むと、次々に知らない知識が入ってきて、とても楽しく。ついつい、調べて得た知識を、全部盛り込みたくなりますが。でもそうすると、雑味が多くなります。自分なりに、オモシロイと思った情報に点数を付け、上位3つ以外はあえて切り捨てる。コレが意外に重要な気がします。

実際に書いてみる

①コラム風に書いてみる

最初からコラムにするか、エッセイにするかは、商業プロでもない限り、決め付ける必要はないですね。書いてみて、自分に合っていれば、それはエッセイでもコラムでも、名を付けて発表すればいいでしょう。個人的には、鋭い感性にはまったく自信がないので、コラム風の文章で、ゆる~く。

 近所の八百屋でキウイフルーツを勧められた。今の時期が旬である。エメラルドグリーンの実に、白の中心部と黒の種、彩りも鮮やか。見た目は楕円形? 俵ムスビの形? 美味しそうには見えないが、ギャップが良い。

 ツルと葉付きを三個購入。キウイフルーツの名は、ニュージーランドの飛べない鳥キーウィに由来する。ずんぐりむっくりしたキーウィの身体と羽根は、確かに似ている。ニュージーランド原産かなと思ったら、違った。

 元は中国原産、品種改良されて現在の形になったらしい。アメリカに輸出する際、国鳥のキーウィの名を関したのが始まりらしく、1959年のことらしい。思ったより歴史が浅い。日本には1969年ぐらいから輸入。

 日本にも、原種に近い種類が自生し、サルナシと呼ばれるそうだ。漢字で書けば〝猿梨〟だ。キーウィとサル? もっとも形がサルみたいというわけではなく、猿が食べる野生の果物で、梨の味みたいという意味らしい。

1センテンス100文字で4ブロック。起承転結を意識するなら、これぐらいの長さが書きやすいですね。読者的には、キウイフルーツのウンチクと同時に、自分も買って食べてみようかな、という行動を起こさせることを、裏の目的にした文章です。こういう感じで、これを1セットに、4セットぐらい書くと、400字詰め原稿用紙で10枚ぐらい、1400~1600文字ぐらいの、コラム戈エッセイになります。どっちにするとしても、これぐらいの書き出しは、どっちに転んでも使えます。

②伏線を入れてみる

技術的な話をすれば、最初の章の段階で、無理やり「俵むすび」という言葉を入れています。これは別に、米俵でもラグビーボールでも良いんですが。ドラゴンフルーツに話を発展させるなら、それに繋がるワードを、さり気なく入れておくと、後でその言葉が出てきたとき、読者はテーマがきれいに繋がったような気がします。こういうのは、最初から入れるよりも、推敲する中で入れることが多いですけどね。

 猿梨──言われてみればキウイフルーツって、梨ぽい味だ。甘酸っぱく、食感が似ている。キウイフルーツの種のつぶつぶ感が、梨の実の角質部分のつぶつぶ感と似ている。同じバラ科植物のリンゴと梨の違いでもある。

 なかなか的確なネーミングに思える。そういえば、パイナップル。あれもパイン=マツボックリとアップル=リンゴの、合成語だ。イチゴのストロベリーもストロー=藁とベリー=小さな果実全般の意味の、合成語だし。

 パイナップルの酸味の強さは、リンゴの酸味にも通じる。イチゴと麦わらは結びつかないが、イチゴが地を這うように広がった姿が、麦わらに似ているからという説があるそうだ。語源から、フルーツを調べると楽しい。

 そうこうしていたら、我が家の白猫と黒猫のコンビが、寄ってきた。夏場、ミカンを食べると、露骨に嫌がっていたニャンズが、トトトトと寄ってくる。どうした、キウイフルーツを食べたいのか? と思っていたら…!

起承転結で言えば、承に当たるのですが、ここで見せ場の転のための、伏線が張られます。意外と、ここは単に起を受けるだけのパートと思われがちですが。承は軽視されがちですが、大事です。なお、この伏線は回収しないなら、消してしまって構いませんね。それが推敲ということで。

③意外な展開と伏線回収

さて、ここまで来たら転にあたるパート、意外な展開や予想外の動きを入れて、読む人の興味を引いたり、ザワザワさせる事が求められます。

 なんといきなりキウイフルーツに顔をすり寄せて、ヘソ天でゴロニャンと始めたではないか。最初、何事かと慌ててしまったのだけれど……この状態、以前にも見たことあるぞ? そうだ、マタタビの実を与えたときだ!

 慌てて手元の植物図鑑をめくると、キウイフルーツはマタタビ科マタタビ属の雌雄異株の落葉蔓性植物、とある。マタタビの実や枝を切ったモノは見たことはあっても、葉っぱは見たことはなかったが。ああ、似ている。

 以前、テレビの動物番組で、ライオンやトラにマタタビの実を与えたらどうなるかを、実験していたが。結果は見事に巨大なネコ状態で、体重数百キロもあるあの巨体で、我が家のニャンズと同じ反応を、していたのだ。

 つまり、同じネコ科の近縁の動物にマタタビが効くなら、マタタビ科の近縁の植物でもまた、イエネコには効力を発揮するのである。もちろん、マタタビの実ほど強力ではないが。枝や葉が付いていれば似た効果が出る。

ここらへんは、実際に筆者に起きたことではなく、知り合いに起きたことなのですが、その知り合いがエッセイを書いたら、という想定です。これを物語風に仕上げて、短編マンガにすることも可能です。そう考えると、エッセイと小説や漫画の距離感って、あんがい近いですね。実体験を持ってフィクションを大きくすれば、物語になるということで。

④締めと余韻の第4節

最後の締め。落語の世界では「一に落ち、二に弁舌、三が仕方」と言われております。落ちとはサゲとも呼びますが、最後の締めの部分。ラストがビシッと決まると、序盤や中盤では受けがイマイチの噺も、グッと評価が上がりますし。逆に、最後の締めがグダグダだと、序盤や中盤ではドッカンドッカン受けた噺も、グッと評価が下がります。

 けっきょく、我が家のネコ達はひとしきり、ゴロゴロしていた。これが俗にいうマタタビ踊りというやつだ。が、しばらくすると眠りこけてしまい、目が覚めたらサッサと部屋から出ていった。キウイは美味しく頂いた。

 しかし……あそこまで酔っ払ったような状態になっていて、ネコは大丈夫なんだろうか? ひょっとして、アルコール依存症や薬物依存症のような、反動は来ないのだろうか? 気になったので、コッチも検索してみた。

 結論から言えば、どうもマタタビには依存症のような中毒性や、身体へのダメージはないらしい。こういうとき、簡単に検索で情報を得られるのって、ありがたいなぁ。まぁ、偽情報も多いけれど、獣医さんも多いし。

 とはいえマタタビはストレス解消などが期待できる一方、神経の麻痺や呼吸困難なども起こりうるので、野放図に与えるのも良くないらしい。なので次からは、キウイフルーツを買うときは、葉や茎なしにしようと思う。

感動的にビシッと締めるのも良いですが、最後はお口直しというか、余韻を入れる感じですね。ここだと、次のキウイフルーツの購入へ思いを馳せることで、読んだ方がキウイフルーツを食べたくなったら、エッセイとしてはまずまずでしょうね。

で、いったん書き上げたら、それを寝かせるのが重要です。勢いで書いたモノは、自分自身も興奮していて、バイアスも掛かっていますから。興奮が収まるまで1日、できれば3日ほど寝かせると、推敲が捗ります。

遂行したバージョンは、またの機会に。当方、なんだかんだでけっこうな分量のコラムを書いていますので、最初から1段落100文字縛りの文章が書けてしまう職業病ですが、一般の方はそういう縛りは設けず、推敲前提で、勢いで書くのをオススメします。

筆者の小説(電子書籍版)でございます。お買い上げいただければうれしゅうございます。投げ銭も、お気に入りましたらどうぞ。


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