どうしたって僻んじまう、人間だもの
何か挑戦っぽいことをしようとしたとき、新しい世界に足を踏み入れようとしたとき。
とにかく、それまでの自分とは違うこと、王道からは少し外れた道をゆこうとするとき。
よく、周りの人は「できるわけがない」とか「やめておきなさい」と言ってきます。
私もそんな声に、たくさん出会いました。
就職活動で志望先をいろいろ考えてたときも、新卒の会社を辞めて他の道を選ぼうとしたときも。
おもしろいくらい、常につきまとってきた。
ただ同時に、そういう声は気にするなともよく言います。
「それって僻んでるだけだから」「自分はできないのに、やろうとしてるあなたが羨ましいから」
そうね。
そうなのよ。
ほんとそう思う。
足を引っ張ってくる声にはフタをして、応援してくれる声に耳を傾けて、ただひたすらに選んだ道を進む。
それでよい。
ほんとそう思う。
だから、めでたしめでたし。
……
………っちゅーーーー訳にはいかんと思いませんか???
物事はそんなに簡単じゃない。
いや、そういう声を簡単に振り切れない、フタできないとかそういう話じゃないです。
あろうことか、自分自身が足を引っ張ろうとする側になってることも結構あるくないか?という話。
かつてあれほど「うるさい!足を引っ張るなよォ!」「あたし頑張るんだからぁ!ぷんぷん!」と、しつこいコバエを振り払うみたいにイラついてたのに。
そういう声を掛けてくる人=僻んでる人という方程式は、身に染みて知ってる人間なはずなのに。
気づけば、SNSやら何やらで頑張る友だちの近況を知って「いやいや…😏笑」と斜に構える自分がいる。
そんな耐え難い事実に向き合うとき、全身を嫌悪感が駆け巡る。
「………待て待て待て、私、めちゃくちゃイヤな奴になっとるぞ?!?!」と、ぶわわわわっと鳥肌が立つ。
どうにかならんか、あれ。
まあしかたないよね。人間だもの。
こうなるのってだいたい、自分も憧れたこととか、一度目指して諦めたことに挑戦してる人に対してなんだもん。
やっぱり僻みなんだよな。
なんで隣の芝はあんなに青いのやろか。
なんで「あの子も頑張ってるんだ~私も頑張んなきゃ!💪」と素直に尊敬できないのやろか。
なんでスルッと飲み込めないのやろか。
どうにかならんか、これ。(再)
まあ、ただ、見方を変えるとしたら。
足を引っ張ってくる人の深層心理はやはり「10000000%僻み」だから完全スルーで何の問題もない、ということを日々確固たるエビデンスを以って証明してるって感じ?
じゃあこの世の真理に貢献してるってことだから、いっか。(????)
すいません、久々のnoteで着地のしかた忘れました。
愛の不時着。
……古いね。
………無駄に2回も不時着しちまったぜ。
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