20141113戸定邸DSCF9397_のコピー

失われ行く風景

 戸定邸(とじょうてい)は、徳川昭武という人が隠居後に住んだお屋敷だ。千葉県松戸市にある。

 徳川昭武は、歴史の教科書には出てこないけれど、波乱に富んだ少年時代を送った興味深い人だ。

 彼は最後の将軍・徳川慶喜の異母弟で、15歳の時に将軍の代理としてヨーロッパに派遣された。ちょうど明治維新の年のことで、昭武は大政奉還があったことをヨーロッパで知ったという。

 日本を旅立った時には次代の将軍になってもおかしくない王子様みたいな立場だったのに、帰国した時には明治時代に変わっていたのである。

 そんな波乱の少年時代を過ごした昭武は、帰国後に水戸藩主や知事になるなど活躍をするのだけれど、30歳で隠居して、今の千葉県松戸市に移り住む。彼が住んだ家は今も残っていて、戸定邸(とじょうてい)と呼ばれている。

 現在は国の重要文化財に指定され、松戸市が管理しており、誰でも見学することができる。

 これは戸定邸の縁側から写した庭園だ。一ヶ所だけ庭木のない部分があり、そこから見えるのは…

 そう、富士山。

 富士山が美しく見えるように作られた庭園で、関東の富士百景にも指定されていたことがある。しかし、残念ながら金町駅前に高層ビルが建ってしまい、美しい富士山が半分隠れてしまった。

 江戸が明治になったように、時代は今も変わりつづけているから、仕方ないことなのかもしれないけけれど、何かやりきれないものがある。この庭は、富士山が見えてこそ完成するものだし、戸定邸は国の重要文化財、つまり国民みんなの財産だ。富士山が高層ビルに隠れてしまうのは、わたしたちみんなの財産が損なわれたという事じゃないかと思う。

 しかし、このビルに住んでいる方にはまったく罪のないことだ。ビルの手前には送電線の鉄塔もあることだし、視界を遮っているのはビルだけではないのだから。

座敷から庭を見ると、ちょうど富士山が見えるようになっている

 わたしはここからダイヤモンド富士を見たいと思い、よさそうな日を選んで出かけてみた。同じようにねらって来た人がいて、職員と話していた。

お客さん「ダイヤモンド富士、見えますかね」
職員「無理無理、ビルが出来ちゃいましたから。○○のほうに良く見える場所があるので、そっちへ行くといいですよ」

 職員さんは少し怒り口調だった。自慢の富士山が見えなくなったことが、やはりつらいのだろう。

 お客さんたちは、どこかへ行ってしまったが、わたしは「この場所で」見るために日を選んで来たので、縁側で日没を待った。

2014年11月13日 松戸市戸定邸にて
そのすぐあと↓

 見えないこともない。ビルが残念ではあるけれど、見えなくはない。この日は冬至前だったから、日没点は南へ(富士山にむかって左へ)移動する。明日はビルの影に沈んでしまうだろうか。

 このノートは、過去に自分のブログに貼ったダイヤモンド富士の写真を、少しレタッチしたりしなかったりしてお贈りしています。

今回の写真:松戸市戸定邸にて。昼間の富士山が見たい場合は、なるべく寒い季節の午前中がおすすめ。ダイヤモンド富士は11月13日16:25ごろと、1月28日16:53ごろ(年により1日くらいの誤差はあるしビルの後ろに沈む可能性も)。戸定邸は17時閉館で、入場は16時半まで。11月も1月も、閉館前に日没が来るはず。

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