見出し画像

鎮丸~野獣跳梁~ ③

鎮丸には仕事で歌舞伎町を通るたび、気になる店があった。

その店にはまだ入ったことはない。

だが、入り口を見ると確かに知っている感じがするのだ。

雑居ビルの1F。螺旋階段のすぐ後ろ。看板には「BAR文麗」の文字がある。いつもは行灯に火が入らないうちに通りかかる。

縁があれば、いつか来るだろうと思っていた。しかし、鎮丸は今は酒は呑まない。

若いうちに浴びるほど呑んだ。葉猫と出会う前は、女、賭け事、自分の霊格の下がることばかりして来た。

ただし、鎮丸に自分の若い頃に対する後悔はない。

なぜなら、ヒーリングのクライアントには過去の自分に似た人が多いからだ。

聖人君子顔をして、「さぁ、私が癒してあげます。」などと言った所で、誰も納得しない。痛みと癒し、両方ともクライアントと共有するのだ。

それが鎮丸のやり方だった。

今日行くクライアントは酒店の店主である。
創業100年の老舗だ。元々、蔵元だったものが、今は酒造をやめ、歌舞伎町の飲食店に酒を卸している。

このコロナ禍でも製薬企業の友人からアルコール消毒液を分けてもらい、その販売手数料で生き延びた。なかなかのやり手である。

施術中に社長が言う。
「先生のおかげで、流行病にもかからないで済みましたよ。」

鎮丸は「それは社長の心掛け。わしは何もしてないよ。」と笑って答えた。

お得意様である。

音叉をポケットから取り出す。
何か白い紙が落ちた。
サロンの床に落ちていたレシートである。

「おっと失礼!」

拾った時、鎮丸はあることに気が付いた。

レシートに書いてある店名。
「BAR文麗 Bunrei」と書いてある。
(あの店じゃないか…!)

鎮丸はこの店に行っていない。
先日のように夢遊病状態で行った訳でもなさそうだ。

(なぜあの店のレシートがサロンにある?晴屋が行ったか、クライアントが落としたか。)

社長が尋ねる。「先生、どうしました?」

「いえ、行った覚えのない店のレシートが出てきましてね。社長、この店、知ってる?」

「どれどれ?文麗。あぁ、うちのお得意さんだよ。ママは中国の方だ。後は殆ど口を聞かない陰気なバーテンがひとり。」

社長は口は悪いが、あまり他人の噂話などはしない。このバーテンダーは余程、印象に残る存在らしい。

「行った覚えがない?あれ?先生、お酒止めたよね?」社長が不思議そうに聞く。

「まあ、大方うちの若いもんが行ったんでしょう。」鎮丸は晴屋のせいにした。


「ふうむ…。」鎮丸は数刻後、螺旋階段の前で考えている。

このレシート、あの婦人からのヒントだとしたら、この店に行く必要がある。
しかし、あの婦人は自分の夢ではなかったか?現実だとしても妖狐の罠の可能性もある。

鎮丸は迷った末、BAR文麗のドアを開けた。

(to be continued)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?