アタルヴァ_ヴェーダ讃歌

恐怖! ボールクラッシャーの呪文──『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌 古代インドの呪法』(辻直四郎訳、岩波文庫)

 辻直四郎訳『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫、1979。
 अथर्ववेद(Atharvaveda)の抄訳。

 『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』は、ヴェーダのなかでマントラ(मन्त्र Mantra、祭詞、呪詞、真言)を収める中心部門サンヒター(संहिता Saṃhitā、「集められたもの」、本集)のうちのひとつで、その名は一説には、神話上の司祭アタルヴァン、もしくはその名を引き継ぐアタルヴァン族の名に由来するという。

 紀元前1500年ごろから長期に亙って成立していき、ヴェーダ文献と見なされるようになったのは紀元前500年ごろとも言われる。
 この抄訳の「第一部 呪法讃歌(アタルヴァ・ヴェーダ一─七より)」を読んだかぎりでは、『リグ・ヴェーダ』に比べると私的利害にかんする祈願の呪文に重心があるように思われた。迷信的要素も強い。

リグ・ヴェーダ讃歌

無病息災、長寿、病気治癒、商売繁盛、豊作といったものから、戦勝祈願のような共同体サイズの願いまで、ほぼ現代人の願いにオーヴァーラップする俗世の話題が中心のようだ。
 そのなかには『リグ・ヴェーダ』本集とかなり類似した詩行を持つものもある。

 「第二部 思想的讃歌」には「ブラフマン(梵)の歌」(第4巻第1篇)などもあるが、この第二部は取り上げられた歌の数が少なく、また抄訳が多い。長いのが中心なのだろう。
 それで、下世話な僕としてはやはり恋愛関連の呪文をおもしろく読んだ。「恋仇の女子を詛うための呪文」(第1巻第14篇)は〈意訳〉としながら、下記のような行を含む。

黄泉の国知るヤマ王よ、この忌わしき娘子を、なれが妻とし授けてん。寄る年波に緑なす、黒髪抜けて落つるまで、嫁がで長く家にあれ。〔第3聯、94頁〕

七五調の訳も決まっている。ヤマは閻魔。
 訳註に曰く、この呪文を唱えるときは、

恋仇に属する種々の品を、臼の割目に隠し、その上に三個の石を載せる。恋仇の花環を粉にし、その頭髪をもって編んだ環を、別々に黒い紐で括り、三個の石の下に敷く。第一の環の上に第一の石を、第二の環の上に第二の石の順序で。〔94-95頁〕

 環を編めるくらいライヴァルの頭髪を集めなければならないのか。かなりハードル高いぞ。

 「男子を不能となすための呪文」(第6巻第138篇)では、

インドラ〔帝釈天〕は二個のグラーヴァン(grāvan ソーマ〔神酒〕圧搾用の石)をもって、彼の睾丸を砕け。〔第2聯、115頁〕

とあり、まさにボールクラッシャーの呪文といえよう。男が恋敵に使うのかと思ったら、註によると、

婦人の恐るべき怨恨を示す呪法で、用語ならびに不潔な物質の使用はこれに相応する。〔116頁〕

 註は註でミソジニーっぽい。ちなみに〈不潔な物質の使用〉については、

仔牛の尿と糞とを牡の仔牛の包皮(śepyā)にくるみ、睾丸の上に置き、全体をバーダカ樹の棒で粉砕し、これを目指す者の神聖な場所(例えば畑、祭場、家の中)に埋める。同様の祭儀を牡の仔牛の包皮と葦とをもって行なう。〔116頁〕

と説いている。こんな面倒なこと、ほんとうにやったのだろうか。

訳者には他に

- 訳書『リグ・ヴェーダ讃歌』(岩波文庫)
- 解説書『インド文明の曙 ヴェーダとウパニシャッド』(岩波新書)

などがある。

インド文明の曙

(つづく)

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