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夜半音

 今ここで全てが終わってしまえばいいと思うことがある。

これは別にマイナスな意味じゃなくて。

ただプラスな意味でもないのかもしれない。

 例えば絶対に行きたかったライブのチケットが奇跡的に取れ、念願叶って参加できたとき。

その帰り道はそれまで生きてきた中で五本の指に入るくらい幸せで、ライブに参加するまでの過程を思い出してホクホクとした気持ちになる。

数日経っても幸福感は続き、日々の生活に対するやる気もでてくる。

アーティストの話す当日の話や後日談、段々と解禁されるライブ映像によって楽しかったあの日を思い出す。

このような余韻を楽しむ日々を送っているとふと頭を過ぎる。

「果たして次のライブには参加できるのだろうか」

 小さい頃から夢見ていたやりたいこと。

いつか大人になったらああなりたい。

こういうことをやってみたい。

実際声に出す勇気がなくても胸秘めていたもの。

思い浮かべていた頃はペガサスと同じくらい幻想で夢という言葉がぴったりだった。

それが段々と歳を重ね、その気になれば叶えることができるかもしれないものになったとき。

夢と現実の境目が曖昧になっていくにつれ怖じ気づく。

「これ一歩を踏み出さなきゃいけないのか」

 大抵のアーティストというのはライブ1回きりで解散といったことはないため、もちろん次のライブがある。

今回はたまたま日頃の行いが良く、様々な偶然が重なり参加することができたが、次回参加できるかは全くもって不確定である。

夢もまた。

叶えたいと思っているうちはどんな大きな夢を持っていたっていいかもしれないが、一度始まってしまえばそれは成功か失敗といった結果が必ず出てしまう。

不確定だから不安なものと確定してしまうから不安なものと。

これに直面したとき全てが終わればいいと思ってしまう。

今後もそのアーティストがライブをしようと、「自分が参加できる限りの最後のライブ」には参加ができた。

叶えたい夢があったけど、「志半ばで」終わってしまった。

これが正解かは知らないが、少なくとも最悪のパターン(参加できないとか大失敗とか)は避けられる。

1番傷つく道は辿らなくて良くなる。

だから全て終わればいいとたまに思ってしまう。

 え?ずっと何を言ってるのかって?

不透明な未来へ歩むのがひどく怖いんだよ。ばーか。

たくさんの努力や時間を費やして報われなかったとき、立ち直れるような人間じゃないのがこれまで生きてきて分かったから逃げ出したいんだよ。

ああもう全部終わらないでほしい。

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