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アジアカップ2023を終えて

おわりました。
無念しかなくて、あんなに楽しかった日々が砂のように初めから幻だったように記憶から消えていきそうです。

これが負けるということか、と気づきました。
私の中のアジアカップの思い出が2011年の優勝しかないのは、あれが劇的な勝利だったからだけでなく、作為的な記憶なのだと。
いつまで経っても忘れられない2011年の李忠成の決勝ボレーが、あれほど印象深く残ってるのは、メディアで何度も取り上げられて強制的に記憶に何度も刻まされてるから。
負けた試合はメディアから一瞬で葬られ、記憶に残らないようできているのですね。

今回のメンバーは史上最強と謳われたメンバーでした。
実質ともに本当にそうなのですが、私は彼らをカタールW杯の対クロアチアの敗戦からずっと、あのときの悔しさをしっかり胸に刻んできたメンバーだと思っています。
各々が自分の足りないとこから逃げずに向き合って、今後自分はどうすればいいのか死ぬ気で考え、試行錯誤を繰り返し行動した結果だと。所属クラブでもしっかりとそれを体現しようと活躍してくれたから、その呼び名が後からついてきたのだと思います。
決して元々のサッカーセンスだけで成り上がった人たちではありません。しっかりと挫折してあそこまで力をつけた人たちです。
精神面でも逞しく、彼らがいくら今大会への優勝への自信を口にしても全く違和感がなく耳にすんなり馴染んだのは、彼らが自分達の努力の形跡を知っているからだと思います。
その経緯を十二分に感じるからこそ、彼らは絶対やってくれるとこちらに信じさせてくれるメンバーでした。

今回は外野から不穏なことで想定外のことも起きて、違う無念さもあるなかで、それでも前しか向いてない彼らをとても頼もしく感じていました。
そこに追い付こうとW杯後に選ばれた新メンバーも躍起してくれて、激しいポジション争いを行ってくれました。
ずっと固定メンバーで闘うしかなかった日本がこんなに層が厚くて誰が出ても頼もしく、ワクワクさせてくれる。切磋琢磨とはこういうことを言うんだろうなと思いました。
力が足りてなかった者が出場機会が減っても味方を鼓舞してくれる役割になってくれたりと、腐らずやりきってくれました。

今回の敗戦後のあの無念な顔は、また彼らに何もできなかったと思わせるんでしょうか。
私は戦術うんぬんはサッカー好き13年目を超えてもお恥ずかしながらわかってないのですが、選手間の相性とか適正なポジションにつけてないとか、適切な交代とか。
使い方さえ変われば彼らなら勝てない試合ではなかったと思えてなりません。

ベンチに下がってもう為す術がなく虚ろな目線でフィールドを見つめる選手。
せっかく交代したのに劇的な修正がなくボールがどうしたって回ってこない状況で自分の力を発揮できないことに焦る選手。
この顔をあのW杯からもう二度と見たくなかったし、させたくありませんでした。

頑張ってくれてありがとう、はW杯敗戦後と同様、彼ら全員が要らない言葉だと思うので言えません。

これから始まるであろう選手のミスへの糾弾、いつも通りの戦犯探し、できてるとこは見過ごして成長段階の選手への心ない言葉、そしてこの無念の敗戦から八つ当たりのように外野の騒動への当事者への中傷も激しくなるのでしょう。
これらも彼らには一切不要なもので、早く鎮まればいいなと願ってやみません。

所属クラブも大事な大会で過密日程の中、国のためにチームを離れ、死闘を繰り広げてくれた選手もいました。
近年では稀なJリーグの選手も活躍してくれて、本当に嬉しかった。久保選手も言ってくれた、どこでやるかでなく、どうやるかという本質を見せつけてくれました。

私はこの期間、このメンバーを応援し続けられたことに誇りを持ちます。
試合がある日はワクワクしました。
ゴールには涙しました。
今日はずっと息を止めてしまうくらい緊張しました。

本当にお疲れ様でした。

もっとこのメンバーの試合、見たかった。
ただそれだけです。

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