キリスト教が母には「愛」、私には「恐怖」となった理由

小学生で、いきなりキリスト教という異世界に放り込まれた私…。


かくして意思確認もされないままに、キリスト教のお勉強が始まりました。
母よ、ピアノ習うときだって形だけは意思確認してくれたのに…よっぽど私を「いい子」にしたかったんでしょうね。

(後ほど書く予定ですが、母は子どもにだけは道徳的な潔癖さを求めるタイプでした。
母の方針は子どもや人間のリアリティを無視したものでした。しかしその母の方向性が、内心の清らかさを求めるキリスト教とかちあってしまい、暴走して虐待がよりエスカレートしたのだと思います)

今日は、私がそうしたお話をどう受け取っていったのかをお伝えします。

1.キリスト教の「怖いはなし」ばかりが印象に残ってしまった私

とはいえ私も元々本が好き、「お勉強」もまあまあ好きという子どもだったので、楽しくお話を聞いていました。

教えてくれる先生が、私の質問をよく聞いてくれたのも嬉しかったです。
私は元々しつこく「ねえねえ、あれなんで?」「どうなってるの?」と聞きまくる子どもでした。両親もお手上げで、時々しつこいと怒られていましたから…。

聖書のお話や、教えについては、伝えられるまま素直に受け取っていました。

ただ幼かった私には、抽象的な愛の話よりも「怖い話」のほうが心に刻まれることになりました。

当時の私にとって愛のはなしは分かりにくく、怖いはなしは分かりやすかったのです。

原罪とか、罪とか、地獄とか、この世の終わりとか…。
それから後に私を苦しめることになった、私のいた宗派独特の「罪を聖職者に告白しなければならない。(そうすればイエスに代わって聖職者が罪を赦してくださるが、告白しなければ罪は赦されない)」という教え…。

世の終わりにはイエス様が来て、人々を右と左に分けるのだと聞いたときには、
(左に分けられた人は、滅びの道へ…)
あまりに怖くて、そのシーンを夢に見たくらいです。

2.母の心には、「愛」など教えのうつくしい面だけが刻まれていくという謎

ただ不思議だったのは、このときもその後も、母にとってのキリスト教は「愛の宗教」であり続けたことでした。

世の終わりや地獄の恐ろしさに、母本人は無頓着なように見えました。

私に対しては、地獄や罪で散々脅して支配をつづけていたのにね。

もしも母が心の底から地獄や罪に恐れおののいていて、それゆえに私を脅したのであれば、まだ母をゆるせたなかもしれません。
母の言動を見てきて、そうでないのが分かるから、今でも腹が立つのでしょうね。

これは長年の謎でしたが、ここ数ヶ月、なんとなく私のなかで仮説ができつつあります。
同じ話を聞いても、大人が聴くのと子どもが聞くのとでは受け取り方がちがってしまうのではないかというものです。

3.大人は「つまみ食い」ができるのだー成人洗礼と幼児洗礼の溝!?

母や、成人洗礼を受けて教会にいる子どもたちに対して「小さいときから神様を知ることができてお恵みよね」と言う大人たちには、共通点があるように思います。

それはキリスト教の教えのなかでも、安らぎを感じる部分だけを無意識に選び取って、自分の中に取り入れているように見えることです。

自分で選ぶ間もなく、一面に漆喰を塗り込められるように全ての教えを受け入れざるを得なかった私には、そうした大人たちの「信仰」は、つまみ食いをしているように見えました。

自分なりのフィルターを作り上げた後で宗教に入った人は、自分の心を守りながら信じることができます。しかし子どもには、そのフィルターがありません。無防備なんですよね。

後年私が、キリスト教への疑問を膨らませて行ったとき、母親から言われたことがあります。
「難しく考えなくていいのよ。みんなで神様の子どもになろうよ、で良いじゃない」


内心、「はああ?あなたが言うの!?」でした。
…と同時に「ああそうか、大人になってキリスト教に出会った人たちは、こうした部分だけを吸収してるから苦しくないんだろうな」と理解はできました。

これは成人洗礼を受けた者と、幼児洗礼(私は小学生だったけど)を受けた者の溝かもしれないなと考えさせられました。

子どものときに洗礼を受けた人が、キリスト教を続けるにしろ離れるにしろ、世界観の再構築を迫られるのは、こうした背景があるのかもしれません。

私は、何を自分のなかに取り入れるのか、取り入れないのか、総点検が必要でした。
その結果、信仰そのものは取り入れる人と、信仰も取り入れないことを選ぶ人がいるということなんでしょうね。

でも私、結局「愛の宗教」の部分は分からずじまいだったな…。たぶんそれがキリスト教から離れた理由としては大きかったのだと思います。

とはいえ私がキリスト教に感じて生きづらさを感じるようになった背景は、これだけではありません。

母親がキリスト教に出会う以前から行ってきた虐待と、キリスト教に出会って加わった虐待と…。
次からはその話をしていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?