伝統キリスト教の2世問題を考える、2つの視点

どうも。相変わらず透明な存在として扱われている伝統キリスト教2世です。
今朝(2024年5月1日)、NHK7時台のニュースで「信仰を背景とした虐待」が取り上げられた時も、まとめで同志社大学の先生が話していて、軽く絶望しています…。

(同志社大学神学部は、プロテスタント大手である日本基督教団の牧師を養成しています。)

大手メディアでは、伝統宗教が「まともな宗教」ポジションで出てくることが多いんですよね…。確かに穏健だし、金銭的な被害など「マシ」なのは間違いないのですが、当事者としては地味にダメージを受けるのです…。
(私は日本基督教団ではないけど、キリスト教の大手老舗で育ちました)


さて、今日は伝統キリスト教の2世問題を考えるときに、私が知って欲しい2つの視点について書いていきます。

それは、
1.2世問題は、どの教団でも起こるということ。
2.キリスト教という看板をかかげても、いろいろな教会があるということ…


1.2世問題は、どの教団でも起こると言うこと…

これは、私がnoteでキリスト教2世としての経験を綴っていた意味なのかなあと思っています。


1-1.地獄の恐怖で、教会から離れられない。

私は穏健、老舗とされる教派で育ちました。
それでも地獄は怖かったし、教会で教えられる罪の意識にも苦しみました。

私のいた教派の信徒さんから、
「ええー、うち地獄なんて言わないでしょ?」
と言われたこともあります…。

ただね、私のいた教会の司祭は数十年前に教育を受けた人でした。
「今の私たちの教派は、地獄や世の終わりについて教えなくなってしまった。嘆かわしい」
と嘆いていましたよ。こうした人たちを再教育しないできたのは、教団の責任でしょ?と私は思います。

1-2.教会内での精神疾患への偏見

他にも私が長じてメンタルを崩したときも、
(背景には母からの身体的・心理的・宗教的虐待、教育虐待があったと思います)
教会内で追い討ちをかけることがあったことも事実です。

案の定、所属教派の人たちは、
「たまたまその教会がおかしかっただけ」と言われましたが、だからと言って私の経験がなくなるわけではないのでね…。

教会内でメンタル疾患が厳しい目に晒されたり、ひどい場合は子どもが親からメンタルの薬を取り上げられたり…これらの経験をnoteで書いたときには、他教派で育ったキリスト教2世から、

「私のいた教会の牧師も、精神疾患の人たちには冷たかった」
「私のいた教会でも、精神科の薬を取り上げていた」
「私のいた教会では、精神疾患を悪霊のしわさだといって、患者さんの体をみんなで叩いていた」


など反応がありました。


もちろん適切に対応している教会もあるのは事実ですが、
(実際、そんな話をしてくださった方もいます)
私は自分の経験が、ごく限られて例外ではなかったと言う事実にドン引きしました…。

いすれnoteに書きたいと思っていることの一つに、牧師や神父がが虐待や精神疾患についての今の知識がないまま、家庭やメンタルの問題に立ち入ってしまうという問題があります。

私の経験は、その問題の中で起こってきたことだと思います。そして、こうしたことは他の教会でも起こっているのだろうと考えさせられました…。


そしてもう一つ。
日本では、キリスト教界全般への知識が足りてないということです。
(かと言って、海外では知識が豊富かどうかは確かではないです…ごめんなさい)


2.キリスト教という看板をかかげても、いろいろな教会があるということ…

それはよくキリスト教界で言われる、
「日本人は宗教に偏見があるからー」とか、
「日本人はね、カルトとまともなキリスト教の区別がついてないからー」
という話ではありません。

同じキリスト教という看板を掲げていても、
・信徒の生活・人生への束縛がきついところと、信徒をそこまで縛らないところがある。
・聖書を文字通り解釈する「原理主義的な教会」と、解釈に幅を持たせている教会がある。
・なかには、カルト化している教会もある

こうしたことが、日本ではあまり知られていないように思います。


だから「ちょっと変かも…」と思うことがあっても、他を知らないから比べることができない。
もっというと自分がたまたまたどり着いた教会が「キリスト教のスタンダード」だと思い込んでいるから、他と比べて判断するという発想を持つことができない。

そのために何も知らないまま、その教会の1世が極端な教えを2世に押し付けてしまう。
そこから生まれるキリスト教2世の被害もあるのだなと、私はTwitterで他の2世と交流しながら知ることになりました。

たとえば2世の結婚ひとつ取っても、教会によって考え方は幅広いです。
クリスチャン同士の結婚に異様にこだわる教会もあれば、クリスチャン同士の結婚にこだわらない教会もあります。

ちなみに私の場合、母はクリスチャン同士の結婚に拘りましたが、教会自体はそこまででもありませんでした。
(ただし、2世が教会で挙式しないと親は居心地の悪い思いをするなど、微妙な集団の圧はありました…)

2世自らが、クリスチャン同士の結婚を望む分にはいいと思います。
でも、その2世が「そこにこだわらない教会もある」ことを知らないとすれは、それが自由意志と言っていいのかは怪しいです。

さらに親御さんがそれこそがキリスト教のスタンダードだと信じ込んで、子どもの恋愛や結婚を最悪の場合潰してしまう…。こんなにキツイことはないですよね…。
(Twitterなどで体験を読んで驚きました…)


私自身、自分の気持ちの整理のためにnoteにあれこれ書いてきました。
それでも、ほかのキリスト教2世の経験はこんなもんじゃないぞ!という気持ちもあります…。

そして「キリスト教も色々あってね…」ということを周知せず、ただキリスト教全般のイメージを良くしようとしてきたキリスト教界は、果たして「羊たち」の人生を大切に思ってきたのかと疑問に思います。


実際、Twitterでキリスト教2世と交流していても、
「ああ、この教派は被害が多そうだな…」
と感じるところはありますからね。

私自身は、キリスト教の2世問題や宗教虐待をゼロにすることはできないだろうと思っています。
でも「キリスト教も色々ある」ということが知られるだけで減らせる苦しみはあるのになあと、もどかしく思っています。
2世だけでなく、1世の被害もね…。

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