言わなきゃわからないし、言ったってわからないくらいでちょうどいい
私は、もともと強固な察してちゃんだった。
私はいま機嫌悪いんだから放っておいて、と。言葉にせずに、態度にだけだして周りを威圧し、萎縮させていた。萎縮した周囲が機嫌が悪い私に構ってこないのにいい気になっていた。
そして逆に、それでも放っておいてくれない、気遣ってくれない人に苛立っていた。私が機嫌の悪い原因を作っているくせに、察してくれない人にも腹を立てていた。
常識的に考えて、普通はわかるでしょ。そんな言葉を胸の内で唱え続けていた。
冷静に見つめ返すと、あまりにも愚かだと思う。
私は機嫌が悪いと。だから放っておいてほしいと。あなたのこういう行動が嫌だったと。言ってもいないのに、察してもらおうなんて。気づいてもらおうなんて。そのとおりにしてもらおうだなんて。
そんな都合よく振る舞ってくれるのなんか、幼いわが子を相手している親くらいのものだ。
プログラムのコードだって「こういう振る舞いをしてほしい」と1から100まで懇切丁寧に記述して初めて「期待する振る舞い」をしてくれる。なんならそれでもエラーを吐いたり、意図しない動きをしたりする。
それをましてや人間相手。言わずに伝わるわけもなければ、言ったところで期待するように振る舞ってくれるとは限らない。
嫌だと拒絶されるかもしれないし、そもそもうまく伝わらないかもしれないし、頑張ってもできないとなるかもしれない。
人間相手というのはそんなものだ。
これは別に諦めじゃない。人に期待をしすぎないということだ。
私はこうしてほしい。けれど、できないのなら、やりたくないのなら、伝わらないのなら、それはそれで仕方がない。私とあなたは別の人間で、同じものが好きで、同じものが嫌いでも、決しておなじになることはできないのだもの。
もしそれに耐えられないのなら、円満に距離を置きましょう。
そこをできるように、やりたくなるように、伝わるように頑張ったってお互いが疲れてしまう。そうしたほうがよりよい関係が築けると信じたところで、それは一方通行の押し付けになってしまう。
だから、私は「機嫌が悪い」「それはいや」「そういうのは嫌い」を言葉にする。もし、言葉にしていないのなら、何をされても気にしない。
常識的に考えて、普通は、なんて言葉は人それぞれだし、回り回って自分の首を絞めるから。
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