マガジン

最近の記事

7/23 ラマユルへ

 4時半起床。起床、というか煌々と電気が点いた部屋で横になりながらウトウトしていただけなのだが、とにかく無事時間に間に合うよう起きた。日本を出る前、寝坊で飛行機を逃したのが懐かしい。ナオさんと合流し、宿を後にする。バスに乗ってから気付いたのだが、僕は宿代を払うのをすっかり忘れて出て来てしまった。2日分の無銭宿泊だ。どうせレーに戻って来る「予定」だし、その時にまとめて支払えばよかろうと日本ではあり得ないようなことを平気で考えていた。  ポログラウンドに到着したる頃、ようやく空が

    • 7/22 レー3日目

       7時起床。窓からはビューティフル青空。QOL、いきなり高まる。将来的に家を建てるなら、寝室には特別大きな窓を拵えることに決める。今日はナオさんと旅行会社へ行き、ダー・ハヌー地域のパーミッションを取得し、バスの予約を済ませるという予定が入っている。集合は10時半だ。せっかく早起きできたし、約束の時間までブログでも書こうと思い立ち、朝の支度もそこそこに、昨日も行ったカフェ「coffee cave」へ向かう。  8時オープンのはずだったが、店内には客はおろか店員すら居ない。しばら

      • 7/21 レー2日目

         8時。初めての場所にも関わらずチェックを怠っていたが、幸いなことにベッドに虫は出なかった。それとも標高3500mでは南京虫も流石に生きていけないのだろうか。眼鏡を着け、辺りを見渡すと、他のベッドは既にもぬけの殻。どうやらモニカもディエゴも早起きらしい。昨晩の話では、今日は3人でチェックアウトした後、より良い宿を探して周る予定だったが、僕はどうもその気がしなくなっていた。別に2人が苦手だったわけではないのだけど、ようやく辿り着いたレーを一人で堪能したくなっていたのだ。宿も、皆

        • 7/20 レーへ

           午前2時。大体この辺だろうと見定めた場所をウロウロしていると、巨大なバックパックを背負った同乗者と思しき西洋人を発見する。共に真っ暗闇の中をしばらく待っていると、山道をジープが登って来た。14人乗りぐらいの、日本のバスの半分くらいのサイズ。すでに他の街で拾われたであろう乗客たちが、眠そうな顔で車内からこちらを見ている。運転手が降りて来て、僕のバックパックを受け取り、車の上に乗せ、他の荷物と一緒に紐で括り付ける。これからかなり激しい山道を走るというのに、実に心許ない。落ちたら

        7/23 ラマユルへ

        マガジン

        • 旅のダイジェスト
          19本

        記事

          7/16・17・18・19 そして20日 バシスト脱出

           16日。翌朝。バシスト初日の一件と、急に感じ始めた孤独感からか、目覚めた僕は何故か何もやる気がしなくなっていた。これ以降4日間の事はほとんど何も思い出せない。evernoteのメモが急にやる気を無くしていて、書こうにも何も書けないのだ。  いつもはどんな感じでメモしていたかと言うと、例えばこれが7/11(マナリ行きのバスが来なくて慌てた時)のやつ。  結構細かくその時の心情とかも書いてある。これが1日分ミッチリ書いてあるため、思い出しながら文章を再構成するのは意外と簡単で

          7/16・17・18・19 そして20日 バシスト脱出

          7/15 バシスト1日目

           朝6時。標高約2000mのマナリの朝はTシャツ短パンでは若干心許ない。震えて目が覚める。今日、オールドマナリからビアース川を挟んで向こうの山に位置するバシスト村へ移動する事に決める。聞くところによるとバシストには温泉があるらしく、学生時代を(成績発表がまだなので未だ学生の身だが)別府で過ごした僕の温泉欲が限界になっていたのが移動の理由である。  のんびり支度をしつつ、まりもさんに軽く挨拶を済ませ、再会の約束をして11時チェックアウト。時間は山ほどあるので、バシストまでは歩い

          7/15 バシスト1日目

          7/14 オールドマナリ3日目

           【現在僕はシンガポールにいる(8/14)朝5時。久しぶりにwi-fiに接続しnoteを確認すると、ある、とても文章が上手な方からこのブログの紹介を頂いており、大変嬉しい気持ちになったので続きを書こうと思い立ちパソコンを開いた次第。恐れ多いのでリンク等は貼らない。ただ、めちゃめちゃ嬉しい気持ち。続けます】  7時起床。日本では夜型の生活をしていたせいか、時差5時間のインドではやたら早く目が覚める。夜型生活に困っている人は一遍地球の反対側で一週間暮らして戻って来ればいいんじゃ

          7/14 オールドマナリ3日目

          7/13 マナリ2日目

           飯も食わず水すら飲まず、15時間程寝続け午前9時起床。バルコニーからは相変わらず美しい山々が見えている。身体も心も完全に回復していた。同時に、エルとマイクとシングルルームのせいでかなり人恋しくなっていた僕は、オールドマナリでドミトリーを探すことに決め部屋を出る。荷解きもしていなかったため、支度はすぐに済んだ。  歩き始めてすぐ、猛烈に腹が減っていることに気付き「hadimba food corner」という僕と同い歳くらいの若者がやっている店でほぼ2日ぶりの食事を取る。チキ

          7/13 マナリ2日目

          7/12 マナリ1日目

           鳥。川。森。6時。目が覚めると山の中に居た。デリーやコルカタにあった喧騒が嘘のように消えている。窓から見える圧倒的な大自然に感動し、ひたすら眺める。mabanuaの『Blurred』というアルバムを何度もリピートしていた。   前日の大騒動もあり身体も心も疲れ切っていたのだが、やっぱり自然は凄い。元気になる。マカオと香港を結ぶ巨大な橋などに対する「人間スゲえ」とはまた違う感動だ。それはただ立ち尽くし、眺めることしかできない、壮大な世界に対する感動だ。  「それ」はずっとそ

          7/12 マナリ1日目

          7/11 デリー最終日 マナリへ。

           昨晩は本当によく飲んだ。寝つきは悪かったが体調は良い。この腹以外。飲み過ぎから来る腹痛が朝から僕を襲っていた。まさかインドに来て、水や食べ物で無く、酒で腹を壊すとは思わなかった。トイレに篭りながら苦しみつつ、そういえばもう4日もデリーにいることに驚く。午前8時であった。  デリーには元々北インド、レー・ラダック地方へ行くための通過点として訪れただけだった。しかし、ウロウロしているだけで何かが起こるのが面白く、ついつい長居してしまっていたのだった。今日バングラの男達や、一昨日

          7/11 デリー最終日 マナリへ。

          7/10 デリー3日目

           10時半に目が覚める。昨日の酒が残っており、頭が少し痛む。今日は1日ゆっくりすることに決める。ダラダラと起きてバルコニーで日課の洗濯物を確認すると、僕の服達は昨日と同じポジションに戻されており、相変わらずビショビショになっていた。何でここでこんなに洗濯物の事について書いているのか分からないけど、これは僕にとって1日の気分を決める重要なことなのだと思う。とにかく、今日は生乾きの気分でスタートする事になった。  外でギターの音が聴こえるので聴きに行く。イスラエル人が共有ルームで

          7/10 デリー3日目

          7/9 デリー2日目

           七時起床。昨日爆発したコンセントは朝になると何故か直っていて、充電切れだったスマホを恐る恐る繋げてみる。給電はスムーズに行われた。noteから通知が来ている。「サポートを貰いました」とある。noteの機能についてよく知らなかったのだが、サポートといって任意の額、投げ銭して貰える制度があるらしい。まさかこんな形でお金を貰えるとは思わなかった。合計額は2500円程。2500円というと、こっちで3日の生活費ぐらいになる。大変ありがたい。それに誰かに読んで貰っているという実感が湧く

          7/9 デリー2日目

          7/8 デリー1日目

           その後も起きたり寝たりを繰り返していると、ようやく列車はニューデリーに到着した。時刻は8時であった。昨晩、少年と別れた後しばらくして目を覚ますと僕の隣で知らない男が寝ていたのには驚いた。彼は僕とベッドの隙間にうまく体を縮こまらせて、あたかもそこが自分の席であるかのようにスヤスヤ眠っていた。よく見ると周りも1人で使っている席は殆ど無く、大体2人や3人で狭いベッドを器用に使っていた。聞くと、彼らはもう一つ安い、つまり最低料金である座席だけの車両を予約した人々らしく、夜になると寝

          7/8 デリー1日目

          7/7 コルカタ⇨デリー 列車の中で

           朝5時。前夜の「気合い」が効いたらしい。調べ直すと電車は8時15分発だったので、若干早く起きすぎた。ここから駅までタクシーで20分位だ。余裕すぎる。人間失敗を重ねて成長していくものなんだなと、朝から自分の成長を喜ぶ。自分の成長を感じる事ほど幸せなことは無い。多幸感が全身を包んでいる。喜びの余り二度寝する。  6時。インド人スタッフに揺すり起こされる。「お前、今日の列車だろ?起きなくていいのか?」「いや、出るよ。出る。今すぐ出るよ」飛び起きて朝の支度もそこそこに急いで荷物をま

          7/7 コルカタ⇨デリー 列車の中で

          7/6 コルカタ最終日

           8時起床。昨日同様テイクフリーのチャイをがぶ飲みする。アビと再会。昨日は仕事が大変で、早く寝ていたらしい。ご苦労様です。二日間で会った人々に軽く挨拶を済ませ、日本人宿サンタナへ移動する。どうやら宿泊者が少ないらしく、6人部屋のドミトリーを僕1人で使わせて貰える事になった。ラッキー。ここぞとばかりに洗濯物を干しまくる。コルカタはシャワーで軽く服を洗った後その辺に干しておけば半日でカラカラに服が乾くので、バックパッカーには大変過ごしやすい。久しぶりに洗濯物ができて気分晴れ晴れで

          7/6 コルカタ最終日

          7/5 コルカタ2日目

           昨晩の酒がかなり残っていたが8時には目が覚める。大分酔っていたし、ベッドから落ちてもおかしくないと不安だったが、意外と大丈夫だった。よく考えると寝ててベッドから落ちることって殆ど無い。歳取ったら変わってくるのかしら。 ↑この一番上が僕のベッド。怖い。  ゲストハウスの朝食でインド初のチャイを飲む。僕はチャイが好きだ。チャイを愛している。たまに実家でスパイスから作る程度には愛している。このゲストハウス、そのチャイが飲み放題だった。インド人・バングラ人は1杯をゆっくりと大事

          7/5 コルカタ2日目