見出し画像

機動戦士ガンダムにおけるニュータイプの凋落

未だにやっている機動戦士ガンダムシリーズ。宇宙世紀0079の一年戦争を描いた機動戦士ガンダムは、ジオン・ダイクンが提唱した人の覚醒であるニュータイプとは、ララァが死後、アムロとの会話で語られたニュータイプは戦いの道具ではなく、人は分かり合えるに尽きる。第一作で終わっても良かった。
だが、イデオン、エルガイム、ダンバインなどが、低調に終わり、機動戦士Ζガンダムにグリプス戦役が描かれたサイコモノで、その最たるモノが人工ニュータイプの強化人間とサイコガンダム。確かにララァはサイコミュなるシステムでビットを操っていたが、強化人間が操るサイコガンダムは超能力である。かつてニュータイプはエスパーではないという一線を越えてしまった。機動戦士Ζガンダムは作品としては、良かったが、トーンが暗かった。ここで終わっていても良かった。

だが、ここからニュータイプの凋落が始まるギャグ化。機動戦士ΖΖガンダムは、そんなモノであり、映画機動戦士逆襲のシャアでは、ファンネルなるビットの進化系とも思えるモノだったが、それを操りアムロと他の人間が駆るモビルスーツ達により隕石の地球落下を阻止してしまう。アムロとシャアは死に。ここで終わっていても良かった。

もうサイコと付けば万能である。何でもあり、キャラクターもロボットも名前がガンダムついて戦いがあれば良い。

どこで間違ってしまったのだろう。人は分かり合えない。ニュータイプは何処に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?