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#カワイクイキタイ27「可愛く生きたい」

 柔軟剤を変えた。体毛に柔軟剤の香りがうつってしまったうちの猫たちをたまらなく愛しくおもった。抱きしめて頬擦りしたら迷惑そうだったけど、逃げずにされるがままでいてくれた。撫でるととても嬉しそうな顔をした。動物の感情表現が乏しいなんて真っ赤な嘘だ。お前に触られたくないだけだ。

 いつもなら食べない量の食事を、あなたといっしょに食べた。急上昇した血糖値により、好きなだけ食べて眠くなる身勝手な人間が、ほとんど同時に二人うまれた。このまま眠ってしまえたらいいのに。降りる駅がもっと先だったらいいのに。この時間がもう少し続けばいいのに。そう思っているのが、私だけじゃなければいいのに。

 天気がいいから、散歩して帰った。近くに来たから、今何してる?と連絡をした。会いたくなって、会いたいねと言った。また明日、と手を振った。

 昨日はとてもたのしかった。

 明日が待ち遠しい。

 そういう毎日をつくればいいんだ。ただそれだけのことだ。

 ごめんね人生、つまんないなんか言って。つまんなくなんかない。つまんないのは私の方だ。

 どうしてそう思ったんだっけ。

 この人生をおもしろおかしく、可愛く生きてゆきたいと願ったんだった。心で泣いてばかりいないで、笑って過ごしてゆきたいと祈ったんだった。

 出会えたことを喜びたかった。

 あなたが悲しみになってしまうのは、悲しすぎて嫌だったんだ。

 たった一年前の自分が、自分じゃない気がする。誇らしくて、ちょっと嫉妬する。なにがちがうんだろう。同じ人間なのに。

 もうあんな風に書けない気がする。もうそんな風に思えない気がする。それってさみしいことなんだろうか。それもどうせ忘れて、最初っからこうだったと思うようになるんだろうか。

 あの日の自分、まだそこにいますか。いるなら、まだ生きてますか。

 もともと私は形を持たない液体なんだ。親しい人を5人集めて平均した人、それが自分だ。と、どこかで読んだんだ。愛する人が型になってくれて、なんとか人の形を保っているだけの、液体。

 私は、私の好きな人でできてる。

 本当にそうならどんなに素敵なことだろう。

 本当にそうであってほしい。うれしいじゃない。あなたといっしょに生きてるみたいで。

 あともう一度でも大きななにかがあれば終われるのに。なにを?わかんない。人生を?そうかもね。

 終わりたいわけじゃない。ある日突然終わることになっても、後悔しないかが問題なんだ。大きな地震がきた時に、きっとカバンに入ってくれない猫たち。離れて暮らす家族。仲間や恋人。

 昨日はとてもたのしかった。

 明日が待ち遠しい。

 そういう毎日をつくればいいんだ。ただそれだけのことだ。

 ただそれだけのことが、全然うまくできないんだ。

 「世界は美しい」と、別に私だって思ってる。あんたに言われなくたって。そのドヤ顔が、聞き飽きたサビのメロディが、押し付けがましくてムカつくって言ってんだ。

 自分を愛さなければならない。
 自分の人生を愛さなければならない。

 そんな脅しは全然ピンとこないけど、あなたが悲しむから、怪我も病気もしたくない。急に死んだりしたくない。泣くよりも笑っていたい。

 すると不思議なことに。自分を大切にすることに、結果的になってるらしい。へえ、それは幸運でした。私はあなたを大切にしたいだけなんだけど。

 今日は、死んだあの子の誕生日だ。明日は、あの子の一歳の誕生日だ。

 悪くない。悪くない。
 少なくとも、私にはそう見えてる。

 世界は別に美しい。でも、あなたの方がもっと美しい。ただそれだけのことだ。

ひとくちメモ

2024年2月2日をもって『#カワイクイキタイ』は一周年を迎えました。パチパチ。

当初、ひとまず一年という話で始めたものでしたが、こないだの撮影で「次はどこに行こう」「この写真を出すときの文章が楽しみだ」という話しか出なかったので、まだ当分続けられそうです。私は「一年経つけど、私たちどうする?」と言葉にできないタイプの人間です。

どうして『#カワイクイキタイ』なんて願望的なタイトルにしたのか。馬鹿みたいですが、いいことばかりではない人生を、ユーモアをもって生きてゆきたかったんでしょうね。真剣と深刻は全くの別物で、すぐ深刻になってしまうから。

可愛く生きてゆくことや、生きることを楽しむことが、自分にとってとても難しいことでしたが、最近はそうでもなくて、ものの考え方がわかってきた気がします。

自分のことは大切ですが、別に好きでも嫌いでもありません。好きになれる根拠も、嫌いになる理由もない。一人の人間としか思えません。

でも、自分の好きなところは言えなくても、好きな人の好きなところはいっぱい言えます。自分を大事にするより、好きな人が悲しむことをしないの方が、何をすべきかわかるというか。他人の存在ありきで自分のことを考える方が、私にとっては色々と簡単なようです。書くことで整理されているのかもしれません。やってよかったな、カワイキ。

最初の方に書いたものを読むと、もう書けないような文章を書いてました。書けないというか、これを書くことに今は興味を持てないという感じ。でもいい文章でした。ちょっとさみしくて、悔しくて、不安になりました。が、

そのとき書けるもの書けばいいか。
もっといいもの書けばいいか。
そもそも書けなくなったらやめたらいいか。

そう考えるのも「可愛く生きる」ことなのかもなと思います。

撮影日:2023年5月14日
撮影場所:木洩れ陽スタジオ(目黒区)


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