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学園祭は行きたくない

057 学園祭は行きたくない

学園祭が苦手だ。
みんなの作品を見に行くのは好き。
誰かと回るのは苦手。
うるさい音も苦手。
けれどもみんなに会いたい。
好きな友人とまわるのは楽しい。
急に行きたいとこができて、急に帰りたくなる。
そんなじぶんに付き合わせてしまうのが申し訳ない。
 
大学を歩けば、長くとも10mに1人は知り合いがいる。久しぶりに会う子にもあえてとても嬉しい。だけど人混みにいるととても苦しくなってしまう。前はこんなじゃなかったのになあ。耳栓もほしい。音楽が好きな割に、体調が悪いときには特にスピーカーを介した音で息苦しくなる。

学園祭には学園祭が好きな人しか来ていないだろうからなあ。私のような無鉄砲もいるだろうか。

人間になりたい by B研

 そうなるとわかっていながらも、4年目にして初めて学園祭に訪れたのは、好きな学生デュオ『からっぽ』の発表があるのと、親しい友人たちがダンスを踊るから。
 1日目の暮れかけのときのステージの『からっぽ』の演奏。アレンジが利いていてはじめから人を惹き付ける演奏だった。

「からっぽ」のステージ

 友人たちがダンスを踊る姿を初めてみた。いつもとちがう姿を見るとドキドキしてしまう。表現するということを考えた。私の最近のテーマということもあり。


 金曜日に慕っているK先生の誘いでロゲイニングに出た。おじ様3人と私の3人で走った。私の悩みや考えていること、或いは思いもしなかったことについて、一緒に考えて、教えてくれた。駅に迎えに来てくれたK先生の車内での問いは、「君は自分の表現方法を持っている?」だった。まさに私のテーマだったので驚いた。私は悩み、「文章を書きます」と答えた。彼も学生時代ブログを書いていたといい、私もブログを書いていると伝えた。私は他にも表現方法をもちたい。音楽や絵、演劇など。彼は躍りを勧めてくれた。それから松本にいる躍り手さんを紹介してくれた。私の車内での数々の発言から、私が物凄く他者視点であることを指摘した。実際に思考の癖も行動基準も、私にとっては「ひとにどう見られるか」を重要視してしまう。他のおじ様も加わって、話を聴いてくれる。「受け手がどう感じるか」、よりも、「何を伝えたいのか」が大事だと教わった。文章を書くときの基本として、「読者を想定し」て、「その人(たち)に何を伝えたいのか」という姿勢で書くといいという。インスタのストーリーや投稿は<誰>がかなり強烈に意識されていると思う。私は誰に伝えようとしているのだろう。顔を見ぬ仲間か、未来にみるだろう自分か。
 マイナーなものを好きだということにも抵抗がある、という話をすると、彼らの場合は、寧ろそれをかっこよく思っていたようだ。私もそう思えるものとそうではないものもある。

くるくる変わる自分を怖がらずに見つめたい。
 
20231105 日曜日

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