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違国日記(漫画感想:3)_リスクを取って、傷つきながら得たもの

「違国日記」は祥伝社から発売されている「FEEL YOUNG」で、2017年7月号から2023年7月号まで連載行さていれた漫画で、作者はヤマシタトモコ。
読み始めた当初はそんなに惹かれなかったのだが、最後まで読み終えてさらに何度か読み返すうちにジワジワとくる。
これまでの感想はこちら。
以下、ネタバレを含む感想などを。

将来について考えることの必要性

朝は高校生活に慣れてくると、徐々に「自分には何もない」ことに悩むようになる。そもそも性格的に主体性が無かったのもあるが、両親が亡くなるまで切迫した悩みや、必要に迫られるような決断を迫られることが無かった。

16~18歳くらいで、周囲の人より優れた特技や飛び抜けた個性も無いからそんなものだとも思うが、そもそも自分の頭で考えて判断することに慣れていないのは、様々な決断を母へ委ねてきたというのもある。
象徴的だったのは軽音部へ入るように勧めた槙生に対して、すでに母はいないのに朝は「バンドはお母さんが嫌がったから」と歯切れが悪く、目先のことですら自分で判断するのに戸惑っていた。

対照的に同年齢となる親友のえみりや、学年トップの秀才森本千世は将来のイメージが朝よりも明確にある。元々朝よりも思考力が優れているというのもあるのだろうが、必要に迫られてというか境遇にも原因があって、将来のヴィジョンが見えているからといって楽になれたり幸せなのかというとそうでもないところが痛々しい。

『8巻:page.39』同性愛者のえみりは、朝にカミングアウトしてから「なりたいあたしになりたいだけ」という願望を口にした後、「好きな人と結婚したい」と付け加えているが、残念ながら2024年現在の日本で実現しないからこそ、作品を通して訴えていると思われる。

2015年に渋谷区と世田谷区でパートナーシップ制度を開始して以降、多くの他の自治体も同様の制度を導入してきたが、この制度は結婚と異なって法的効力が無いから、遺産を相続したり子どもの親権者にはなれない。
別件だが夫婦別姓すら認められず、昔ながらの家族のカタチに固執する人たちが日本の政治を担っている限り、えみりの願望が叶うことは厳しい。

森本千世が医学部の男女差別にキレているエピソードは、順天堂大学で実際に起きた不正入試を扱っているのだろう。
不登校になった森本千世は、それでも腫れ物のような扱いを受けながらもまた登校するようになっていたからポジティブな印象を受ける。
しかし将来医学部へ入学できたとしても、女性医師の診療科ごとのデータを検索してみると、その割合は皮膚科、麻酔科、眼科、産婦人科、小児科などに偏っているため、女性が希望の診療科になれるかどうかはまた別問題としてあり、ジェンダーギャップはずっとついてくる。

だからえみり、森本千世のように将来のビジョンを明確に持てたとしても、置かれた立場や環境によるその先の困難も予想される。
では、そういう行き詰まりや無力感に対してどう立ち向かうのか。

『7巻:page.34』で、森本千世から人生終わったかと訊かれて、「思わない、終わってない!!生きてるから!!」と返した朝の言葉には、まだ成長過程で語彙や思考力の幼い朝らしい言葉だが、強い意志を感じられる。
さらに、槙生から朝に向けた言葉によって具体的に掘り下げられてもいた。

無力感に対する抗うこと

物語の終盤、えみりと槙生から発せられる「どこにもいけない」、それと朝が自身に「何もない」ことを砂漠に例えているのは、彼女たちの今現在抱えている悩みや困難なこと、または未来に待ち受けている不安をひっくるめて「どこにもいけない」と言い換えていると解釈した。

「どこにもいけない」気持ちに対してどう対応するのかを『9巻:page.45』で槙生が作家仲間に対して語っている。

その無力感を肯定しないでいてあげたいって
思っちゃうんだよ まだ行けるから
まだ止まらないでって

さらに、朝には面と向かって「本当にやりたいと思ったなら、どんなにつまんないことでもやんなさい」と、つまり「どこにもいけない」感情に対して、諦めずに抗い続ける努力の重要性を説いている。

槙生は朝の母親代わりになるつもりはないから、朝へ何かを強要する言動を極力避けてきた。だから「やんなさい」と強く言い切っているのが意外に感じられ、その変化は愛情の裏返しとも受け取れる。
だから強く言い切ったのはある意味朝のパーソナルな領域へ一歩踏み込んだ、槙生なりの勇気だったのかもしれない。

『page.1』を読み返す

最終話まで読み終えてから改めて、最初のエピソードとなる『1巻:page.1』を読み直してみると、ささやかな日常になんともいえない幸せがあって、2人が出会ってから関係性を築くまでに辿った紆余曲折を知っているだけに思わず涙が出てくるような、またはじんわりと噛みしめるような感動がある。

他人が当たり前にしていることへのコンプレックスや、そのせいで他者との軋轢をいくつも経験してきた結果の選択として孤独に慣れた槙生のことだから、朝に出会わなければ笠町に頼ることもなく、孤独に生きることを選択していた可能性もある。

そんな槙生が朝との共同生活をしているうち、徐々にだが互いに影響を与え合うことで変化があって、朝と一緒にいることに幸せを実感出来るほどの関係性をつくれた。

もちろんそのきっかけは朝を引き取るという、槙生にとっての厄介事を引き受けたからこそ。
朝も一緒に暮らすうちにそんな槙生の苦労や覚悟を知り、槙生のことをかけがいの無い存在に思うようになった。
親戚をたらい回しにされかけていた朝を救っているようで、槙生自身も救われているというのが収まりがよくて美しい。


『違国日記』は20024年6月に実写で映画公開されるとのこと。
原作はいろんなテーマに対して問題提起がされているから、私にとって集中力を要する漫画で、単行本11巻という数よりもボリュームを感じる漫画だった。
2時間程度の尺に収めるとなると、原作に対して持っている良いイメージが壊れるのではという不安があるから、映画は周囲の反応を確かめてから観ようかなと思う。


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