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あそびあい(感想)_理想像を恋愛対象に押し付けている可能性について

「あそびあい」は2012~2015年に「月刊モーニング・ツー」で連載されていた漫画で、作者は新田章。
恋愛脳で思考が凝り固まることによる相手への干渉や、体だけでなく心も求めることなどを考えさせられる。
以下、ネタバレを含む感想などを。

純情な男と予測不能な女

これといった特徴の無いどこかの地方都市に暮らす高校生の男女、小谷ヨーコと山下温之(ハルユキ)を中心に、恋愛と性欲を絡めてパートナーに何を求めるのかが掘り下げられている。

山下はヨーコにベタ惚れしており、告白するもあっさり振られる。しかし2人には体の関係だけはあって、ヨーコは山下以外にもおじさんや同級生、大学生や非常勤の先生など、複数の男たちとも肉体関係がある。

それについてヨーコは「機会があれば誰だって楽しいことするでしょ?」と開き直っており、山下とは決定的に感覚がズレている。

やがて親友の横井みおと仲直りをする交換条件に2人は付き合うようになるものの、ヨーコが他の男と寝るのをやめなかったことが発覚して、山下はヨーコと距離を置くようになる。
そうして山下は他校の女子、椿と付き合うようになるものの結局はヨーコのことが忘れられずに別れてしまう。

このヨーコという女の行動にはモヤモヤさせられるところがあって、ルックスはものすごい美人ではないけどブサイクというわけでもない。色んなことにダラシなくて、お願いしたらヤラせてくれるけど、他人からの干渉を嫌がるあたり、なんともいえないリアリティがある。

ヨーコが留守電を入れるシーン、卵の特売セールへの付き添い依頼の後についでといった感じで「会いたいと思っ…」と言ってくる無神経なところが確信犯なのでは?と思わせるが、悪意はなく実際はただマイペースなだけ。

結局のところ浮気や不倫をしてはいけないという常識やモラルというのは、大多数の人々でつくりあげた不確実なもので、ある意味刷り込みとも言える。
ヨーコはそういう刷り込みの影響をあまり受けない育ち方をしており、自分の経験と頭で考えて行動した結果、一般的な感覚とズレているように思うのだ。

山下とヨーコのすれ違い

終始どこかが噛み合わない山下とヨーコ。その原因が何だったのかを考えてみる。

山下はヨーコの体だけで満足出来ず、自分だけを好きでいてくれることもヨーコへ求めていたが、それについてのヨーコの反応は常に鈍い。
しかし本当に気持ち良いセックスをするにはお互いの協力が必須で、ヨーコも男たちに体だけを求めているのではなく、より気持ちよくなれるセックスを相手に望んでいた。
どういうことかと言うと、山下はヨーコに嫌われたくないからヨーコを気持ちしてあげたいという思いがあった。
コスプレ好きおじさん遠藤にしたって、女子高校生とタダでヤレるだけでお得だろうから、ヨーコの望むセックスをしていたと考える。

対してカズヤに抱かれるときに「全然足りない」とヨーコは不満気。カズヤの扱いが独りよがりで、身勝手なセックスだったことが想像される。
ヨーコも体だけではなく気持ちよくなれるセックスを望んでいたのだから、求める心の質や深さは異なるものの、パートナーに心も求めるのはヨーコも同様だ。

恋愛にはお互いの気持ちや性格の不一致を楽しむ面もあると思うのだが、山下の場合はパートナーへ期待するものが大きく、相手を独占したいという方向を向いている。しかしヨーコは最初から期待値が低いから、相性が良くなければ会うのをやめれば良いとあっさりとしている。
自分だけを好きでいて欲しいと思う山下の思いには「勝手に好きになっておきながら、想像と違ったからヨーコに変化を求める」ところがあって、それは山下の図々しさともとれる。山下が「たった一人の女性を愛する俺」に酔っていたのは否めないと思うのだ。
しかも、山下はヨーコと別れた後に椿と付き合っていながらヨーコのことを忘れられないあたり、やっていることはヨーコが山下へしてきたことと大差は無いし、妊娠の可能性を考慮するとリスクは女の方が圧倒的に高いだけにその責任はむしろ重い。

だからこそ、最終的に体の繋がりを我慢してでもヨーコと結婚しようとした山下の決意は、山下なりの成長でもあった。それに気付けたのは、主に体を求めていた椿との付き合い方への反省があったからだろう。

ヨーコが複数の男を求める理由

気持ちよくしてくれる相手なら誰とでも寝る女ヨーコ。幾人かの男たちから自分だけを見て欲しいと求められても、次元の異なる返答でするりと抜け出してしまう捉えどころの無い女。

ヨーコが人との付き合いを軽視する傾向にあるのかというと、長い付き合いがある親友を失いたくないという気持ちはあって、それは物をくれたり、読み終えた漫画をくれるからだけというだけではないと思う。どちらかというと、自分と相性の合わない人との接触を最低限に抑えているという印象だ。

世の中には体の付き合いからはじまる恋愛もあったりするから、ヨーコのような女は奥手な女からすると厄介なライバルでしかない。
そもそもなんでヨーコは貪欲に男を求めるのか。性欲が一般人よりも強くて、快楽に身を委ねることへの正直さはあるだろうが、家の貧困も理由としてあるのではと勘繰ってしまう。

スマホを持たず、友人の誘いを断ってスーパーのタイムセールに並ぶ女子高生。読み終えた雑誌を貰うくらいは普通なのかもしれないが、それは幼少の頃から長く続いている習慣で、本作の連載当時ですら既に廃れていたであろうCDプレイヤーを有難がって貰っている。

いろんな男とやりたい?と問われて「機会があれば誰だって楽しいことするでしょ?」と返答していたが、それは家が貧困で、持て余した時間を潰せて手っ取り早く快楽を手に入れる娯楽がセックスくらいなのだとしたらヨーコを責める気になれない。

かといって貞操観念を理由にヨーコを責めるのも、本人が望んでいないのに仕方なくセックスワーカーを生業にしている人たちを否定することにもなりかねないが、ヨーコのあっけらかんとしてマイペースな性格のおかげで深刻にならないのが救いだと思う。

結局のところ浮気や不倫をしてはいけないという常識やモラルというのは、大多数でつくりあげた不確実なもので、時代や環境の変化で変わる可能性のある刷り込みとも言える。
ヨーコはそういう刷り込みの影響をあまり受けない育ち方をしており、自分の経験と頭で考えて行動した結果、一般的な感覚とズレているように思うのだ。

最終話の考え方

様々な可能性を感じるものの少し遠回しな印象の最終話。どっちつかずのまま終わる2人の関係がどうなったのかについても掘り下げてみる。
直接的な説明は無いため以下は全て私の想像となる。

まず、ヨーコは山下の望む通りに変わったのか。
これは、ヨーコの中で大きな変化は無いのではと思われ、メアドを渡そうとする山下の言葉を遮るようにして特売の卵へ付き合うように言う素振りからそう感じた。

そう思う理由については、部屋の整理をしながら山下が告白するために呼び出した際の紙を見つけたヨーコの反応からも感じた。
その紙を捨ててしまうのもそうだが、「変なの」という言葉が引っ掛かる。何に対しての”変”なのか。
ハッピーエンドを期待するなら、『告白された当時は何とも思わなかったけれども、今は山下のことが好きになっていた』そういうヨーコ自身の心境の変化についての「変なの」だったとも考えたが、紙をあっさり捨てているし、メアドを聞こうともしない態度がそれを打ち消す。

ヨーコは山下と付き合うようになってから他の男たちと寝るようになったわけではなく、元々そういう女だった。つまり当初の山下はそういう女だということを知らずに好きになったが、他の男と寝ることへの抵抗感を拭えないからヨーコに変化を求めると「嫌いになればいいのに」と突き放す。
しかし、そうするとそもそも山下はヨーコの何を好きだったのかという話しになってしまう。
さらに告白後に山下は振られたのにヨーコとセックスをしていたのだから、なんなら山下が好きなのはヨーコの体だけだったと思われても言い訳が出来ない。

だから告白の紙を見て漏らした「変なの」は、「私のことをよく知らないくせに告白して、勝手に好きな気になって自分の理想の女性に私を当てはめたいだけでしょ。それって変なの。」という理屈から出た言葉なのだと考えた。
これは少し前のエピソードとしてヨーコが「本当に今のあたしがイヤなんだね」と山下の考えに気付いていたのもそう思わせる。

そうしてお皿を空にするエピソードは、物でも人でも特に考えもせずに受け入れてきたが、それによって傷つく人もいることを考慮したからこそリセットしてやり直そう、ということだと考えた。
誤解や不要な期待をさせない態度を取るという意味ではヨーコなりの成長や変化ともいえ、山下のメアドを受け取らなかったのは残念ながら、現時点での山下は「好きなもの」では無いのだろう。
しかし、それでも2人はまだ高校を卒業したばかりで、これからいかようにも変化や成長があるだろうから悲壮感は無い。

いずれにせよ、恋愛の最中は冷静な判断力が鈍りがちだから山下の考えや態度の全てを否定できないし、ヨーコのマイペースなところも責められないなと思うのだ。


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