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ダンジョン飯(漫画感想1)_架空の食材で現実の料理へ仕上げる楽しさ

「ダンジョン飯」はハルタで2014-2023年に連載されていた漫画で、作者は九井諒子。
架空の食材を調理して見た目は現実に存在する料理に仕上げるメタ構造と、RPGなどで定番の世界観の合せ技が最高の画力で表現されている。
2024年1月~ 原作へ忠実な内容でアニメ放映されているけど、以下はネタバレを含む漫画版の感想などを。

80年代RPGを連想させる世界観

とある小さな島の小さな村で地下墓地の底が抜け、1千年前に滅びた黄金の国の王を名乗る男があらわれ「狂乱の魔術師を倒せばその国のすべてが与えられる」と予言し塵となって消えた。それ以来、一攫千金を求める数多の冒険者たちが地下墓地の下の広大な迷宮へ挑むように。

その迷宮の奥深くでレッドドラゴンへ挑んでいたライオスたちのパーティが全滅しかけたのを、ライオスの妹ファリンの脱出魔法で自分以外の5人を地上へ離脱させ、生き残ったファリンの兄ライオスが再度パーティを組んでファリンを救いに行くことになる。
という、ここまでの導入部は有りがちではあるのだけど、ユニークなのはレッドドラゴンに負けたことで路銀を失っていたため、栄養補給と食料については倒したモンスターを食べながら迷宮へ挑むというところ。

いくつかの大陸の存在する世界には人間以外にも様々な種族が混在しており、パーティメンバーはトールマン(人間)、エルフ、ハーフフット、ドワーフなど、指輪物語などでお馴染みのファンタジー世界で定番となる種族がいる。

またレトロゲームのファンからすると、ニヤリとさせられるネタが散りばめられており、迷宮の主が「狂乱の魔術師」と呼ばれていたり、愛らしい見た目で熟練の冒険者ですら瞬殺する「迷宮の兎」が、『ウィザードリィ 狂王の試練場』を連想させるし、マルシルが複数の死体を操って狭い扉をくぐらせるシーンはボコスカウォーズのようだった。
そもそも迷宮内であれば死者すら魔法で復活出来るというルールがなによりもゲームっぽい。

架空なのにリアリティを感じさせる世界観

倒した魔物を食材にするのだと『ダンジョンマスター』があったが、あれの食材は米国産RPGならではの派手な色どりのモンスターがそのまま輪切りにされてたりしたから見た目がグロテスクで、まるで食欲がそそられない。

だが『ダンジョン飯』ではセンシの調理技術によって、そのままではグロい魔物たちがちゃんと食べられそうな料理に仕上げられる。
しかも、動く鎧に可食部があったりクラーケンの寄生虫で鰻の蒲焼のようなものや、厄除け材料をブレンドした聖水を霊にぶつけてソルベをつくったりと、出来上がる料理に意外性があって楽しい。

調理前には必死で抵抗するマルシルを、一口食べたら満面の笑みにさせるほどの魔物料理がどんなものなのかと興味をそそられるが、架空の食材でつくられていて絶対にその味を再現できないからこそ、味を想像して誰かと語りたくなる。

食べることは生きるための基本だからこそ、いわゆるダンジョンRPGで空腹度が数値化されることはあったし、食べることでレベルUPする『Zwei!!』なんてゲームもあった。
しかしゲーム性やストーリーの進行上、食事がメインになることはなかったから調理や食事のシーンが詳細に描写されたゲームはまず無かったと思う。
そういう意味では前例が無いだけに好きにやれてやったもの勝ちというか、仮想世界での架空の食材で調理しているのに、出来上がりは現実世界の料理の見た目をしているという奇妙なメタ構造のアイデアが素晴らしいし、食物連鎖の頂点にいる人型種族がドラゴンや精霊ですら食材にするのも痛快で、食べるために魔物を狩るというのも面白すぎる。

また、様々な魔物たちの生態や動作などの設定もよく練られていると思われ、例えばRPG序盤のレベル上げですっかりお馴染みのスライムなんてどうやって冒険者をどう攻撃するのか?と長年疑問だった。
マルシルを窒息させようと上から降ってきて頭部へ覆い被さるのには、ドロっとした体質ならではの合理性がきちんと考慮されているし、口を封じられて呪文を詠唱出来なくなる状態異常は逆にスライムの特殊攻撃としてゲーム絵は反映させて欲しいとさえ思う。

死体回収屋の存在もユニークで、荒稼ぎするためにはむしろ冒険者に死んでもらう方が都合がよいからこそ、死者を復活させるための善意の人ではなくガラの悪い連中がやっているのだが、だからこそ無償で人助けをするライオスたちのお人好しな性格も際立つ。

それぞれの価値観や主張を受け容れること

『ダンジョン飯』では、異なる価値観を持つライオスのパーティー内4人の関係性が変化する様子も丁寧に描かれている。

ライオスとセンシは魔物食への興味によって当初から意気投合していたがマルシルとチルチャックは、どこからともなくやってきたセンシとの間に距離感があったりと、パーティー内の関係性は最初から良好なものではない。

しかし、解錠や罠の解除を得意とするチルチャックは、自分の領分に口出しされるのを嫌っていたが、罠の油を利用してかき揚げをつくるにあたって互いの技術を認め合うことで、それぞれの役割を考え直すようになる。

エルフとドワーフの仲が悪いのはファンタジー世界のお約束だが、ゴーレムを再生させる際にセンシは名前で呼ばずに”エルフの娘”と言っていた。
しかしマルシルが手間を掛けて水棲馬(ケルピー)から、石鹸をつくってくれたことに感謝したセンシはマルシルを名前で呼ぶようになった。

また、バイコーンを狩るエピソードで、チルチャックは他人の恋愛事情に好奇心を示すマルシルの態度を快く思っていなかったが、勧められて食べたシロップ入のサンドイッチに食わず嫌いだったと気付く。
これはマルシルの好奇心に対して、チルチャックのなかで許容範囲が変化したことへの比喩も含まれていると思う。

他にも、シスルに攫われたファリンを救おうと冷静さを失ったライオスを止めるチルチャックであったり、翼獅子に惑わされたマルシルを3人で説得するシーンなど、パーティーメンバーそれぞれが価値観や主張をぶつけ合っても、その主張を貫き通すのではなくお互いに歩み寄って関係性を深める描写が作品に深みを持たせている。
まさしく同じ釜の飯を喰うもの同士、徐々に互いのことを認め合うようになるのだが、そもそも美味しいものを一緒に食べて、怒り続けることなど出来ないのだ。

感想が長くなってきたので、続きは次回で。


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