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空気の波紋

写真を撮る人にとても憧れている。

私はカメラも持っていないし使いかたもわからない。iPhoneでできること以上のことをしたことがない。

とくにスナップがひどい。
写真の下手さには定評がある。友人と遊んだ日に撮った写真をシェアしようとしても、「あ、千紗ちゃんのはいいや♡」と言われるくらい。
理由ははっきりしていて枠内に人が入っていたらシャッターを押す、以上のことができないから。
昔から視線恐怖があってレンズや画面越しだとしても人の視線がこちらに向いている緊張に耐えられなくて、一刻も早くこの状況から逃れるためにシャッターを押す、そうすると想定外の出来映えになる。
カメラロールにろくな写真がない。


写真のことはよくわからない、でも写真集はいくつか持っている。
『As the Call, So the Echo』
奥山由之さんの数年前の写真集。昨年の春、買い求めた。


写真家・映像作家として有名であることをそのときはまったく知らなくて、フィルムカメラとデジタルカメラのちがいを調べていたときに、たまたまフィルムカメラを使う代表作家であるという紹介を目にして、いくつか調べた彼の作品群のなかからなんとなく心が惹かれたこの一冊を選んだ。

技術的なことは何もわからないから、ただ受けとった印象に過ぎないけれど、遠さがいいな、と思った。

撮ろうとするものが、どこか遠い。


ガラス越しだったり、鏡に映っていたり、ピントが合っていなかったり、実際に対象がすごく奥のほうにいたり。
相手の懐に踏みこんで、何かをあらわにさせる、暴く、というのと逆で、一定の距離を保ったところから相手をまなざす。
ぜんぜん踏みこんでいかない。

近づくことへのためらいもあるかもしれない。
でも距離を保つからこそ見えるものもある。


写真家の、一瞬への注意力に、いつも驚かされる。
私はふだん本ばかり読んでいて、本の世界というのはあっという間に百年くらい経ってしまうので、時間的な豊かさはあるけれども一方で瞬間への注意深さを忘れがちになる。(一瞬をあざやかに描く本ももちろんあるけれども。)

だからぱっと切りとられた一瞬の、そこにある何かが、ふだんつかっていない受容体にシャワーのように降り注ぐので、この写真集をはじめて見たとき圧倒された。二時間くらい動けなかった。

知ってた、と思った。
知ってたのに。が正しいかも。
こういうふうに世界をまなざすことを、昔はしていたはずなのに、もう失くしたんだ、というのがいちばん近い気がする。


「呼びかけたから、こだまが返ってきたんだ」

これは奥山さん自身によるタイトルの和訳。
あとがきに書いてあった。

言葉であれ態度であれ、人から発せられたあらゆる要素は、壁に投げたボールのようにして、いつか必ず自分に返ってくる。
まるで球体を描くように形成されていく周囲の環境は、自ら発している ”何か” によって形が決められているのではないか、と思える。

人の発する ”何か” が球体のように波紋を描いて周囲へと波及してゆき、それに人びとは反応する。そのようにしてだれかの発する声に、こだまを返すように呼応してゆくありさまを、写真にうつす。

距離を保ったところから、それでもまなざしを投げかけ、それはたしかに相手に届き、相手はそれを受けてまなざしを返す。だれかの発する声に、呼応する響き。
遠いからこそ見えてくる、その空気に描かれたささやかな波紋、それ自体を写真家のまなざしはとらえているように感じる。肉薄して相手とつながっているときには見えない、とてもささやかな空気のたゆたい、色とも音とも違う、”何か” をまなざすこと。
その ”何か” のこだまみたいに呼応しあう波紋のかたちを、うつしとる。

たぶんそれを、昔はちゃんと見ていたのだ。私も。


人を直視するのはいつでもこわかった。まなざしが返ってくるのも。レースカーテン越しに、ガラス越しに、焦点の合わないぼやけた視界の端や、すこし離れたところから、いつでも見ていたはずだった。人のかたちや色ではなくて、声や話す内容じゃなくて、そこからふわりとたちあがって、ゆれて出てくる何か。それがどこかに届いてだれかもまた何かを返す。そうして響きあう空気のかたち。

見えていたものはなんだったか、失くしたものはなんだったか。体の奥深くまで呼び覚ますような声を聴くためにときどきこの写真集をひらく。
空気の波紋を指でなぞる。私もまた、何かを発し、こだまを返して生きている。呼応する波紋のなかにいる。自らの発している声をかえりみる。響き交わす波紋が描くかたちを思う。ときどき泣きそうになる。
ちいさく声を出す。自分の声。きれいでなかったとしても。空気にきちんと返してゆく。そして遠くから届く声を響かせる。こだまするみたいに。


✴︎

追記

この本はAmazonからではなく、出版元の赤々舎さんから購入したのですが、手書きのお手紙がつけられていました。
この本を手にとってもらえることの喜びがしたためられていて、こういうふうに、祝福されて世に送り出される本っていいな、と思いました。


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