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むくろじの樹

駅までの道に、大きなむくろじの樹がある。

そこは藪で、たくさんの木がはえていて、そのなかでもいっとう大きいのがそのむくろじの樹だった。
夏になると小さな花をつけて、雪のように舞い散らす。そのうちに青い実がなって、ときどきまだ青いままの実が地面に落ちる。

冬になると、飴色になった実をぽとぽと落とす。ころころ道にころがって、ときどき車がふんでゆく。
透きとおった飴色の果実のなかには、まんまるの、黒い種がある。実が割れたのか、雨にうたれて果肉がそげたのか、ビー玉ほどの大きさのその黒い種が、地面にたくさん落ちていた。
それをよく拾って帰った。


行き帰り、その道を通るたび、むくろじの樹はなにか落としていた。ちいさな花、青いままの実、黄色くなった葉、琥珀色の実、黒い種。

みあげるとめいっぱいひろがった樹冠が空のほうにあった。


藪はある日、更地になった。草木が切られ、黒い地面だけになっていた。
たったいっぽん、いちばん大きなむくろじの樹だけが残っていた。
残すことにしたんだ、と思ってほっとした何日か後に、そのむくろじの樹もなくなっていた。


いま、きれいになった道を歩いている。
なにひとつ落ちていなくて、みあげても空しかない場所を歩いている。

でもときどきぽとりと落ちてくる。
そこにないはずの種を拾って歩く。

うえを見ると、おおきくひろげられた枝先から新緑が萌えでてくる。やがてちいさな花をつける。青い実をたわわにならせて、葉はしだいに黄色くあざやかに色を変えてゆく。こらえきれなくなった飴色の実が、ぽとり、ぽとり、と落ちてくる。それを見ながら、歩いている。ないはずの樹のすがたを見ながら。

こぼれてきたものを、私は拾ったのだと思う。
たいせつに自分の土にうめて、種が育っている。もうそこにいなくても、私のなかで育ち、いま新緑の葉をつけている。やがてむくろじの樹はまた、ぽとりぽとりと実を落としてゆく。

さよならのあと、また出会いなおして、私のなかでずっと生きている。
歩きながらまた、種を拾っている。渡してくれたものを胸に抱える。みあげる。空いっぱいの枝、葉波がゆれる。たいせつないのち。もうなくて、ずっとあるもの。


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