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読まれない、いやむしろ読まなくていいです

 『ツイ廃がTwitterやめたら長文書くのも苦にならないんじゃないか』と思っていたけど、現実はそうでもなかった。あいも変わらずまっさらなエディターを前に、『どーすっかなぁ』と思いながら左斜め上の虚を見つめている。
 意図的にTwitterで発信することをやめて、きょうでちょうど1週間経っただろうか。掴んでおきたい情報をチェックするために休憩どきや自室なんかで開いてTLを眺めてはいるけど、費やす時間は圧倒的に減った。証拠を見せようとスクリーンタイムを開いたら、初期設定の画面に飛ばされた。なんでやねん。機種変更に伴ってデータ移行をしたときに、設定の大部分を自分でやり直さなければいけないことに気がついたのは、それからしばらくしてからのことだった。おかしいなぁ、パソコンでフルバックアップとって戻したのに。今となってはめんどくさすぎて後手に回っている。そのせいでSlackの通知は1ヶ月以上も溜めてしまってたし、いまだにメーラーは以前の挙動と異なる通知設定になってしまっている。
 話がそれたけど、やっぱり自分はそれなりにTwitterに依存していたのだろうなと思う節はある。だから、ライフスタイルが激変した今のうちに、付き合い方を本格的に考え直さなきゃいけないなと。
 とはいえ、休止しようと思った真意はそこでは無いし、単に忙しくなったから、そこまで意識しなくても、どのみちSNSからは遠ざかっていたのだろうな、とも思う。

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 それに関連して、人間関係で"友人・知人を介さないと見えないような距離感"ほど扱いにくい属性はないな、とも思う。Facebookで言うところの、『友達の友達』ってやつ。そこまで仲良くなくても、なんかのきっかけで繋がってしまったり、"とりあえず"くらいの、トレーシングペーパーよりも軽い気持ちで繋がったり、あるいは向こうから勝手に近づいてきたり。それが友人伝いだったらなおさらで。なにかのタイミングでそれを切ろうと思っても、もしかしたらそれより近いところに影響を及ぼしてしまうんじゃないかと二の足を踏んでしまう。自分のメンタルが豆腐なだけ?とも自問するけど、いやいやそれで大変な思いした人おるやんけ、いやいやいや…と頭の中で堂々巡りをしてしまう体たらく。
 結局、臭い物には蓋を理論で解決(?)させちゃう自分にも嫌気が刺してしまい。

 書いててよくわからなくなってきてしまったので、このくらいにしておきます。考えながら上手に言語化できるようになりたい。


もうずっとこの企画に関連づけてもの書きたいくらいですわ。

だば。

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