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ネット上で解離性同一性人格障害(多重人格障害)の人と関わる際の難しさ

ネット上で、文字を通してだけで、多重人格障害(DID)の人と関わる際(しかも相手が多重人格障害だと自己申告していない場合)は、たいへん難しい問題に直面すると思う。

ネット上で、フロントに現れて絡んでくるのは、たいてい、いくつもある人格の中の、攻撃性の強い人格だったりする。

この障害がない人の場合なら、議論する中で、その人の中で、自問自答が生じ始め、理性的なブレーキと、態度の軌道修正が期待できる。

しかし、「解離」した特定の人格を相手にしていると、この「自制」→「軌道修正」能力に期待することができない。

これがTwitterであった場合、改めて相手のTLを取り出して追って眺めていくと、実はいくつもの人格の中で(お互いに名前を呼び合いながら)、すでに「協議」が行なわれ、「やめろよ」とか、いろいろな声もあがったりしている様が、生々しく見えてくる場合もある。

少なくとも、やりとりが終わった後、「反省会」のようなものをしている場合もあるようだ。

もしリアルな面接等の場で解離性同一障害の急性交代型の人に接していれば、表情や声の質のチャンネルが頻繁に切り替わるのがわかる。

治療者はそれらの人格の声を聞き分け、まずはそれぞれを支持的に受容しながら、徐々にモデレーター(調整者、司会者)としての役割を果たせばいいということになるかもしれない。

ところが、ネット上での文字でのやりとりでは、こうした声色や表情の変化は読み取れないわけだ。

深刻で継続的な虐待などの経歴がありそうな人の場合は、こうした現象は生じている可能性を考えにいれなけらばならないだろうが、そうたやすいものではないと想像できる。

以上、Twitter上で実際にこうした状態に巻き込まれた人を俯瞰する機会があった時の感想である。

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多重人格障害についての、ほんとうに初歩の初歩のことをお知りにななりたければ、次の電子書籍ブックレットなどもいいかもしれない:

ただ、このブックレットで、「人格の『統合』に向けての治療」という言い方が出てくるが、実際的に言えば、複数の人格は存在したまま、それらを「調停」する人格が生まれ、「会議」が可能になる、くらいの水準をめざせばいいのではないかという考え方が、今日では主流のようである。

この古典的名著については、まだ丁寧に読み返している途中なので、もう少し時を置いてからレビューできたらと思っている。

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