副業としてのカウンセリング、あるいはいかにカウンセラーを「見切る」か

カウンセラーの賃金的経済安定の必要は大いに論じられるべきだが、それは額に汗して(脳内伝達物質を消耗して)「専業で」働いている(働く意思のある)専門家のためのものだ。

ボランティアで「カウンセリング」するのは全く「健全」ではないと思う。

「カウンセリング・マインド」という言葉は安易に吹聴されるべきではない。
「人工的な」関係であることの「裂け目」は必ず生じ、「多重関係」の色彩を帯びる。

#東畑開人 さんふうにいえば、「ふつうの」身の上相談を日常の中でやっているありふれた機能の方が「まだしも」無害だ。

そこでは傷つけられたり満たされない人が、「収入に応じた」無理のいない有料の、専門家による訓練されたカウンセリングを受ける形が望ましいかと。

もちろんカウンセラーもピンキリ(少なくとも自分にとっては)だから、いくら「もう少し続けてみましょう」と「誘惑」されても、「言葉にならない『違和感』」が少しでもあれば、「見切る」つもりの方がいい。
ある日何も告げず突然行くのをやめるのも自由。

そうした後、カウンセラーが「うろたえて」どう動くか(動かないか)も「醍醐味」のひとつ。

ただ「『別れたい』です」とはっきり告げるのも悪くない。

その時の対応(こたえはひとつではない)で、カウンセラーの力量はあからさまになり、少なくとも別のカウンセラーを探す際の経験値になる。

話題は戻るが、実はカウンセラーが経済的基盤を心理職「以外に」しっかりと(!)確保し、「副業」として(もちろん料金はもらう)カウンセリングするのも、実は結構健全なスタイルになる場合があると私は考える。
もちろん、幾つになっても研修し続けることは大事です。
(私が今描いているスタイル)

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