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一生自分の「殻」を破り続ける……できる範囲で

脳科学者の黒川伊保子さんによれば、56歳は脳の完成期らしい。

一通り記事を読んだが、少々専門的な内容も含まれているのですべての内容を理解できたわけではない。

ただ。以下の記述を読んで、もうじき56歳になる私はなんとなく腑に落ちるところがあった。

56歳からの脳は、出力性能が最大に働く期間に入ります。とっさの判断に迷わなくなり、いったん出した答えへの確信が深いのです。

引用元:8760(小学館)

実はここ数年、とっさに行った判断が結果的に正解となる確率が急上昇している。

たとえば、返答に困る質問をされたり嫌味を言われたりした時、すぐにサクッと気の利いた返答ができるようになった。

また、仕事のオファーが来た時、自分が受けてよい仕事か否かの判断を素早くできるようになった。そして、「その判断が正しかった」と後でわかることが以前よりも増えた。

そのような現象を比喩的な表現で言えば、「頭の中に立ち込めていた霧が晴れて視界がクリアになった」印象だ。

その一方で、年齢相応の物忘れ(←念のため病院で脳の検査を行った結果)が増え、記憶力が衰えたことも自覚している。

そのような矛盾にとまどい、「私の脳にいったい何が起こっているの?」と思っていた矢先に目にしたのが冒頭で紹介したコラムだった。

要するに、脳の入力(インプット)機能は衰えつつある反面、出力(アウトプット)機能はピークまで上がってきたということらしい。

そのベースとなっているのはこれまでインプットしてきた知識や経験値だ。おそらく、56歳は自らの内にインプットしたものを自在に活用できるレベルに達する年齢なのだろう…と解釈している。

ただ、インプット力が落ちている…ということは、新しいことを受け入れる柔軟性がなくなっている…ということだ。それがいわゆる「頭が固くなった」と年配者が言われるゆえんだと思う。

それがエスカレートすると「自分が正しい」の一点張りになり、さらにエスカレートするとキレる老人になってしまうのだろう。

でも、それを平気で批判や嘲笑できるのは若い人の特権だ。

今の私は、年を取るほどそうなってしまう人の心情をよく理解できるので、間違っても批判や嘲笑などできない。

そして、おそらく私も今確実にそのコースを歩んでいる。

最近、自分の考えに柔軟性が欠けてきたことに気づいた。特に、新たなことや慣れていないことを行うことに強い抵抗を感じることが増えた。

たとえば、家事など長年やってきたことにおいて、非効率だとわかっていても、慣れたやり方を続けてしまう。

また、新しいものに乗り換えた方がずっと得だと頭ではわかっているのに、つい惰性で従来のものを使い続けてしまうところもある。

そのような自分にしばしば苛立ちを感じているのに、これまでのやり方や考え方を変えることに強い抵抗を覚えてしまう。

言い換えれば、未知の領域に踏み込んで失敗するのが怖い。それがどのような結果を招くかをほぼ正確に推測できるからだろう。

その背景にあるのが、「この年になると少しの失敗も許されない」という厳しい現実だ。

若い頃と違い、失敗すればやり直しの機会を与えられる前に切られることが多い。つまり、「失敗=人生がジ・エンド」になるリスクが高いということである。

そんな恐ろしいリスクを負ってまで、「これまでうまく行っていたやり方」から「失敗するかもしれない新しいやり方」に変える必要があるのだろうか?と思わずにいられない。

だから慎重で保守的になり、新たな考え方ややり方よりも、これまでの成功パターンにもとづく慣れた考え方ややり方を選びがちなのだろう。

かくいう私も、長く生きている分自分の成功・失敗パターンは熟知している。

私の失敗パターンの鉄板は「よく検証しないまま新しいものに飛びついてしまう」こと。それで何度も痛い目に遭い、数回は三途の川が見えるほど追い詰められた。

幸い、ピンチの度に人に恵まれて窮地を脱してきたが、そろそろその強運も尽きてきたに違いない。

また、体力の衰えが目立ってきた今、自分の軽率な行動で三途の川が間近に迫るようなピンチに陥るのはまっぴらごめんだ。

だから「もう二度とそんな思いをしたくない」との思いが強くなってつい臆病になる。そして次の一歩がなかなか踏み出せない。殻を破りたいのに破る勇気がない……という状態に陥ってしまう。

つまり、変化する必要があると頭ではわかっていても行動が伴わず、つい慣れた道を歩こうとし、新たな考えや習慣を受け入れがたい気持ちになってしまうということだ。

……まずい。その状態は非常にまずい。「老害」への道をまっしぐらに進んでいることになる。なんとかその状態を自ら打開ないとかなりヤバい。

最近そう思い始めた私は、自らのそのような現実を素直に受け入れ、とりあえず小さな変化を起こすアクションを始めた。

・メルカリで不用品を売る
・中断していたレジンアクセサリー作りを再開する
・小説サイトのアカウントを作って小説を投稿する
・格安スマホへの乗り換え

メルカリは早くも成果が出て複数の取引をすませることができた。また、noteに投稿した小説と、エッセイを私小説化したものを複数投稿した。

レジンアクセサリーはとりあえず親戚の子の学校バザーで売ってもらうことにした。

そして、国家資格試験の出願も済ませてその勉強をしている。多分今回は落ちるけど。

……おお、結構頑張ってるじゃん。自分。

そういうところから少しずつ固い殻にヒビを入れていき、いずれは殻を割って新たなステージに立ちたい。まだ試行錯誤の段階だが、動かないことには何も始まらない。

そんな形でコツコツと自らの殻を破る努力を続けよう。そして、あまり後悔のない形で人生を締めくくりたい。そうでなくては今後の人生がつまらないものになりそうだ。

脳の出力がピークになっている今のこの考えはおそらく間違っていないと思う。

50肩やら持病やらでボロボロになりかけているから無理はできないが、できる範囲で自分の殻を破り続ける挑戦を続けていきたい。「老害」と憎まれるおばあちゃんにならないためにも。

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