人生の重要な決断を全て自分で行ったら、全てが「結果オーライ」になった
たった今、ふと「そういえば、人生の重要な決断について一度も人に相談したことがなかったけど、今になればすべて結果オーライになったな」と気づいた。
「高校卒業後の進路」を自分で決めたら結果オーライになった
高校卒業後の進学先は、その先の就職を見据えてあえて苦手ジャンルの学科に的を絞った。その上で、親が学費が払えそうなところをピックアップして自分で進学先を決めた。
進学先となった短大ではよい成績を取れなかったので、最初はその決断が間違っていたのではないかと後悔した。
しかし、就活が始まると自分の決断が間違っていなかったことがわかって結果オーライとなった。
短大卒業後の進路も全て自分で決めたら結果オーライ
短大卒業後の進路も「地元にUターン」を前提に自分で候補の会社を絞った。少しでも内定獲得の可能性を上げるために短大の就職課の人と仲良くなり、そのつてで希望する会社へのコネを作った。ただ、どの会社を受けるかの判断を人にゆだねることはしなかった。
その結果第一希望の会社に内定をもらい、そこでの業務経験が今の仕事に大いに生きて結果オーライになった。
親の反対を押し切って自分が選んだ人と結婚したら結果オーライになった
結婚相手だって自分で決めた。母親は今の夫を見て全力で結婚を反対したが、自分がこの人をパートナーにすると決めた相手だからそのまま押し切って結婚。
後になって母の反対した理由に納得する出来事は多々あったが、今は夫を一生のパートナーに選んでよかったと思っている。
専業主婦になった決断も四半世紀後に結果オーライになった
結婚にあたり寿退職を迫られて専業主婦になったのは非常に不本意だったが、それもまた最終的には自分が下した決断だ。そのことに後悔がないと言えば大嘘になる。
ただ、その四半世紀後に今の仕事に巡り合えたのは、私が長年専業主婦だったせいで今の仕事しか選択肢がなかったからだ。それが幸いして今があると思えば、専業主婦になる決断も結果としては悪くはなかったと言える。
夫に事後承諾させたボランティアは10年続いて結果オーライ
子どもが高校生になってから、日本屈指の大きなイベントのボランティアスタッフになった。
家を空けることも多いボランティアゆえ、応募にあたっては夫の強い反対が予想された。そのため、誰にも事前に相談せずに応募して夫には事後承諾という形を取った。
それから10年楽しくボランティアを続けているから結果オーライだ。そのおかげで長く付き合える友人が増えたこともうれしい誤算だった。
個人事業主という未知の世界に飛び込む無謀な決断も結果オーライに
結婚以来の大きな決断は、やはり個人事業主ライターになったことだろう。
サラリーマン家庭で育ち、自身もサラリーマンの職歴しかなく、自営業の世界を全く知らない私がいきなり開業届を出したのは大きな決断だった。
若い世代ならそれほど珍しいことではないのだろう。ただ、私は長年家庭に入っていたアラフィフ(今はアラ環)の専業主婦だ。その私が誰にも相談せず、いきなり個人事業主になる決断を行ったのは明らかに無謀だった。
ただ、その無謀な決断の背景には2つの譲れない絶対条件があった。
1)ひどい更年期障害で外出すら難しい日がよくあったので、家にいながら働ける仕事を探す必要があった。
2)超夜型で朝が弱い自分の特性に合った仕事をしたかった。
今思えば、その条件に合う仕事がライターしかなかったからこそ、誰に相談することなく未知の世界に飛び込む決断ができたのかもしれない。結果的にはそれが結果オーライにつながったと確信している。
自分の決断の責任は自分で取ろうと思うから結果オーライになるのかもしれない
以上のように、私の場合は自分で決めた重要なことがすべて結果オーライになった。
あまりにもうまくいきすぎて怖いくらいだが、おそらくそれは自分が引き寄せた結果だと今は思っている。
他の人がどう思うかはよくわからないが、私自身は「自分が決断したことの責任は自分で取ろう」と思う人だ。
誰かに決めてもらった結果起こったことについては、その人に責任をなすりつけることも可能だ。
しかし、自分で決めたことについては、それが悪い結果になっても誰にも責任をなすりつけることはできない。
つまり、何が起こっても自己責任だから、渋々でも自分で悪化した状況の改善に動くしかない。結果的にそれが私の人生を良い方向に向けたのだと今は思う。
過去のどの決断においてもある種の後悔はあったが、その決断を行ったのは自分だからしょうがないと腹をくくることができた。だからこそ自ら悪化した状況の改善に動くことができ、結果オーライな今の状況につながったのだろう。
それを考えると、やはり人生における重要な決断は、どんなに後悔する結果になっても自分で行うことが大事だと思う。
それによって主体的かつ能動的に生きられるようになり、何が起こってもそれを良い結果に転じさせることも可能にさせる。そのことを今の私は確信している。
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